2018年5月1日は僕は死んだ。
16の誕生日をまじかに、
僕がそれを迎える事は無かった。
自ら死を選んだ。
理由は絶望したから。
それ以上は思い出したくなくい。
そう思い出したく無いから僕は死を選んだ。
全てを無かった事にするため。
自殺は殺人と同義だと誰かがほざいた。
殺人?
もし今僕が死なず生き残ったなら、
必ず将来人を殺すだろう。
理不尽な暴力を受けた人間が、
他人の理不尽を考慮して生きろと。
そいつらは考慮しなかったのにか?
ふざけるな不可能だ。
人権を奪われた人間は、
他人の人権を奪う事でしか生きられない。
苦痛は自分の意思では、
我慢出来るものじゃない。
その激しい苦痛は、
身を焼き、魂を焼き、正気を焼き尽くす。
それから逃れる為なら、
平気で他人から命を奪う。
自分が生きる為に。
動物が生きる為 に、
他の生命を喰らうのと同じだ。
自殺は殺人と同義だと。
それを言った人間は本当の苦痛を知らない、
善良な悪人だ。
もし俺がそいつを殺したとしても、
俺の怒りはおさまらない。
なぜならそいつが、
殺されて当然の悪人だからだ。
自分に過失があるなら、
それに伴う罰は当然だからだ。
なんの過失も無いのに受けた苦痛は、
何の落ち度も無い善人を殺す事でしか、
この理不尽な苦痛から逃れる術はないのだ。
だから僕が僕を殺すのは、
殺人鬼を殺すのに等しい。
僕に今残された選択は、
殺人鬼となって生き続けるか、
今死ぬかのニ択しかない。
自殺は殺人だと言う愚かな人間よ。
その人間が殺人を犯したら、
(僕が殺人を起こしたら)
死刑にしろと叫ぶ理不尽な人間よ。
その二沢しかない人間を避難する、
その理不尽を僕は許さない。
永遠に許さないだろう。
人殺しが許されないなら僕は死ぬしかない。
そして2018年5月初旬。
僕は学校の屋上から飛び降りて死んだ。