それは日曜日、といってもすでに仕事から遠ざかり何年もたっている供にとってはいつもと同じ穏やかな日の始まりである。
3月の気候は心地よく、まるで揺りかごに乗るように供は車椅子に乗って、庭に咲いた白やピンクの花をゆっくりと見た。
90歳の供は都会の隙間にちょこんと建つ老人ホームに今年入居したところだ。妻を去年亡くし一人でいるのを心配した娘夫婦の勧めで、彼女たちの家からも来やすいこの老人ホームに入ることとなった。
「時の流れは早いな…」
誰にともなく供は呟いた。すると後ろから声がした。
「とくに人間は生きるのが早すぎですね」
供が驚きゆっくりと後ろを向くと、同じく車椅子のお婆さんが供を見てニイッと笑った。彼女は車椅子を漕ぎ供の隣へやってきた。銀色の髪が日の光にあたると白っぽく輝いた。
「綺麗な髪ですね」
供は思わず口に出し、これは失礼と照れ隠した。彼女はありがとうと微笑むと、白い花に手を伸ばしそのひとつを摘んだ。
「いい匂い」
そう言って彼女は花を供に手渡した。
「本当ですね」
供はこちらを見る彼女の顔にどこか懐かしさを感じ、
「お名前聞いてもよろしいですか?」
と訪ねると、彼女はさっきと同じようにニイッと微笑んだ。
「夜になると見えるものです。日によって形を変えるもの」
「夜になると見えるものですか、もしかしてそれは丸くなったり猫の目のようになったりしませんか?」
彼女はこくんと頷いた。
「そうですか、なるほどそうでしたか。」
供は彼女を見つめながら記憶が巡り、その中にいる彼女が、月乃が、月が、目の前の女性に重なった。
月は供に手を伸ばすと、その手を供が握りしめた。
「あなたに何があったのか、僕はなんども考えていたよ。考えてもわからなかったけれどね、考えないわけにはいかなかったんだ」
そう言うと、供は頬を赤らめ続けた。
「もう聞いてもいいのかな?」
供は月の目をじっと見つめた。月はこくんと頷いた。
「月、教えて。君のことを」
どちらともなく握りしめた手がギュウっと強くなる。
「とても長い話なの」
月がそう言うと、供は「それは楽しみだ」と嬉しそうに微笑んだ。

二人は最後の日まで物語のページをめくるようにお互いの人生を語り合った。少し時間が必要だったんだ。こんな風に日々を過ごすために。