清正の甲子園経験はあとにも先にもこの一回で、採用試験のときには敢えて甲子園に出た話はせず、清正の試合の顛末が、広く世に知れ渡るようなったのは、アイドル部の顧問として、情報番組のコメンテーターに呼ばれるようになってからの話である。
キャッチャーであった芦野弘大は大学まで野球を続けていたが、肘の怪我がもとで野球を離れ、地元に戻ると生家の書店をついだとの由で、
「たまに北海道から、メロンが来るんですけど」
といい、
「あいつ…大人になったんやなって」
テレビで高校野球を観戦しながら、冷蔵庫で冷やしたメロンを食べるのが、夏の娯楽になったらしかった。