同じ一年生でも、飛び抜けて変わっていたのはひかるである。

 みな穂の幼なじみの妹にあたる。

 中学生時代にみな穂がアイドル部に入ったと聞くや、

「私もアイドル部に入る!」

 といい、それまで習っていなかったダンスを本格的にやり始めようとしたが、はたと気がついたものか、

「千波ちゃんが抜けたら、作曲担当が空く」

 そう先を読んでボーカロイドのソフトを使い、独学で作曲を始めたというエピソードがある。

 どうやら先見の明はあったらしく、

「衣装デザインのデジタル化」

 という、誰も手を付けていなかった面を手掛けたり、公式チャンネルやTwitterなどをカスタマイズするといった、アイドル部が弱かった面を強化する方向を選択した。

「シリアルナンバーを管理しましょう」

 と言い、学年と五十音順でポロシャツに背番号を縫い付けた物を使って、シリアルナンバーを可視化したのもひかるの発案である。

 のちにこの練習用ポロシャツはグッズ化され、背番号をカラーリングするというアイデアでヒット商品となり、アパレルメーカーと組んだコラボグッズとなった。

 このとき、背番号1をつけるようにみな穂が推されたのだが、

「私ずっと11だったからなぁ」

 と言うと、部長は11番という不文律がいつの間にか出来た。

 他にもメジャーデビューしたののか、雪穂やすみれの2、6、8は欠番となり、

「欠番になれるように頑張ります!」

 というのがメンバーの挨拶の常套句となった。