少し遅れて里菜が桜子を見つけると、
「桜子…大丈夫?」
桜子は何も答えない。
「…がんばれ、まりなさん」
私たちのライブを見て元気になって──里菜の願いは、夜明け前に断たれた。
里菜は泣き崩れる桜子に寄り添っていたが、
「ごめんね、授業行かなきゃならないから」
私がノート取って貸すから、と里菜は外へ出た。
陽射しが眩しい中、タクシーの車内では必死にこらえていたが、校舎に着いてトイレへ駆け込むと、里菜は声を殺して哭いた。
一週間ほどして桜子が戻って来ると、里菜は制服の左腕に喪章を巻いていた。
「…里菜ちゃん?」
「アイドルがこんなときにどれだけ無力なのか分かったから、こうやって意思を示すしかないのかなって」
里菜なりに考え抜いた上での、精一杯の思いであったらしい。
「…いいんだよ、もういいんだよ里菜ちゃん」
桜子は静かに里菜の喪章を外し、みずからの左腕につけた。
「…ありがと」
これでアイドル部はいつもどおりになるよ──桜子は涙の跡もそのままに、微笑んでみせた。
ライブ当日。
国立競技場のバックヤードで、桜子を見つけた里菜は二人で写真を撮った。
まりなの小さな写真を手に、喪章を巻いた制服姿の桜子の隣には、ユニフォーム風のライブの衣装に身を包んだ里菜の姿がある。
「私たちは、ずっと友達だよ!」
里菜の文字でメッセージが書かれた写真は、はるかなのちに桜子の結婚式で使われるに至った。
鮎貝みな穂が札幌へ来たのは、大震災の年の夏である。
若林の実家の一階が津波に浸かってしまい、はじめは改修が終わるまでのつもりであったらしい。
市で用意してくれた団地は手稲本町の小学校の近くで、みな穂の父親が札幌へ転勤してくると、近くのマンションへさらに移った。
「いじめられなきゃいいけど…」
というみな穂の心配は杞憂で、同じマンションの違う階にいた赤橋あやめというクラスメイトが、
「みな穂ちゃん、一緒に帰ろ」
と毎日声をかけてくれたことで解消した。
あやめには一つ下に嘉勢ひかるという幼なじみがあって、ひかるの家にはママ友の繋がりで花島るなという、ギャルの姿をした友達もいたが、
「るなちゃんバンドやってるからさぁ」
どうやら中身はギャルではなく、至って普通であるらしかった。
るなは友達が多い。
同じ中等部にいた紺野ひまり、ひかるの幼なじみという繋がりから知り合った鶴岡さくらや、竹実香織もいた。
歳が近い中でみな穂だけ地元ではなかったが、
「みな穂ちゃん、一緒に遊ぼ?」
最も社交的であった香織のおかげで、仲間はずれにされることもなく過ごすことが出来た。
とりわけ赤橋あやめとは同じマンションであったから、交換日記をつけたり、一緒に宿題をしたり…と、共にいる時間は長かった。
みな穂とあやめが大通公園のそばの本屋まで参考書を買いに出たとき、みな穂は一度だけだが、デモに遭遇したことがある。
声高に主張を叫び、プラカードにはイデオロギーを書き、その日は雨であったが傘もささずに、おのれの意を拡声器にのせて、信号の向こう側のテレビ塔めがけて叫んでいた。
「…何か、騒がしいよね」
というだけで特に感懐もなく、世の中には様々な人はあるが、死んだ人間ほど静かなものはないと思ったのか、
「…あやめってさ、ああいったの見てどう思う?」
みな穂は訊ねた。
「なんとも思わないけどなぁ」
「津波で流された友達がいるんだけど、その子はもう霊になってて、別に雨風も巻き起こさないし、騒ぎもしないし、そんなに静かなものだったら、もっと大切に生きなきゃなんないのかなって」
みな穂には、違う世界が見えていたのかも知れない。
のちにあやめがいじめに遭った際、それでも自死を選ばなかったのは、もしかするとみな穂のことがあったかも分からない。
「私なんかは偶然生き残っただけだし」
みな穂の口癖でもある。
「人って死ぬときはあっけなくて、向こう側でなくて隣り合ったりなんだよね」
修羅場をくぐったことがなかったあやめにはこのときよく分からなかったが、この頃からみな穂が必死で何かを探し求めているようには、はっきり理解できた。
同じクラスになったあやめとみな穂は、高等部にアイドル部という聞いたことのない部活動ができた噂を聞いた。
「アイドルしながら部活って、どんなのなんだろうね」
香織やるなが気にし出す中、あやめとみな穂は、るなのママ友の一人から、
「萩野森さん家の唯ちゃんがメンバーだから、訊いてみる?」
と、当時二年生のメンバーとして入って間がなかった萩野森唯を紹介してもらった。
附属の中等部出身の唯は新入部員を探すために後輩にリサーチをかけており、バドミントン部にいたあやめは、興味こそあったらしいのだが、
「一人じゃ心細いから」
と、みな穂に付き合ってもらうことにしたのである。
リラ祭の一般公開日、トークライブの出番があけた唯と待ち合わせたのは部室で、
「…赤橋あやめちゃん?」
バドミントン部らしい日焼けしたあやめを唯は見つけた。
隣のみな穂は、黙ってお辞儀をした。
「友達に付き添ってもらったんです」
鮎貝みな穂です、とみな穂は挨拶をした。
「鮎貝さんって大人っぽいよね」
唯のファーストインプレッションはそれであったらしい。
誰もいなかった部室で唯から簡単な説明を受けてその日は帰ったのだが、
「なんかさ、楽しそうじゃない?」
というあやめに、
「簡単なもんじゃないと思うけどなぁ」
みな穂は冷静に言った。