すみれが札幌へ向かう直前、二人は旭川の市内をデートした。
買物公園の歩行者天国をぶらぶらし、二人で写真を撮り、ゲームセンターのプリクラの撮影のときには、すみれは廣健と並んでピースをしてフレームにおさまった。
「こんなにそばにいたのは初めてかも」
僅かな時間の縮まりを惜しむように、二人は手をつないで歩いた。
「すみれ、元気でな」
廣健は何気なく手を振って、この日は別れた。
そのようにしてすみれは札幌へ進学したのだが、入学して間もない連休中、廣健が信号待ちの自転車ごと、路肩まで突っ込んで来た酔っ払い運転の車にはねられて亡くなったことを人づてに聞いた。
「それで、すみれちゃんにこれをって」
連休前の亡くなる直前、旭川で見つけて買ってあった物らしい。
「…ん?」
開けると小さなネームプレートに、
「HIROTAKE&SUMIRE」
と刻印がしてある。
一枚は一緒に荼毘にふされ、残る一枚は形見としてすみれに…と蠣崎家からすみれへ渡されたのである。
人前ですみれは我慢した。
しかし。
部屋に戻るとすみれはベッドに顔を押し付け、声を放って哭いた。
すみれはこれをペンダントにし、入浴のときだけは外したが、それ以外は肌身から離すことなく、メジャーデビュー以降もつけていたらしい。
外すようになったのは東京進出以降で、すみれは後に銀行の貸金庫に預けた。
現在、すみれの初恋は、銀行の地下金庫に眠っている。
人には時に、思いもよらない縁というものがある。
英賀健が旧姓を鳴瀬といった妻のまりなに出逢ったのも、そういったものであったか分からない。
まりながパートで働いていたワッフル屋のキッチンワゴンに常連として来ていたのが健で、いい大人の男が独りでワッフルを毎週買いに来るので、まりなが気になって声をかけたのが馴れ初めであるのだが、今となっては懐かしい話であったらしい。
健の五歳上のまりなには桜子という連れ子がある。
まだ頑も是もつかなかった頃に桜子の父親となった健は、桜子を自分の子のように可愛がることしきりで、高校へ入る際に桜子が、学校への提出用に戸籍を役所で取るまで、健と血の繋がりがなかったこと自体が分からなかったほどである。
しかし。
高校の入学式にまりなの姿はなく、
「まりなが退院したら、三人で写真を撮ろう」
と健は、まだ雪の残る校舎の背後の手稲山を見ながら言った。
桜子の女子高にはアイドル部という部活があり、桜子の担任の関口澪先生という若い女先生が、顧問をつとめている。
桜子本人はアイドル部には行かず、
──大好きな天体観測が好きなだけ出来る。
という理由で、天文部にいた。
アイドル部にいたクラスメイトの鳴瀬里菜とは仲が良く、
「桜子のママの旧姓も鳴瀬なんだ?」
と知ると、里菜はまるで自分の身内のように桜子と一緒に学食に行ったり、時にはアイドル部の部室へ桜子を招いたりもした。
アイドル部ではなかった桜子は、遠慮をしてか長居をすることもなく、
「里菜ちゃんが怒られるから」
と言い、すぐに天文部へ戻って行く。
一応、里菜がアイドル部の部長であることも桜子は理解していたようで、
「私みたいな地味なメガネっ娘がアイドル部の部室にいるのは不自然だからさ」
と述べた。
しかし里菜は、
「藤子先輩もメガネかけてたよ」
と、初期メンバーであった長内藤子の話題を出した。
「国立競技場のライブの打ち合わせで初めて会ったんだけど、オーラが違ってたんだよね」
里菜はその印象を述懐した。
アイドル部の快進撃をテレビやインターネットで知る程度の桜子にすれば、輝かしい卒業生たちの話は画面の向こう側の話であったらしく、
「里菜ちゃんすごいな」
としか感懐は出てこない。
その里菜はあと少しで、国立競技場のライブという大舞台に立つ。
「桜子も見においでよ」
「でも交通費が…」
桜子はためらった。
お世辞にも裕福ではないし、まりなの病気の件もある。
健に打ち明けようにも出来るはずがなく、
「ごめんね里菜ちゃん」
申し訳なさそうに、深々と頭を下げて桜子は謝った。
帰りに病院に寄って、その日の出来事を話すのが桜子の日課となっていたが、この日は「大して話すことはなかったよ」とまりなを気遣ったのか、里菜の話題は出さなかった。
何日かして、桜子から退院の手伝いを頼まれ、まりなの病室に里菜が来たことがあった。
「アイドル部の部長さんだから忙しいのに、なんかごめんなさいね」
「大丈夫ですよ、いつも桜子にはノート借りたりして助けてもらってますから」
リハーサルや打ち合わせで授業に出られない日に、里菜は桜子のノートを借りて、授業に追いつこうとしている。
「元気になったら、まりなさんと桜子で国立のライブに呼びますから」
里菜は言った。
実は里菜には母親がいない。
「私が幼稚園のときに脳の病気で他界してて、だから親が大変な状態の子供がどんなことかってのを、私は分かるんです」
仲良くなってから桜子の事情を知った里菜は、それで部室に呼んだり、それとなく気にしていたらしい。
しかしその帰途、
「あのね里菜ちゃん…多分ママ、もう長くないと思う」
退院はしたが、状況が良くなったからではなかったらしいのである。
「…分かった。ライブに呼ぶのは身体に悪そうだから諦める。でも桜子にはお願いがあるんだ」
「お願い?」
「学生スタッフとして参加して欲しいの」
アイドル部で学生スタッフの募集をかけていたのは聞いていた。
「天文部には私から話すから、桜子…お願い!」
里菜は拝み倒すように桜子に懇願した。
さすがに断われなかった桜子は、
「部長さんに相談してみる」
とのみ述べた。
アイドル部からの要請、というのもあって桜子の件はすんなり許可が出て、
「これさえつけてあれば大丈夫だから」
里菜から渡されたのは、腕章と首から下げるパスであった。
「ママさんの代わりに、しっかりライブ見てね」
里菜はウィンクをしてみせた。
ライブの準備は多岐にわたり、桜子は撮影班を任された。
リハーサルの様子を写真で公式インスタやツイッターなどに上げる仕事で、桜子はメンバーの嘉勢ひかるというパソコンに強い部員と協力しながら、レッスンや振り付けの様子などをアップロードしていった。