鮎貝みな穂が札幌へ来たのは、大震災の年の夏である。

 若林の実家の一階が津波に浸かってしまい、はじめは改修が終わるまでのつもりであったらしい。

 市で用意してくれた団地は手稲本町の小学校の近くで、みな穂の父親が札幌へ転勤してくると、近くのマンションへさらに移った。

「いじめられなきゃいいけど…」

 というみな穂の心配は杞憂で、同じマンションの違う階にいた赤橋あやめというクラスメイトが、

「みな穂ちゃん、一緒に帰ろ」

 と毎日声をかけてくれたことで解消した。