午後四時。閉店中の黒猫カフェにいる客は愛斗ひとりだ。
凪人のパンケーキを気に入った愛斗は自らを「常連」と称して二週に一回のペースで通っている。凪人も最初は客として律儀に接していたが、回数を重ねるごとに親しくなり、いまではすっかり気を許している。
「歯ブラシ騒動があったっていうのにその話題性から歯ブラシのCMに起用されるんだから、芸能界って面白いところだよな」
皮肉にもとれる発言をして手元のキャラメルモカを一気飲みする。
「ところで今夜はアリスが出演する花火大会なんだろ? 俺も行きたいな」
カウンター席の向かいに立っていた凪人は呆れ顔を浮かべる。
「忘れているかもしれないですけど、あなた一応芸能人なんですよ」
「芸能人がなんだ。アリスが生放送で頑張る姿を見守らないでどうする」
「……口の周りにクリームついてます」
ナフキンを渡すと「ありがとう」と受け取って口周りを拭いている。こうして見ると仕草の一つ一つが様になるのに、まだ鼻先にクリームが付着しているのが残念だ。
「桃子さんから頼まれたんだ。意気地なしの息子がアリスをデートに誘えなかったら付き合ってやってほしいって。桃子さんには世話になっているから断れないし、請け負った以上は一部始終を報告する義務がある」
と言って取り出したスマホには母の連絡先がばっちり登録してある。
(母さん、一体どこまで交友範囲伸ばしてるんだ)
母は愛斗を息子の「友人」と認め、至らない部分をサポートしてもらうかわりに黒猫カフェを我が家のように利用していいと伝えてあった。お陰で愛斗は店が閉まっていても自由に出入りできるのだ。
「ところでアリスはどうした? あ、パンケーキ頼むな」
「アリスは午前中ここで勉強したあとマネージャーさんの車で会場に向かいましたよ。着替えや打ち合わせがあるんだとか。はい、パンケーキ一枚追加です」
「へぇ。着替えということは浴衣か」
「自前の浴衣があるって見せてくれましたよ。紺地に白やピンクの芍薬が描かれたものでした」
「着替えたのか? ここで?」
「そんな前のめりにならないでください。写真を見せてもらっただけですよ。以前に撮影で使ったものを買い取ったと言ってました」
その撮影があるまでアリスは公の場で浴衣を着たことはないと言っていた。
祖父母から買ってもらった子ども用の浴衣はあったものの、試着しただけでタンスの奥にしまい込み、そのまま忘れてしまった。
仕事以外で夏祭りや盆踊り、花火大会に参加したこともないらしい。
「なんか意外だったんですよね。アリスは日本で生まれ育ったのに浴衣を着てなかったなんて。おれなんか参加したくなくても母に無理やり着替えさせられて連れ出されていたのに」
レイジとしてテレビに出る前、引っ込み思案だった凪人は毎夏、母に抱えられるようにして地区の盆踊りに連れて行かれた。
会場に着いてしまったら泣いても叫んでもどうしようもない。帰り道が分からない凪人は永遠のような母たちのお喋りが終わるまで公民館のトイレに引きこもっているしかなかったが、薄暗くじめっとしていたトイレは恐怖以外の何物でもなく、いまでも古いトイレは怖い。
大口でパンケーキを頬張った愛斗が「分かってないな」と首を振る。
「アリスは綺麗すぎるんだよ。あの容姿で夏祭りなんかに来てみろ、大変な騒ぎになる」
当然のように言いのけた。惚れた弱味というわけではなく、純粋にそう思っているらしい。
「アリスほどの美少女なら男は一緒に歩きたいと思うだろうし、女なら自分より目立つ存在にはいてほしくないだろう。アリスはたぶん男より女の目を意識する。だから敢えて自分からは出かけなかったんだ」
「でももし誘われたら」
そこまで言って息を呑んだ。そうだ、と愛斗が頷く。
「アリスは誘ってもらいたかったんだ。浴衣を準備して、誰かに誘ってもらうのを待ってたんだ」
祭りの賑やかさを知りながらも参加できない。その淋しさはどれほどだろう。新品の浴衣に袖を通すこともできず、輪の外からしか眺められない孤独は。
(おれが花火大会に誘ってやれたら)
母にお膳立てをしてもらいながらも、今日まで言い出せずにいた自分が情けなくなってきた。アリスは待っていたかもしれないのに。
「ひとつ訊くけど」
あっという間にパンケーキを平らげた愛斗がカトラリーを置いた。その眼は真剣だ。
「ふたりは付き合ってないんだよな?」
凪人は黙りこむ。アリスの想いは痛いくらい知っている。学校内では自分を気遣って遠慮していることも、外では制御しきれず暴走ぎみになることも裏を返せば好意のせいだ。
対して自分はアリスのためにメニューを考えたり花火大会に誘ってみようかと思ったり「意識」している部分は確かにある。けれどそれがアリスの好意に対するものなのかというと――。
「……付き合ってはいません。ただの友人ですよ」
としか答えられなかった。
「なら、良かった」
言葉のとおりに捉えるのなら「ライバルではなくて良かった」と聞こえるのだが、どうやら違うらしい。
「アリスは愛情に飢えているんだよ。『恋に恋してる』とでも言うのかな、相手がどうこうではなくて、誰かに恋している自分が好きなんだと思う」
「なんですか……それ……」
「アリスはいい子だし、大切な友人だ。もちろん凪人のこともそうだと思ってる。だからこそ忠告する。おまえは本気になったらいけない。できるだけ長くアリスの気持ちをつなぎとめておくんだ。凪人はいい人だから問題ないけど、新たにアリスが好きになる相手がまともだという保障はないからな」
「すみません、おれにはよく分からなくて……」
愛斗がなにを言わんとしているのか分からない。混乱する。
「アリスが求めているのは小山内レイジだ。だからこそ芸能界に身を置いて彼を待っている。おれや凪人の存在は彼に至るまでの恋愛ステップに過ぎない、そう思うよ。――あ、カフェラテ一つ。カードで」
混乱しつつもその場を離れてエスプレッソマシーンを操作した。
愛斗の言葉を心の中で反すうする。
(小山内レイジ。そうか、アリスは初恋だって言ってたもんな)
夏祭りに行きたいと誘われなかったアリスは、同時に誘う勇気がなかったということでもある。そんなアリスが芸能界という複雑な世界へ飛び込んだ理由は一つ。小山内レイジをここで待つ。そう決めたからだ。
(もしレイジがおれだって知ったらアリスはどうするんだろう。いま以上に「本気」になる? でも、だとしたら凪人への態度は「本気ではない」?)
付き合っていないと言いながらどうしてこんなに動揺しているのか分からない。
考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
『しっかりするにゃ、レイジ』
突然飛び込んできた声にびっくりしてのけ反った。
「あぁ悪い。チャンネル変えるって聞こえなかったか?」
申し訳なさそうに詫びる愛斗の手にはリモコン。カウンターの上に置いてある中型テレビのものだ。
「平気です。ちょっと音量に驚いて」
本当はまだ心臓がばくばくしているが、そうとは悟られないよう平静を装ってカフェラテを運んだ。テレビの中では親しい人が犯人だと知って推理をやめようとしていたレイジがまっくろ太から猫パンチされ、涙を振り絞って推理を展開していた。
凪人はある違和感に気づく。
「これ録画じゃないですよね?」
母が毎朝見ているのは六年前にビデオデッキで録画したものだ。しかしいまテレビに映っているのはデジタルリマスターのキレイな映像。
「あぁ、先月くらいからこの時間に放送しているんだ。なんでも開局七十周年の一環で、過去に人気を博したドラマやアニメを再放送しているらしい。『黒猫探偵レイジ』がこんなに面白いとは知らなかったから凪人に教えてもらって良かったよ。特にまっくろ太がキュートだ」
テレビの中のまっくろ太はCGながらも良く動いている。必要に迫られて実際の猫が登場することもあった。
愛斗はカフェラテに手を付けることも忘れてテレビに見入っている。
「こんなに面白い作品がどうして打ち切りになったんだろうな。DVDで全話観たけど最終話はとても納得できるものじゃなかった。推理は駆け足だったし、行方不明だった父の手がかりを入手した感動のラストシーンなのにレイジは喜ぶどころかか死んだような目をしていた。セリフも少なかったし、発された言葉もまるで棒読みだった」
愛斗の指摘があまりにも的確で、だからこそ凪人はなにも言えなかった。
胃の辺りをおさえて立ちすくむしかない。
※
長くて短い十五分が終わった。
『黒猫探偵レイジ』を見て満足した愛斗は腕時計を見ながら立ち上がる。
「時間だな。そろそろ会場に行こう」
「その目立つ恰好でですか?」
「任せろ。変装には自信がある」
と言って目元が隠れる大きなサングラスをつけ、ついでに文化祭でもらったウサ耳のカチューシャを装着する。
「これをつけていると変人だと思って誰も近寄ってこないんだ。実にいいアイテムを入手した」
「ご満悦なところ悪いですけど、ただでさえ背高いのにウサ耳なんてされたら後ろの人が花火見えないですよ。だいいち、そんな人と行動するおれの身にもなってくださいよ。何回吐いたって間に合いません」
しょんぼり。愛斗はものすごく残念そうにウサ耳を外した。
(ちょっと言い過ぎたかな。せっかくおれのことを気遣ってくれたのに)
心の中で反省する凪人だったが、愛斗はめげていなかった。
おおきなスポーツバッグをあさり、とあるアイテムを取り出してくる。
「仕方ない。じゃあ百均で調達した禿げ頭のカツラにするか」
「そういう問題じゃないんです!!」
結局サングラスとマスクをつけてもらい、形ばかりの変装をして会場に向かうことになった。身長の高さはどうやっても隠しようがないので、できるだけ離れた場所でアリスのステージを見守るつもりだ。
「店の自宅も戸締りオッケー。よし行きましょう」
鍵の束をポケットに押し込むと愛斗と並んで歩き出した。会場までは徒歩だ。
電車を使うほうが早いが花火の見物客による混雑に巻き込まれたら逃げ道がないし、斉藤マナトの顔をまじまじと見られて騒ぎになるのも嫌だ。よって徒歩。
軽く一時間半はかかる距離だが隣をゆく愛斗はご機嫌らしく、時々鼻歌が聞こえてくる。
会場に近づくにつれて次第に人が増えていくが誰ひとりとして斉藤マナトには気がつかない。夕陽が落ちて辺りは暗くなっていくし、まさか芸能人がここまで堂々と歩いているとは思わないのだろう。
「……愛斗さんはまだ好きなんですか?」
なんとはなしに訊いてみた。だれの、とは言わない。
凪人のパンケーキを気に入った愛斗は自らを「常連」と称して二週に一回のペースで通っている。凪人も最初は客として律儀に接していたが、回数を重ねるごとに親しくなり、いまではすっかり気を許している。
「歯ブラシ騒動があったっていうのにその話題性から歯ブラシのCMに起用されるんだから、芸能界って面白いところだよな」
皮肉にもとれる発言をして手元のキャラメルモカを一気飲みする。
「ところで今夜はアリスが出演する花火大会なんだろ? 俺も行きたいな」
カウンター席の向かいに立っていた凪人は呆れ顔を浮かべる。
「忘れているかもしれないですけど、あなた一応芸能人なんですよ」
「芸能人がなんだ。アリスが生放送で頑張る姿を見守らないでどうする」
「……口の周りにクリームついてます」
ナフキンを渡すと「ありがとう」と受け取って口周りを拭いている。こうして見ると仕草の一つ一つが様になるのに、まだ鼻先にクリームが付着しているのが残念だ。
「桃子さんから頼まれたんだ。意気地なしの息子がアリスをデートに誘えなかったら付き合ってやってほしいって。桃子さんには世話になっているから断れないし、請け負った以上は一部始終を報告する義務がある」
と言って取り出したスマホには母の連絡先がばっちり登録してある。
(母さん、一体どこまで交友範囲伸ばしてるんだ)
母は愛斗を息子の「友人」と認め、至らない部分をサポートしてもらうかわりに黒猫カフェを我が家のように利用していいと伝えてあった。お陰で愛斗は店が閉まっていても自由に出入りできるのだ。
「ところでアリスはどうした? あ、パンケーキ頼むな」
「アリスは午前中ここで勉強したあとマネージャーさんの車で会場に向かいましたよ。着替えや打ち合わせがあるんだとか。はい、パンケーキ一枚追加です」
「へぇ。着替えということは浴衣か」
「自前の浴衣があるって見せてくれましたよ。紺地に白やピンクの芍薬が描かれたものでした」
「着替えたのか? ここで?」
「そんな前のめりにならないでください。写真を見せてもらっただけですよ。以前に撮影で使ったものを買い取ったと言ってました」
その撮影があるまでアリスは公の場で浴衣を着たことはないと言っていた。
祖父母から買ってもらった子ども用の浴衣はあったものの、試着しただけでタンスの奥にしまい込み、そのまま忘れてしまった。
仕事以外で夏祭りや盆踊り、花火大会に参加したこともないらしい。
「なんか意外だったんですよね。アリスは日本で生まれ育ったのに浴衣を着てなかったなんて。おれなんか参加したくなくても母に無理やり着替えさせられて連れ出されていたのに」
レイジとしてテレビに出る前、引っ込み思案だった凪人は毎夏、母に抱えられるようにして地区の盆踊りに連れて行かれた。
会場に着いてしまったら泣いても叫んでもどうしようもない。帰り道が分からない凪人は永遠のような母たちのお喋りが終わるまで公民館のトイレに引きこもっているしかなかったが、薄暗くじめっとしていたトイレは恐怖以外の何物でもなく、いまでも古いトイレは怖い。
大口でパンケーキを頬張った愛斗が「分かってないな」と首を振る。
「アリスは綺麗すぎるんだよ。あの容姿で夏祭りなんかに来てみろ、大変な騒ぎになる」
当然のように言いのけた。惚れた弱味というわけではなく、純粋にそう思っているらしい。
「アリスほどの美少女なら男は一緒に歩きたいと思うだろうし、女なら自分より目立つ存在にはいてほしくないだろう。アリスはたぶん男より女の目を意識する。だから敢えて自分からは出かけなかったんだ」
「でももし誘われたら」
そこまで言って息を呑んだ。そうだ、と愛斗が頷く。
「アリスは誘ってもらいたかったんだ。浴衣を準備して、誰かに誘ってもらうのを待ってたんだ」
祭りの賑やかさを知りながらも参加できない。その淋しさはどれほどだろう。新品の浴衣に袖を通すこともできず、輪の外からしか眺められない孤独は。
(おれが花火大会に誘ってやれたら)
母にお膳立てをしてもらいながらも、今日まで言い出せずにいた自分が情けなくなってきた。アリスは待っていたかもしれないのに。
「ひとつ訊くけど」
あっという間にパンケーキを平らげた愛斗がカトラリーを置いた。その眼は真剣だ。
「ふたりは付き合ってないんだよな?」
凪人は黙りこむ。アリスの想いは痛いくらい知っている。学校内では自分を気遣って遠慮していることも、外では制御しきれず暴走ぎみになることも裏を返せば好意のせいだ。
対して自分はアリスのためにメニューを考えたり花火大会に誘ってみようかと思ったり「意識」している部分は確かにある。けれどそれがアリスの好意に対するものなのかというと――。
「……付き合ってはいません。ただの友人ですよ」
としか答えられなかった。
「なら、良かった」
言葉のとおりに捉えるのなら「ライバルではなくて良かった」と聞こえるのだが、どうやら違うらしい。
「アリスは愛情に飢えているんだよ。『恋に恋してる』とでも言うのかな、相手がどうこうではなくて、誰かに恋している自分が好きなんだと思う」
「なんですか……それ……」
「アリスはいい子だし、大切な友人だ。もちろん凪人のこともそうだと思ってる。だからこそ忠告する。おまえは本気になったらいけない。できるだけ長くアリスの気持ちをつなぎとめておくんだ。凪人はいい人だから問題ないけど、新たにアリスが好きになる相手がまともだという保障はないからな」
「すみません、おれにはよく分からなくて……」
愛斗がなにを言わんとしているのか分からない。混乱する。
「アリスが求めているのは小山内レイジだ。だからこそ芸能界に身を置いて彼を待っている。おれや凪人の存在は彼に至るまでの恋愛ステップに過ぎない、そう思うよ。――あ、カフェラテ一つ。カードで」
混乱しつつもその場を離れてエスプレッソマシーンを操作した。
愛斗の言葉を心の中で反すうする。
(小山内レイジ。そうか、アリスは初恋だって言ってたもんな)
夏祭りに行きたいと誘われなかったアリスは、同時に誘う勇気がなかったということでもある。そんなアリスが芸能界という複雑な世界へ飛び込んだ理由は一つ。小山内レイジをここで待つ。そう決めたからだ。
(もしレイジがおれだって知ったらアリスはどうするんだろう。いま以上に「本気」になる? でも、だとしたら凪人への態度は「本気ではない」?)
付き合っていないと言いながらどうしてこんなに動揺しているのか分からない。
考えれば考えるほど胃が痛くなってくる。
『しっかりするにゃ、レイジ』
突然飛び込んできた声にびっくりしてのけ反った。
「あぁ悪い。チャンネル変えるって聞こえなかったか?」
申し訳なさそうに詫びる愛斗の手にはリモコン。カウンターの上に置いてある中型テレビのものだ。
「平気です。ちょっと音量に驚いて」
本当はまだ心臓がばくばくしているが、そうとは悟られないよう平静を装ってカフェラテを運んだ。テレビの中では親しい人が犯人だと知って推理をやめようとしていたレイジがまっくろ太から猫パンチされ、涙を振り絞って推理を展開していた。
凪人はある違和感に気づく。
「これ録画じゃないですよね?」
母が毎朝見ているのは六年前にビデオデッキで録画したものだ。しかしいまテレビに映っているのはデジタルリマスターのキレイな映像。
「あぁ、先月くらいからこの時間に放送しているんだ。なんでも開局七十周年の一環で、過去に人気を博したドラマやアニメを再放送しているらしい。『黒猫探偵レイジ』がこんなに面白いとは知らなかったから凪人に教えてもらって良かったよ。特にまっくろ太がキュートだ」
テレビの中のまっくろ太はCGながらも良く動いている。必要に迫られて実際の猫が登場することもあった。
愛斗はカフェラテに手を付けることも忘れてテレビに見入っている。
「こんなに面白い作品がどうして打ち切りになったんだろうな。DVDで全話観たけど最終話はとても納得できるものじゃなかった。推理は駆け足だったし、行方不明だった父の手がかりを入手した感動のラストシーンなのにレイジは喜ぶどころかか死んだような目をしていた。セリフも少なかったし、発された言葉もまるで棒読みだった」
愛斗の指摘があまりにも的確で、だからこそ凪人はなにも言えなかった。
胃の辺りをおさえて立ちすくむしかない。
※
長くて短い十五分が終わった。
『黒猫探偵レイジ』を見て満足した愛斗は腕時計を見ながら立ち上がる。
「時間だな。そろそろ会場に行こう」
「その目立つ恰好でですか?」
「任せろ。変装には自信がある」
と言って目元が隠れる大きなサングラスをつけ、ついでに文化祭でもらったウサ耳のカチューシャを装着する。
「これをつけていると変人だと思って誰も近寄ってこないんだ。実にいいアイテムを入手した」
「ご満悦なところ悪いですけど、ただでさえ背高いのにウサ耳なんてされたら後ろの人が花火見えないですよ。だいいち、そんな人と行動するおれの身にもなってくださいよ。何回吐いたって間に合いません」
しょんぼり。愛斗はものすごく残念そうにウサ耳を外した。
(ちょっと言い過ぎたかな。せっかくおれのことを気遣ってくれたのに)
心の中で反省する凪人だったが、愛斗はめげていなかった。
おおきなスポーツバッグをあさり、とあるアイテムを取り出してくる。
「仕方ない。じゃあ百均で調達した禿げ頭のカツラにするか」
「そういう問題じゃないんです!!」
結局サングラスとマスクをつけてもらい、形ばかりの変装をして会場に向かうことになった。身長の高さはどうやっても隠しようがないので、できるだけ離れた場所でアリスのステージを見守るつもりだ。
「店の自宅も戸締りオッケー。よし行きましょう」
鍵の束をポケットに押し込むと愛斗と並んで歩き出した。会場までは徒歩だ。
電車を使うほうが早いが花火の見物客による混雑に巻き込まれたら逃げ道がないし、斉藤マナトの顔をまじまじと見られて騒ぎになるのも嫌だ。よって徒歩。
軽く一時間半はかかる距離だが隣をゆく愛斗はご機嫌らしく、時々鼻歌が聞こえてくる。
会場に近づくにつれて次第に人が増えていくが誰ひとりとして斉藤マナトには気がつかない。夕陽が落ちて辺りは暗くなっていくし、まさか芸能人がここまで堂々と歩いているとは思わないのだろう。
「……愛斗さんはまだ好きなんですか?」
なんとはなしに訊いてみた。だれの、とは言わない。

