峯岸さんに遮られた小池くんは、ひとつ咳払いをした。彼は顔を隠すかのように、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「失礼しました、峯岸部長。本題に入ってください」
 みんなは安堵したように肩の力を抜く。
 以前、未来工学についてディスカッションしたときには、小池くんは持論を一時間以上にわたり展開したことがあったからだ。
「次のテーマを決めましょう。みんなの提案から候補に残したのは、『水没した村の龍神伝説』『一家が惨殺された猟奇事件』『史跡に見る縄文時代』これらから選びましょう」
 峯岸さんは各候補について詳しい内容を書いたプリントをみんなに手渡す。
 私は右手を伸ばしてそれを受け取る。
 左手の手のひらには痣があるので、見えてしまわないようにいつでもそうするのが癖になっている。
 前回は未来についてのことだったので、今回は過去に起こった事件や史実を中心に候補が絞られていた。各候補には簡単な説明と、調べるべき箇所の提案が羅列されている。
 西河くんはプリントを見ると、すぐに意見を述べた。
「俺は水没した村の龍神伝説がいいな」
「じゃあ、私も」
 間髪入れず、沙耶が賛同する。
 龍神伝説というテーマは西河くんが提案したものだった。
 大昔に水没した山間の村があって、その原因が龍神の怒りに触れたからだという。
「大昔に水害のあった地域に残る逸話ね。龍神の怒りに触れたから村が水没したとか……。でも信憑性に欠けるわね。資料が少ないんじゃないかしら」
 峯岸さんは難色を示した。
 龍神なんて実在するわけはない。そういった伝説を聞いたこともなかった。
「だから調べるんだよ。俺の提案だから、俺が主導する」
 西河くんは、このテーマにとても興味を持っているようだ。
 峯岸さんは隣の道後くんに目を向けた。
「あとのふたつは話し合いで出たものを取り上げたのよね。道後くんの意見はどうかしら?」
「どれでもいいかな。リーダーがいないと進まないっていうことが多いから、今回は西河の出したお題でいいんじゃないか?」
「消極的な理由ね。でも主導者がいるかいないかで進捗に大きく影響するのは確かだわ。相原さんはどれがいいかしら?」
 意見を求められた私はプリントを眺めながら検討する。
「そうですね……。一家惨殺は実際の事件なので扱いが繊細になりますし、縄文時代を史跡から紐解くという内容ですと、資料の丸写しになってしまうのではないかと思うんです。龍神伝説については資料が少ないということなので、逆に調べがいがあってよいのではないかなと思います」
 西河くんと沙耶に肩入れするわけではないけれど、消去法で龍神伝説を推薦した。
 ひとつ頷いた峯岸さんは小池くんを見やる。
「小池くんは、どうかしら?」
「どれも自分には興味が引かれないテーマですね。過去には興味ありませんので」
「そうは言っても、似たようなテーマを連続することはできないわ。今回はこの中から選ぶわよ」
「先輩方にお任せします」
 道後くんと小池くんは、どれでも良いというスタンスで明確な意思はないようだ。流れからすると、ほぼ龍神伝説に決定らしい。
「一応採決を取りましょう。龍神伝説がいいという人、手を挙げて」
 全員の手が挙がる。
 なぜか峯岸さんと道後くんの視線が、挙手した私の頭上に向けられた。
 え、と不思議に思ったとき、道後くんの大きな声が上がる。
「おい、相原どうしたんだ? その手の傷、自分でつけたんじゃないだろうな」
「あっ……」
 しまった。
 咄嗟に私は手を下ろして、拳を握る。
 右手にプリントを持っていたので、無意識に空いたほうの左手を挙げてしまった。左手の手のひらには、痣があるのに。
 向かいに座っていた峯岸さんと道後くんからは、よく見えたに違いない。
 みんなの視線が私に集中する。
 背後の小池くんはなんのことかわからず、首を捻っていた。
 自傷だと思われてしまった。
 だから、嫌なのに。見られたくないのに。何か言わなくちゃ。
「あの、これは、その……」
「生まれたときからあるんだよな?」
 口籠もっていた私をフォローしてくれたのは、西河くんだった。その言葉に、私は幾度も頷く。
「そう、そうなんです。変な形してるんですけど、生まれたときからある痣なんです」
 口に出してから、どうしてそのことを西河くんが知っているのだろうと不思議に思う。偶然だろうか。
 眉根を寄せた峯岸さんは、道後くんに苦言を呈した。
「道後くん、女子の体のことについて指摘するなんて感心しないわ。相原さんに謝りなさいよ」
「いや、目に留まったから、つい……。悪かった、相原」
 道後くんは気まずそうに後頭部を掻きながら頭を下げる。
 私は慌てて首を横に振った。
「気にしないでください。よくどうしたのって聞かれるので、慣れてますから」
 私が言い終えると、なんだか微妙な空気が部室に流れた。
 道後くんの言ったとおり、やはり傷に見えるらしい。
 私の名前に関連しているので、命名に何か理由でもあるのかと、みんなは訝っているのだと私は邪推した。
 口火を切ることを恐れるような気配が、そこはかとなく漂う。
 沈黙が、ぴりりと痛い。
 峯岸さんは次の言葉をようやく絞り出した。
「それじゃあ……次のテーマは龍神伝説に決定ね。西河くん、主導してくれるわね?」
「もちろん。実は俺は、その龍だからね」
「……は?」
 みんなは目を瞬く。
 西河くんが突然発した台詞を、私を含めた全員が反芻していた。
「俺の正体は、龍神伝説に登場した龍なんだよ」
 堂々と宣言した西河くんに、みんなは沈黙で応える。
 直後に道後くんは大笑いした。
「あっはっは! 西河、それってゲームの設定かなんか?」
「違うって。事実なんだよ。秘密だぞ」
 秘密と言いながら部員全員に知らせているわけである。
 唐突すぎる西河くんの告白に、私は呆気にとられていた。
 冗談……なのかな。
 道後くんは笑いが止まらないらしく、腹を抱えている。小池くんは「ゲームは興味ないですね」と、ぽつりと呟いていた。
 峯岸さんと沙耶に至っては、これまでに見たことのないような白けた目線を西河くんに向けている。
 実は俺は伝説に登場する龍なんだ、なんて真顔で言われたら、夢見がちな勘違い男子と思われても仕方ないだろう。