それからの出来事は、目まぐるしいものだった。

 萩白さんと一緒にバリケードを崩して扉を開くと、校長先生や、学年主任の蔵井先生、安堂先生、他の先生が集まるようにして扉の前に立っていた。

 ドアを開いて開口一番涙目だった安堂先生は私たちに向かって手を振りかぶり、瞬間的に平手打ちを覚悟したけどすぐに蔵井先生が止めて、「全ては、教師に頼れないと生徒に不信感を持たせた私たちが原因です」と呟き、静かに肩を落とした後蔵井先生は私たちをまた校長室へと連れて行った。

 そこで聞いた話は、私たちの行った生放送は、凄まじい勢いで視聴されたということだ。

 スマホを見てもいいといわれ確認すると、確かに呟きサイトの上位に生放送の文字があり、そこには私たちの行った生放送の内容に関して考えるような呟き、学校の責任に対して考える言葉、そして、私が吃音症で、吃音とはどんなことなのか、どういう困ったことがあるのかの説明など色んな言葉で溢れていた。

 ドラマみたいとか、中二病っぽいとか、どっかのテレビ局のやらせとかもあったけど、そういうのは少なくて、皆今後について考えるものばかりだった。

 校長先生が言うには、生徒たちは私たちのお願いの通り、私の言葉を動画に録音して、流したと言う。先生たちがやめろと言っても皆やめなかったそうだ。学校側は、当初昨日の清水照道含む他生徒を退学処分にして事態の沈静化を図ろうという話になっていたけど、私の話やこの生放送の影響力を考え、今夜また職員会議で話し合うといった。

 そして最後に私たちの処分について言われたけれど、一週間の自宅待機と、それが終わった後に放送室の掃除をすることだった。萩白さんに謝ると、「久しぶりに、ゆっくり今後について考えられるからいいよ」と言って笑った。

 そうして校長先生や蔵井先生と今後について話をしていると、お母さんとお父さんが来た。

 二人は複雑そうな顔をして、私にちゃんと話をさせなかったことについて謝った。私は、校長先生の目の前で出来れば転校したくないという旨を伝えた。

 この学校については、別に好きじゃない。でも、萩白さんがいるし、それに清水照道を放っておけない。あいつがこの学校にいるのなら、私も残ったほうがいいんじゃないかと考えた。萩白さんは「私も転校は考えていないから、安心して」と私に言い、両親は萩白さんを見て、私が友達を作っていたんだと、少し安堵したような、泣きそうな顔をしていた。

 それからは、お父さんの運転する車に萩白さんを乗せて、四人で家に帰った。報道の記者の人たちは、放送室からの放送がまだあるんじゃないかと校庭に入り込もうとするばかりで、誰にも見られずに済んだ。

 そうして萩白さんを送り届けてから家に帰ってきたわけだけど、テレビでは早速私たちの生放送が報道されていて、私が見ようとするとお父さんもお母さんも電源を消すことはしなかった。そこには、昨日まで清水照道に辛辣なコメントをしていたコメンテーターが手のひらを返したように奴を擁護するコメントをして、呟きサイトにも清水照道を擁護する声が圧倒的に増え、自分たちが住所を晒したりするよりも学校側や、教育委員会にきちんとした処罰を求めよう、これから、もっときちんと対応するように未然に防ぐことを求めるコメントが圧倒的に増えていた。

 スマホの画面を見ながら、ほっと安堵して画面の照明を落とす。私に対して偽善者ぶってるとか、加害者とされる奴らに脅されて言わされてるんじゃないかとか、私を疑うようなコメントも無いわけじゃない。でも、たぶんだけど昨日の夜よりずっと流れは変わってきているはずだ。

 時間は日も暮れかけている。お父さんは報道の仕方についてお願いすると言って会社に向かった。お母さんは何か美味しいご飯でも作ると言って台所で料理をしている。

 今日の出来事の緊張がまだ抜けず、私がぼーっと窓の外を見ていると不意に夕日を遮るように真っ黒な人影が現れた。

 突然のことに目を見開き、声も出さず息をのむ。

 驚きすぎて、声が全くでない。窓は開いていたか、鍵は閉めたか、じりじりと後ずさると、人影は「萌歌」と、ずっと聞いていなかったような、聞き覚えのある声を発した。

 清水、照道だ。

 そう認識した瞬間、溺れてもがくみたいに立ち上がって、窓を開く。奴は一度勢いのままこちらに入ってこようとした後、靴で部屋に押し入る前に靴を脱ぎ、後ろ手で窓を閉め、レースのカーテンも閉じた。

 昏い夕日が奴を照らして、その表情はまるで分らない。

「……、ど、どーうしたんだよ、と、と、と突然、……お前、じー、自宅、たた、待機のはずじゃ……」

「どうした……? どうしたは、萌歌のほうだろ……? 何だよ朝の放送……あんな……何で、何で……!」

 清水照道は苦し気に、呻くようにそう発した後、絶句するように言葉を失い片手で顔を覆う。そして、固くこぶしを握り締めるように、何かを決意するように、奴は顔を上げた。

「なあ、萌歌ちゃん。今からでも遅くない。遅くないから、訂正の動画出せよ。俺に脅されて……そうだ俺に脅されて、あの動画出したっていえば、しばらくはマスコミも来るだろうけど、今のままより絶対いい。萌歌が動画を、嫌なはずなのに話をしたことを無にするのは……、違う、でも、絶対そのほうが……、違う、違う、違う違う違う」

 まるで血を吐くように、奴は自分の首を掴んだ。そして「こんなこと言いたくない……」と震える声で呟く。

「……なあ、なんで、何で俺なんか助けたんだよ。俺のこといい人だと思っちゃったわけ? そんなの、錯覚だ。ああ、あれだ、ストックホルム症候群だ。そうしないと、そうじゃないと辛すぎて、萌歌は俺なんか助けてやらなきゃって錯覚しちゃったんだよな。そうだろ? なあ、そうだって言えよ。だって俺は、俺はこんなこと、望んでないのに……!」

 清水照道の声が、震えている。私は奴に近づき、震える肩を支えるように手を伸ばした。奴は私の手首を掴むと、ぎりぎり締め付ける。

「何で、何で俺なんかのために、萌歌が犠牲になんなきゃいけないんだよ……なんで萌歌ががんばるわけ……?」

「……お、お、お前は、……どーうして、そこまで、……私に、何かを……し、し、しようとするんだ」

「……それは」

 清水照道は顔を上げ、言おうとして口をつぐむ。私が「言え」と伝えると、奴は私の手首を握る手を離した。

「……寺田の姉が、萌歌に助けてもらったって、言ってただろ」

 その言葉に、合唱コンクールの日のことと、そして寺田のお姉さんが清水照道を見て驚いたことを思い出す。奴はそんな私の様子を見て、苦々しく口を開いた。

「あの場に、俺もいたんだよ」

「……え」

「俺の家族が、心中でいなくなった話はしただろ、それで、戸籍とか、俺の環境が変わったころ、萌歌を見たんだよ。寺田の姉、合唱コンクールの時は普通にしてたけど、あの日雨で、バスの車輪にはねた水ぶっかけられて、どろどろで、そん時ふらついて、誰も助けなかったし、俺もただ、見てるだけだった」

 確かにあの時、私以外に何かを拾ったりする人間はいなかった。私も最初誰か助ける人間がいるならば関わる気はなかった。でも、誰もいなかったから私はその人のもとへ向かった。何度もお礼を言うその人にろくな返事も出来なかったけど、あの時こいつはあの場にいて、だから寺田姉はこいつを見て驚いた顔をしていたのか。

「俺の前住んでたとこ、前萌歌のこと連れてった団地で、見れば分るけど死ぬほど貧乏なんだよ。……風呂なんか一週間に一回くらいしか入れないし……まともな飯なんか給食しかない。父親も母親も必死になって働いたけど……母親の母親が酒浸りっつうの? 死ぬほど借金作ってて。で、全然学も無いから遺産放棄してなくてさ。だから稼ぐ金全部もってかれて……で、二人が自殺して、俺は施設突っ込まれて、そしたらそこそこ金ある家に引き取られて……全部変わった。それまで溝鼠みたいに学校で俺のこと扱ってた連中は死ぬほど手のひら変えて、へらへら寄ってきてさ、マジ訳分んねえなって時に、萌歌のこと見たんだよ。溝鼠みたいなやつに、心配そうに駆け寄ってってさ、自分が汚れるのとか、全然気にしないで支えてやってて、俺は、ずっと見てた。綺麗だなって、初めて思った」

「そ、そ、そんなことで」

「そんなことじゃねえよ。コンクールの時すげえ感謝されてたじゃん。ああなる位、汚くて泥まみれだったんだって、皆目背けてたのに、萌歌だけ一生懸命助けようとしてた。萌歌しか、いなかったよ」

 清水照道は、私の頬に触れる。そして撫でた。

「で、それから、今年の春に、俺のこと引き取った、義母っつうの? そいつは死んだんだよ。もともと義父のほうは俺の事引き取るのに乗り気じゃないらしくて、それで進学校みたいなとこぶち込まれてたんだけど、保護者会がだるいって六月に県立に引っ越しっつうか、左遷みたいな? とりあえず、どっか見えないところにやっちゃいたかったっぽくて、で、萌歌に会った」

 私と、会った。その経緯の話について考え、はっとする。千田莉子に対して、こいつは変わらないと言っていた。誰かと仲良くなるために、人をいじめると。そしてこいつは、養子として引き取られる前に学校で酷い扱いを受けていたという。もしかして……。

「せ、せ、千田、莉子に、おー前は、……い、い、い、いじめられて、……そして、奴は、ここ今度は私を、いーじめようとしていた?」

「半分正解で、半分間違い。あいつは俺に関わろうとしてなかった。つうか全員俺のこと見て見ぬふりっつうの、露骨に避けてた。まぁ関わりたくねえレベルで俺は臭かったし汚いからな。引き取られてすぐ俺転校したから、あいつは俺のこと今でも分かってない。んで、あいつはずっと小学校中学校と、大人しくて自分に刃向かわない奴適当に選んで虐めて仲間作ってて……高校でも……、萌歌に同じことしようとしてた。何回逸らそうとしても、全然駄目で。でも、いじめは駄目だからやめましょうって言って、やめるような奴はそもそも人のこといじめないじゃん。だから、俺が河野に気に入られてんの、自分でも分ってたし、恋人ごっこ始めれば、いじりの対象にはなるだろうけど、ひでえいじめにはならねえと思って」

 清水照道の言葉に、今までの疑問がすべて溶けていくようだった。

 こいつのやり方が、正しいか正しくないかはわからない。でも、こいつがどうして人のことを馬鹿にして、笑いものにしていたかの理由はわかった。そして、くそつまんねえから、面白くしてやろうという意図も。あれは、河野由夏や千田莉子が私をいじめて楽しもうとしていたのを、つまらない奴だからと言ったか何かしたのだろう。そして面白くしてやろうと言って、奴はごっこ遊びという名の見世物を始めたんだ。

 静かに奴の話を聞いていると、奴はまた、苦し気に拳を握りしめた。

「……でも、いじられるようにはさせてるわけでさ、俺は萌歌ちゃんのことが好きだから、まるで利用してるみてえだなとか、思うわけで」

「り、利用って、……なんだ」

「……すり替わってくんだよ。自分でもどんどん分かんなくなんの。これが萌歌を守る方法だって、俺が思い込もうとしてるだけで実際は違うんじゃないかって、本当は俺がただ萌歌に近づきたいだけで、ごっこ遊びしてるだけなんじゃねえの、って。ごっこ遊びでも、萌歌と一緒にいられるんだって、俺は、萌歌を笑いものにしてんのに。傷つけた。守りたいのに。それなのに、近づこうとして、何で俺生きてるんだろって、訳わかんなくなって……。でも、こうしていれば萌歌のこと守れるはずだって、教師に言ってちゃんと解決してもらえるわけねえし、言っても注意するって言って様子見するか、馬鹿みたいに注意だけしてそれで終わり、あいつらは注意された腹いせにもっと酷くする。なら意味なんてない。誰も何もしない。だから、俺が何とかする。でも、これしか出来ない。そう思ってたのに」

 力を籠めるように、奴は声を震わせる。そして何度も拳を握りしめ、膝を叩くようにして「萌歌を、守れなかった……!」と声を荒げた。

「守れない。萌歌のこと、さんざん傷つけて、守れなかった。だから……だったら! 手っ取り早く全部ぶっ壊して、俺が掌握してやろうと思って、それで、俺ごと全部、萌歌のこと傷つける奴全員、ぶっ壊して、消してやろうって、思ってたのに……!」

 清水照道が、顔を上げる。夕日の差し込む位置がずれていったことで、その表情が赤い夕焼けに照らされた。奴の瞳には、涙が伝い、悲しそうに、辛そうに、悔やむように強い瞳で私を見つめている。

「俺……多分どっかおかしいよ。萌歌が何思ってても、俺と一緒にいられるの嫌でも、俺のこと大嫌いでも、俺は一緒にいられて嬉しかった。性根が腐ってんだろうな……」

 そして、諦めるように、静かに終わりを告げるように、俯いた。その様子に、ただならぬ気配を感じて、奴の腕を掴む。

「お、お、お前は、こ、こーれから、ど、……どうするつもりだ」

「別に? どうもしないよ」

「い、家に、……ちゃんと、か、か、かーえるんだろうな」

「何、寂しくなっちゃった?」

 清水照道は、あたかもこちらがわがままを言っているかのように、困った顔をして笑っている。そんな笑顔は見ていたくなくて、こいつの今まで見てきたへらへらした顔の中で一番嫌で、止めさせるように奴の肩を掴んだ。

「こ、答えろ!」

 清水照道は、黙ったまま、何も言わない。言わないことが明確な答えだった。

 奴は自分の肩を掴む私の手を優しく取り上げると、踵を返そうとする。このままいけば、奴は窓の外へ、遠くへ行こうとする。私は反射的に奴の肩を正面を向かせるように掴むと、そのまま突き飛ばした。奴も、腕を引かれるとは予想をしても、突き飛ばされることは予想していなかったらしい。目を見開きながら私を見上げている。

「……か、か、かーってに、き、きき、決めるな……!」

 奴は、ただ私を見上げるばかりで、次の言葉を紡ごうとしない。だから私は勢いのままどうにでもなれと、こいつが生きてここにいるならどうにでもなれと興奮したまま声を出していく。

「お、お、おお、お前の! ……きっ、……気持ちなんて、しー、知るか! わ、わ、私には、かっ、かか、関係ない! 私が、ふ……復讐を、するんだ。私が! ……おおお前に、するんだ! お前じゃない!」

 怒鳴りつけるように、声を発する。近所に聞かれても、知らない。もう、こいつさえ生きていれば。

「だ、だー……だから! ……い、い、生きろ! わわ、私が、ふっ、復讐を、お、お、おお終えるまで!」

 言い終えて、何度も荒い呼吸を吐く。声が、台所のほうまで聞こえてきたらしい。お母さんが私の名を呼び、こちらへ向かってくる声が聞こえた。どうすればいいと清水照道のほうを向くと、奴は力を抜くように、私を見て、静かに泣いて、呆れるように、静かに笑っているような、子供みたいな顔をしていた。

「なな、なんだよ」

「……かわいそうだと思って」

「……は?」

「俺、萌歌のこと、一生好きだから。こんな奴に愛されて、可哀想だよ。萌歌は」

 清水照道は、まるでまぶしいものを見るように私を見た。なんだこいつと思って少し蹴ると奴は笑う。

 また蹴ると、お母さんの足音が響いてきた。その音にはっとする。まずい。こいつをどうにかしないと。清水照道を見ると立ち上がる様子は見えない。まずい。本当にまずい。私は焦りながらも、どこか清水照道の様子に安堵を覚え、複雑な気持ちになりながら奴に手を差し出す。

 清水照道はその手をじっと見つめてから、私の手を取った。