人混みの中、前を歩く優也の背中を追いかけるのに必死だった。どちらもなにも言わない。どうにも気まずく、またどうして気まずいのかわからない。

「――なぁ」

 唐突に優也が振り返り、立ち止まった。

「俺、からあげ食いたい」

 いきなりの宣言に、涼香は首をかしげた。

「はぁ……買ってくれば?」
「手が塞がってんだよ」
「あ、そういうことね。はいはい」

 そう言ってスイーツを引き取ろうと手を伸ばす。しかし、彼は渡そうとはしなかった。

「お前が買ってきて」

 優也は顎でしゃくって露店を示す。

「使いっ走りですか」

 ふてくされたように言ってみるも、優也は悪びれもせずに頷いた。

「早く行って来い」
「言い方がムカつく」
「……買ってきてください」

 明らかな棒読みに、涼香はふくれっ面を見せ、鼻息荒くからあげの露店へ走った。
 本当は険悪になりたくなかったのに、どうしても腹の虫がおさまらない。それは、やはり優也が明に言った「かわいくない」が尾を引いていた。

「どうせかわいくないですよーだ」

 何度も言われたことなのに、胸がチクチク痛んでしょうがない。鬱陶しい痛みだ。こんな思いをするなら、いっそ恋愛なんてしなければよかった。優也への思いにふたをして、そのままでいればいい。仲がいいクラスメイトという立ち位置のほうが、ふられる未来を迎えるよりもはるかに優しくて楽しいはずだろう。
 しかし、同時に羽村の顔を思い出した。そして、裏で手を回しているこころの顔も。あの二人を裏切って、今日を何事もなく終わらせてしまったら、逃げてしまったら、それこそ居場所がなくなってしまうかもしれない。恋愛も友情も同時に失うなんて、それこそ大惨事だ。

「大楠」

 後ろから声をかけられる。同時に、膝の裏を攻撃される。かっくんと膝が曲がり、涼香は「わぁっ」と情けない声をあげた。

「なにすんの!」

 振り向かずとも、誰の攻撃かは明らか。優也が威圧的にじっとりと見ていた。

「ぼさっとすんなよ。俺のからあげ、早く買え」
「わかってるよ! ちょっと待ってて!」

 ポケットからグリーンラビットを出し、お金を露店の生徒に渡す。五個入りのからあげは五百円で販売しているようだ。

「ありがとうございまーす!」

 元気がいい剣道部の女子マネージャーが愛想を振りまく。こんもりとしたからあげのカップを差し出された。

「はい、買いましたよ。五百円よこせ」
「うん。それはいいんだけどさ」

 優也はまたも無愛想に顎でしゃくって、今度は中庭を示した。

「あっち行こう」
「はぁ?」

 意図がわからないので、またしてもかわいくない声を出してしまう。しかし、優也は先を歩いて行ってしまった。スイーツが人質にとられているので、やはり追いかけるしかない。

「もう、なんなの……」

 からあげが入った紙コップを持って中庭まで疾走(しっそう)する。その姿を他の生徒たちが不思議そうに見るわけでもなく、お祭りの空気は一層濃くなっていた。
 中庭も例外じゃなく、生徒でごった返しているものの、ここにはベンチがあった。まさか、そこで二人並んで座るつもりだろうか。そんな予想は早くも裏切られ、彼は体育館裏の湿気(しけ)た場所までさっさと歩いていく。
 体育館のステージは熱狂的で、どうやらいまはBreeZeの演奏の真っ最中だった。
 優也の謎行動を考えることに飽きてしまい、ぼんやり聞こえてくるドラムロールを聴きながら、涼香はあの三人を思い出していた。

 ――仲直りしたんだろうなぁ。よかったよかった。

 それに比べて、こちらはと言えば。さっきから空気がおかしい。せっかく二人きりになったのに、うまく楽しめない。もやもやする。

「大楠」

 体育館ステージの真裏(まうら)に当たるその場所は、冷たいコンクリートの(かたまり)が置いてあった。隅にはボールかごが追いやられており、雨ざらしになったと思しき湿ったバスケットボールが転がっていた。
 優也は安堵の息を吐いて、ようやく笑った。

「ここ、俺の秘密基地なんだよ」
「へぇぇ」
「練習抜けて、考えごとをするときに来てる」
「それ、サボってるだけじゃないの」

 すかさず言うと、優也は吹き出して笑った。そのえくぼが憎めない。

「かもな。やっぱ、練習きついし。上下関係めんどくせぇし」
「そういうもんなんだ」
「そういうもんなの。結局、練習は先輩たち優先で、一年はマネージャーみたいな扱いでさ。ボールさわりたくてウズウズしてるのに、基礎練と筋トレばっかでつまんねぇ」

 いつも楽しそうに部活をしている優也しか知らないものだから、その告白は思いがけないものだった。

「って、そんな話をしたかったわけじゃないんだ」

 そう言って、彼はコンクリートの塊に腰を下ろした。ポップコーンと鈴カステラの紙コップを置いて、涼香に手招きする。

「横、座れよ」
「えっ」
「いや?」
「……いや、じゃ、ないけど」

 ぎこちなく言って、涼香はそろそろと優也の横に座った。少しだけ隙間を開けて肩を並べる。

「さっきはごめん」

 優也が静かに言った。

「嫌な言い方したよな。ほんとごめん。あんな風に言うつもりはなかったんだ。お前、まだ怒ってるよな」
「いや……そんな、全然。あんなの、いつものことじゃん」

 しっとりと弱々しく言うものだから、心臓が爆音を鳴らすようにはじけた。驚いて喉がつまりそう。まともに優也の顔が見られなかった。それなのに、優也は顔をのぞきこんでくる。

「ほんとに怒ってない?」
「怒ってないってば」
「そっか。それならよかった」

 まだ不安そうだが、優也はホッと息を吐いた。

「なんか、自分でも変だなぁって思ったよ。おかしいよなぁ。お前と明がしゃべってるだけで、もやもやしたっていうか。しかもあいつ、あんなあっさり『かわいい』とか言うし」
「えーっと、それって」
「うん。嫉妬(しっと)。俺は明に嫉妬してる」

 息が止まった。すぐに吹き返すも、思考回路が誤作動を起こしてしまう。ぼうっと優也の顔を見つめると、彼も自覚しているようで、目をそらしてしまった。
 こういうとき、なんて言えばいいんだろう。

「……バスケ部期待のエースも、余裕がないことあるんですねー」

 出てきた言葉のかわいげのなさが恨めしい。

「悪いかよ」
「悪くないけど。クソガキじゃん」

 口はわざと悪ぶっていく。本当にかわいくない。照れ隠しの言葉をいますぐに撤回したい。それは叶わず、涼香はもう諦めた。

「私も、嫌なこと言ったよね……今朝はあんだけ楽しくやろうぜって意気込んでたくせに、ほんと、私たちダサいわー」

 あはは、と渇いた笑いを空に放つ。カラリと晴れた青空は、枯れた桜の葉であまり見えない。

「実行委員なんて、らしくないことやってるよな」
「ほんとだよ。それもこれも、こころのせい。でしょ?」

 確認するように言ってみると、優也はごまかすように苦笑した。

「バレてたか」
「バレてますよ。実行委員はこころの差し金で、あの子と裏で繋がってる。でしょ?」
「言い方に語弊(ごへい)がある。そんな悪どいことはしてないっつーの」
「今朝のアレもこころの指示でしょ。わかりやすい」

 ため息を投げつけた。すると、優也はだらしなく肩を落とした。

「……マジで情けねぇな。告白だってままならないんだから」

 その嘆きがくもっていく。優也は両手に顔を埋めて落ち込んだ。

「俺さ、こういうの初めてで、どうしたらいいかわかんなかったんだ。お前が他のやつに取られるのは嫌で、明に嫉妬してるのもすげぇ嫌なんだけど、でも、それでもなかなかうまく言えない」

 それから彼は「かっこわりーな」と自嘲気味に笑った。

「右輪から持ちかけられたんだ。協力してあげるから、文化祭の日に告白しろって」
「それ、ほとんど脅しじゃん」
「いや、それに思わず乗ったから、俺は共犯みたいなもの。なんか、(だま)してるみたいでごめん」
意気地(いくじ)なしの寺坂くんにはいい方法だったんじゃない?」

 ついつい厳しく言うと、優也は黙り込んでしまった。すぐに明の言葉を思い出す。

 ――優也のこと、あんまり責めないでやってね。

 そうだった。落ち着け。調子に乗るな。
 言い聞かせて一拍置く。息を吸い込んで、吐く。舌に残った甘味を思い出しながら、涼香はぽつりと言った。

「――多分ね、後夜祭で、郁ちゃんのライブがあるんだけど」
「え? あぁ、うん」

 思わぬ発言に戸惑う優也だが、それに構わず話を続ける。

「そのライブを一緒に観たいんだ。二人で」
「うん……え?」
「だから、一緒に観ようって言ってるの。私は、寺坂と一緒にいたい。そう言ってるの」

 うまく伝わっているだろうか。いや、どうだろう。どうにも素直になれない口だから、遠回しになっている気がする。
 優也はぽかんとしている。あぁ、やっぱり伝わってない。
 涼香はイライラと頭上を見上げた。まったく、どうしてこうもお互いに不器用なんだろう。嫌になってくる。

「だから、私は寺坂のことが好きなの。そういう回りくどいことはしなくていいから、私と一緒にいてよ」

 しんと音が止んだ。祭ばやしが遠い。味気ない場所なのに、ふわふわ甘い浮ついた空間になっていく。その色に染まるのもたまらなく恥ずかしくて、涼香は体をすぼめるように膝を胸に引き寄せた。

「……なんか言って」

 気まずくて仕方がない。
 すると、予想だにしない言葉が返ってきた。

「もう一回言って」
「はぁ? 聞いてなかったの?」
「いや、聞いてた。でも、もう一回聞きたい」
「甘えんな。今度はそっちから告白して」

 つい乱暴に言うと、優也は照れ臭そうに笑った。

「――俺も、お前のことが好き」

 観念したのか、彼もまたボソボソと言う。その言葉がくすぐったくて、心臓を掻きたくなる。耳が熱い。赤くなっている気がする。

「大楠」
「はい……」
「俺と付き合って」

 声が近い。彼の息も。爽やかなあの薄荷と、クリームの甘い香りが鼻腔(びくう)に届き、涼香はこくんと頷いた。

 ***

 優也に強制的な告白を持ちかけた犯人は、教室でのんびりとパンケーキを焼いていた。
 教室に戻ってくるなり、彼女はすぐに反応する。ふわふわの三つ編みを揺らし、忠犬よろしく駆け寄ってきた。

「おかえりー! あれ? 寺坂くんも一緒なの?」

 釈然とせずも、人懐っこい笑顔で二人を出迎える。

「こころ、話があるんだけど」

 涼香は深刻な顔で、こころを廊下に引きずり込んだ。バランスを崩しつつも笑顔を絶やすことはなく、こころはなにやら期待に満ちた目をした。

「どうしたの?」
「いろいろとはっきりしないといけないことがあるからね」

 涼香はわずかに声のトーンを落とした。それを優也がなだめようと、涼香のカーディガンを引っ張るが、構わずビシッと人差し指を彼女の胸に突きつけた。

「こころの企みは全部お見通しだ」
「えへへ。なんのことかなー?」

 鋭く言い放っても、こころは白々しく口の端を横に伸ばすだけだった。

「とぼけないで。あんたが寺坂に告白を仕向けたってことは、とっくにバレてるの」
「おい、大楠。その言い方はないだろ」

 優也はこちらの友情を壊すまいと必死だった。おろおろする彼を振り切り、涼香はこころに詰め寄る。
 いっぽう、こころもようやく笑顔を崩した。そして、責めるように優也を見る。

「……寺坂くん、ほんとダメなんだから。下手(へた)くそ」
「ごめん」
「寺坂は悪くないでしょ」

 すぐにかばうと、優也は頭を掻いた。

「えーっと、じゃあなに? 涼香は怒ってるの? あたしが寺坂くんと涼香をつき合わせようとしてるの、そんなに嫌だった?」

 どうにも悪びれない彼女の言い方に、涼香は呆れのため息を吐いた。

「まぁ、ちょっとは怒ってるんだけどさ。こういう、騙すようなことして」
「あー……なるほどね。そういう(とら)え方はしてなかった」

 ようやく状況を把握したこころは、気まずそうに目を伏せた。そして、若干の不満を見せつつ優也を見る。

「ごめんね、寺坂くん。まさか、涼香に怒られるとは思わなかったよ。バカなことにつき合わせてごめんね」
「いや……」

 優也は歯切れ悪く唸った。まったく、嘘がつけない性格というのは損だと思う。
 涼香はたしなめるように優也の袖をつまんだ。こうなったらもうネタばらしをしよう。

「あのね、さっき寺坂に告白したの」

 さらりと真顔で告げた。案の定、こころは間髪を容れずに目を驚かせた。

「へ?」
「だから、この話はもうおしまい。いろいろと気を使わせてごめんね」

 目元を緩めて笑うと、こころは放心したように動かなくなった。ぼうっと目が(うつ)ろだ。

「こころ? 大丈夫?」

 慌てて目の前で手を振ると、こころはハッと我に返った。そして、唇をわなわな震わせた。次の瞬間には、涼香の首へ腕を回す。

「おめでとう!」

 勢いよく飛び込まれ、涼香はバランスを崩した。壁に激突する。それを優也が助けようと手を伸ばしたが遅い。しかし、こころは気にもとめずに涼香をぎゅっと強く抱きしめた。

「やったぁ! 涼香、おめでとう!」
「あ、ありがと、こころ……」
「寺坂くんもおめでとう! やったね!」

 すぐさま起き上がり、こころは優也の足を叩いた。その攻撃に優也は照れくさそうに受け取る。

「右輪のおかげだよ」

 当事者よりも安心して喜ぶこころの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 ***

 濃い青空と、西に向かう夕陽の色がやけにきれいだった。青とオレンジの隙間に緑と黄色のグラデーションが滲み、さながら水をたっぷり含んだ水彩画のよう。

『さぁ、みなさんお待ちかね! 今年もきたぞ! 後夜祭の時間だーっ!』

 開会式とは打って変わって、生徒会長のテンションが高い。グラウンドステージでは全校生徒が思い思いに集っている。涼香と優也は後列にいた。
 祭りの終わりは名残惜しくて寂しい。まだ終わらないでほしいと願っても、時は止まらない。
 次々と受賞者がステージに上がり、思い思いの謝辞を述べていく。中には涙ぐんでいる人もいる。それを冷やかすようにはしゃぐ人も。晴れやかな笑顔を見ていると、心があったかくなる。
 隣に好きなひとがいるからだろうか。思いが通じ合ったこの手を、絶対に離したくない。
 涼香はこっそりと優也の手のひらをくすぐった。それに応じるように、優也も涼香の手をつかむ。やがて、誰にも見えない場所で二人は強く手を結んだ。

「優也」

 思わず名前で呼ぶと、彼は握った手を強張らせた。

「なに?」
「ずっと、一緒にいようね」

 似合わないセリフだと思う。だから、優也も驚いた様子で、冷やかすように笑った。

「大楠もそんな風に言うんだなー」
「今日の私は一味違うのよ」
「うん。今日のお前は一番かわいい」

 改まって言われると、今度はこちらの手に力が入る。
 手のひらの熱がそのまま彼に伝わってしまうんじゃないかと不安になった。でも、いま彼の手を離したら、どんな未来が待っているかわからない。ここまで、なにひとつ順当じゃないから。
 確実に未来が変わっていく。そんな予感がした。

『どうもー! 軽音楽部期待の新星、BreeZeでーす!』

 いつの間にか、ステージには郁音が所属するバンドが登場していた。部長の麟が元気よく声を張り上げる。

『実はですね、午後のステージの前にバンド解散危機なんてことがありまして。でも、ある女の子に励まされました』

 ギターを肩から下げて、堂々とスタンドマイクの前に立つ麟に、全員が歓声を上げる。ライトを浴びる郁音と雫も柔らかに笑っていた。

『オレたちのライブを楽しみにしてくれていたんです。本当にありがたい一言でした。そのおかげで解散は免れました! 本当にありがとう!』

 涼香はクスクスと忍び笑った。それを優也が怪訝そうに見る。

「どうした?」
「ううん。なんでもない」

 優也は知るよしもない。まさか、このバンドの解散危機を救ったのが涼香であることを。

『それじゃあ、初めてつくった曲を、いまから披露したいと思います! みんな、盛り上がっていきましょう! 聞いてください。〝パラドックスダンス〟』

「えっ?」

 思わず声が飛び出した。場にそぐわない疑問符。優也は気づいてない。しかし、涼香は周囲を見渡して挙動不審だった。

 ――タイトルが違う。

 しかし、彼らの曲は止まらない。激しく走るギターとドラムの音。それから、ドクンと心臓が跳ねるようなベース音がはじけた。三つの音が重なる。

『願いも祈りも望みもないこの時間(とき) いつまで続く ループ ループ』

 爆音の中で、突き刺さるような詞が駆け抜ける。
 曲だけでなく、詞まで違う。いや、過去を変えたのだからそんな誤差くらいあるだろう。だって、ここまでなに一つ順当じゃないのだから。しかし、どうしてこんなに焦燥(しょうそう)を煽るのだろう。
 その時、麟の声が鋭く人波を掻き分けた。

『いま 粟立(あわだ)っただろう 矛盾(むじゅん)の中で死んでいく』

 ――この選択は正しかった……?

 脳内を占める自問に怯えているうちに、いつの間にか目の前が真っ暗になった。
 視界が暗転する。