一年ばかり先送りされていたのには、理由がある。
たまたまアイドル部の全国ツアーの最中であった昨年のゴールデンウィークのさなか、茉莉江が流産してしまったからであった。
「式は日延べやな」
茉莉江の体調と精神状態を慮ってのことである。
この一事をもってしても、清正が茉莉江をいかに下に置かぬ扱いをしていたかという事実が窺い知れる。
他方で、福岡から広島、大阪、名古屋、東京、仙台、札幌と七箇所を、連休や夏休み、冬休みなどを利用したツアーで、春休みの札幌公演がファイナルとなった。
日頃北海道からほとんど出ることなく発信して活動をしていた割に、ツアーでは完全制覇した遠征組や、中にはロシアからわざわざ仕事を退職してツアーを観覧しまくったというツワモノもあって、なかなか濃い展開のツアーとなった。
それから約一ヶ月しての四月末の挙式である。
「まぁここしかタイミングなかったからなぁ」
清正はもらした。
このあとは六月のリラ祭、八月の石狩の夏フェス、秋にはアルバムリリース…とスケジュールも詰まり気味である。
まさに隙間であった。