「萌歌、ちゃんとハンカチ持った? スマホの充電はしっかりある? いざとなったら笛を吹いて周りに知らせるのよ」

 玄関でリュックを背負う私に、お母さんが忙しなくあれこれ確認をする。

 夏休みが始まって一週間。今日は校外学習の日だ。

 朝、学校に集まって、バスで県内の山のふもとまで行き、登る。山頂のコテージでカレーを作って帰宅するだけの行事だ。夏休みの登校日もかねていて、今日さえ行けば夏休みが終わるまで学校の人間たちと会うことはない。

 正直山登りなんてしたくないし、クラスの連中となんてもっと嫌だ。でも行かないと、変に目立って、後からずる休みをしていたんじゃないかと疑われてしまう。

 別に私一人行ったところで影響なんてないのに、それ見たことかと糾弾してくる。

 私はもうそんなことが起きないように、お母さんやお父さんの「嫌なら休んでもいいよ」という言葉に首を横に振ったのだ。

 私は校外学習に行きたくない気持ちを悟られないようにして、「……い、いってきます」とお母さんに伝え、家を出た。

 扉がしまったのを確認してから、ため息を吐いて学校へ向かって歩き出す。

 今日の天気は晴れだ。朝見た天気予報では、梅雨明けの兆しが見えてきましたねなんて言っていた。いっそのこと、大雨でも降ってくれたら雨天中止になっただろうに。さすがに大雨の中、山登りなんてさせないだろうし。

 いっそ、雨でも降ってくれたらいいのに。

 そう思って、ふと終業式の日を思い出す。

 あの日、結局団地付近の連れ去りと同じように駅まで清水照道に送られた。

 駅に着く頃には雨は止んだけど、奴は髪まで濡れ、見ているこっちが寒く感じるほどだった。

 時期的に、電車は冷房がこれでもかと効いている。絶対に風邪を引くと思っていたけれど、夏休みが始まり会うことはなかったから、どうなったのか分からない。連絡先も知らないし。

 というか今日、またあいつのへらへらした顔を見なくちゃいけないのか。

 私はうんざりとした気持ちで、学校へと歩き出した。




 学校にたどり着くと、もう既に校門の前にはバスが停まっていた。

 バスの正面にはそれそれクラス番号が割り振られていて、乗り降りする扉の前には各クラスの担任が立っている。でも並びは順番じゃなくてバラバラだ。担任である安堂先生の姿を探して歩いていると、ちょうど一番端から二番目の位置に立っていた。

 先生はいつも河野由夏たちにくっついている人間に囲まれ、楽しそうに話をしている。話しかけ辛くて様子を伺っていると、先生は私に気付いた。

「あら樋口さんおはよう! バスの座席は自由だから、空いている席に座ってね」

 投げかけられた声に会釈をして通り過ぎ、バスの中へと乗り込む。

 安堂先生には、私が人となるべく話をしたくないことを伝えていない。

 先生と私で面談をする、なんてこともないし。知らないだろうと思う。本当なら、ある程度説明をしておいたほうがいいものらしいけど、中学校の一件があって、知られないほうがいいんじゃないかと黙ったままだ。

 でも、安堂先生は私について知らないけれど、そうしておいて良かったと思う。先生は基本的に、私や、クラスの中で権力のない人間を見ない。先生がいつも考えて気を遣うのはカースト上位にいる人間たちだけだ。私がどういった状況にあるのか説明して、何か改善されることなんてないだろうし、悪化するほうが想像に容易い。