四月に新入部員が来ると、五月の連休明けまでみっちり基礎を見て、メンバーをボーカルやダンスに振り分け、残り枠は部内選考で投票して決める…というのが、アイドル部の創部当初からのスタイルである。

 平等にものが言えるように、敬語は出来るだけ使わないことも、ルールとしてある。

 この形におさまるまでは紆余曲折もあったようだが、初期メンバーがフラットな環境を作り上げていたことが、体育会系でも文化系でもない、どちらかにも当て嵌まらない気風を(そだ)て上げた──といっていい。

 アイドル部はこの段階では花形の部活動で、しかし人気の部活動なるがゆえに闇雲に入りたがる者もあることから、

「まずは体験レッスンから」

 として、美波が厳しい練習をあえて課す。

 通称を「美波ブートキャンプ」と呼ばれた厳しいダンスレッスンで、これだけでたいがい篩にかけたように落とされるのが大半である。

 これで数十人からひどいときは十人弱ぐらいまで選り抜かれる。

 さらに成績とボーカルチェックで選ばれてゆくのだから、受験の前から対策をして臨む生徒もいた。

 この徹底した少数精鋭制はやがて、他校のスクールアイドルユニットの選考の参考とされ、

「ライ女スケール」

 という呼び名で浸透するにいたった。