翌朝、二年一組の私の机には、『裏切り者』と書かれた紙が、ご丁寧に糊で貼ってあった。
破れないように丁寧に剥がして、よくよく見てみる。
マジックで書いた走り書きにしては、几帳面で綺麗な字だった。
(本当なら、ギッタギッタのボロボロにして捨てたいところだけど……ここはやっぱり、後で何かの役に立つかも知れないから、証拠として取っておかないとね……!)
必死に心の中で自分に言い聞かせながら、私は小さく折り畳んだその紙切れを、胸ポケットにしまった。
(だけど……!)
私の前の席の、諒の机を見ながらムッする。
ちなみに諒はまだ登校していない。
(なんで? なんで諒の席には何も貼ってないのよ!)
まるで私の様子を探るかのように集まってくる視線を感じて、すばやく辺りを見回す。
慌てて逸らすのが遅れた視線の主から察した。
(つまり……敵は柏木たちだけじゃないってことね……しかも、直接関係ないはずのその人たちのほうが、ずっと陰湿で性質が悪いってことね……!)
ため息が出た。
あきらかに『嫉妬』という名の、痛いくらいの視線がまたブスブスと教室の四方八方から私に突き刺さる。
おおかた、「勝浦君と仲良くしてんじゃないわよ!」とか、「いつの間に芳村君とお近づきになってんのよ!」とかいった類の非難の視線だろう。
ある意味、女の嫉妬のほうが、柏木たちの怒りに勝ったということだ。
(柏木もお気の毒……まあ別に私は、これぐらいどうってこともないけどね。もとから女子の中では浮いてるし……どちらかと言ったら煙たがられてるって自覚もあるし……でもさすがにこれは、佳世ちゃんを巻きこむわけにはいかないな……)
そう考えた私は、いつものように「おはよう」と私のところへやって来た佳世ちゃんに、すぐさま提案した。
「あのね、しばらくは私に関わらないほうがいいと思うんだ……私は別に平気だから……」
「でも……」
佳世ちゃんはかなりためらった。
「でもね、琴美ちゃん……私……!」
その後に続くのはきっと、優しい佳世ちゃんの私を心配する言葉だと思ったし、彼女が辛そうな顔をしているのは、私を一人ぼっちにしてしまうことに対する罪悪感からだと思った。
だから私は尚更、「佳世ちゃんのために」といきり立った。
「いいからいいから……生徒会選挙が終わるまでの間だし、私はちゃんと佳世ちゃんを信じてるから……ね?」
もし私がこの時、佳世ちゃんの様子がいつもと違うことにすぐに気づいて、ちゃんと彼女の言葉に耳を傾けてあげられていたら、何かが変わっていたんだろうか。
――その答えはわからない。
でも、いつだって自分のことで頭がいっぱいの私には、佳世ちゃんの気持ちにまで思考をめぐらすなんて、やっぱりこの時も全然できはしなかった。
その日の三時間目の授業は、運悪く体育だった。
体育は二クラス合同で男女別におこなわれる。
私たちA組は、C組と合同だ。
着替えのために更衣室へ向かうのに、誰も私に声をかけず、まるでそこにいないかのように無視して通り過ぎるのは、また今までとは違った感じで、実に新鮮な体験だった。
(まるで透明人間にでもなったみたいだよ……)
冗談まじりにそうは思ってみても、いつも一緒だった佳世ちゃんがいないというのは、正直寂しい。
けれど――。
(今だけ……今だけなんだから!)
自分に言い聞かせながら、私はせいいっぱい平気な顔で、一人で更衣室へ向かった。
私が着いた時には、みんな着替えながらのおしゃべりの真っ最中で、中からは賑やかな声が聞こえていた。
(私一人がいなくたって、みんなにはまるで関係ないんだよな……)
そう思うと少し悲しい気はしたけれど、今の私には他の場所に、必要としてくれる仲間がいる。
そのことがひどく心強かった。
ドアを開けようとドアノブに手をかけて、それがピッタリと閉じていて開かないことに驚く。
いくらガチャガチャとまわそうとしてみても、ビクとも動かなかった。
(しまった! 鍵をかけられた!)
そう気がついた時にはもう遅くて、中からは何人分ものクスクスクスという忍び笑いが聞こえてきた。
なんとか開かないものかと私がガチャガチャと扉を揺するたびに、その笑い声はますます大きくなっていく。
私はだんだん、怒りで頭がクラクラしてきた。
「だいたいさあ……クラスの和ってものをどう考えてるわけ?」
「そうそう! 『同じクラスの候補者たちなんて、私には関係ないです』ってばかりに、すました顔して、他のクラスの連中と組んじゃってさぁ」
これみよがしに聞こえてくる会話の内容に、ドキリと胸が鳴る。
「調子に乗りすぎなのよ、あの女!」
あきらかに敵意を持って、交わされる会話。
どうにかして更衣室に入ろうとしていた私の両手は力をなくしてしまって、ドアから離れた。
(聞き覚えのある声だな……きっとあの子とあの子と……)
人よりちょっと記憶力のいい私の頭が、この際どうでもいい情報を、記憶のデータバンクから次々と引き出していく。
今大事なのはそんなことじゃないのに、私がこんなにみんなに嫌われているっていう現実なのに、余計なデータの照合は、私の頭の中でなかなか終わってくれない。
更衣室に入るだけなら、力任せに押し破ることもできる。
けれど今重要なのはそんなことじゃない。
私がこんなにみんなに歓迎されていないってことだ。
(来たくて来た学校じゃなかった……渉と佳世ちゃんさえいれば、他に友達なんていらないと思ってた。だけど……)
悔しさに唇をかみ締めた時、ふいに後ろから手を引かれた。
「こっち」
小さいけれど印象的な声に、驚いてふり返ってみると、茶色い髪の色白の女の子が立っていた。
「う、うらら?」
いつも『HEAVEN準備室』では寝顔しか見たことのなかったうららが、私の顔を真っ直ぐに見つめて、そこには立っていた。
「琴美、こっち」
短く言って、私の手を引き歩き出す。
私は慌てて、体操服を胸に抱えたまま、うららについて行った。
破れないように丁寧に剥がして、よくよく見てみる。
マジックで書いた走り書きにしては、几帳面で綺麗な字だった。
(本当なら、ギッタギッタのボロボロにして捨てたいところだけど……ここはやっぱり、後で何かの役に立つかも知れないから、証拠として取っておかないとね……!)
必死に心の中で自分に言い聞かせながら、私は小さく折り畳んだその紙切れを、胸ポケットにしまった。
(だけど……!)
私の前の席の、諒の机を見ながらムッする。
ちなみに諒はまだ登校していない。
(なんで? なんで諒の席には何も貼ってないのよ!)
まるで私の様子を探るかのように集まってくる視線を感じて、すばやく辺りを見回す。
慌てて逸らすのが遅れた視線の主から察した。
(つまり……敵は柏木たちだけじゃないってことね……しかも、直接関係ないはずのその人たちのほうが、ずっと陰湿で性質が悪いってことね……!)
ため息が出た。
あきらかに『嫉妬』という名の、痛いくらいの視線がまたブスブスと教室の四方八方から私に突き刺さる。
おおかた、「勝浦君と仲良くしてんじゃないわよ!」とか、「いつの間に芳村君とお近づきになってんのよ!」とかいった類の非難の視線だろう。
ある意味、女の嫉妬のほうが、柏木たちの怒りに勝ったということだ。
(柏木もお気の毒……まあ別に私は、これぐらいどうってこともないけどね。もとから女子の中では浮いてるし……どちらかと言ったら煙たがられてるって自覚もあるし……でもさすがにこれは、佳世ちゃんを巻きこむわけにはいかないな……)
そう考えた私は、いつものように「おはよう」と私のところへやって来た佳世ちゃんに、すぐさま提案した。
「あのね、しばらくは私に関わらないほうがいいと思うんだ……私は別に平気だから……」
「でも……」
佳世ちゃんはかなりためらった。
「でもね、琴美ちゃん……私……!」
その後に続くのはきっと、優しい佳世ちゃんの私を心配する言葉だと思ったし、彼女が辛そうな顔をしているのは、私を一人ぼっちにしてしまうことに対する罪悪感からだと思った。
だから私は尚更、「佳世ちゃんのために」といきり立った。
「いいからいいから……生徒会選挙が終わるまでの間だし、私はちゃんと佳世ちゃんを信じてるから……ね?」
もし私がこの時、佳世ちゃんの様子がいつもと違うことにすぐに気づいて、ちゃんと彼女の言葉に耳を傾けてあげられていたら、何かが変わっていたんだろうか。
――その答えはわからない。
でも、いつだって自分のことで頭がいっぱいの私には、佳世ちゃんの気持ちにまで思考をめぐらすなんて、やっぱりこの時も全然できはしなかった。
その日の三時間目の授業は、運悪く体育だった。
体育は二クラス合同で男女別におこなわれる。
私たちA組は、C組と合同だ。
着替えのために更衣室へ向かうのに、誰も私に声をかけず、まるでそこにいないかのように無視して通り過ぎるのは、また今までとは違った感じで、実に新鮮な体験だった。
(まるで透明人間にでもなったみたいだよ……)
冗談まじりにそうは思ってみても、いつも一緒だった佳世ちゃんがいないというのは、正直寂しい。
けれど――。
(今だけ……今だけなんだから!)
自分に言い聞かせながら、私はせいいっぱい平気な顔で、一人で更衣室へ向かった。
私が着いた時には、みんな着替えながらのおしゃべりの真っ最中で、中からは賑やかな声が聞こえていた。
(私一人がいなくたって、みんなにはまるで関係ないんだよな……)
そう思うと少し悲しい気はしたけれど、今の私には他の場所に、必要としてくれる仲間がいる。
そのことがひどく心強かった。
ドアを開けようとドアノブに手をかけて、それがピッタリと閉じていて開かないことに驚く。
いくらガチャガチャとまわそうとしてみても、ビクとも動かなかった。
(しまった! 鍵をかけられた!)
そう気がついた時にはもう遅くて、中からは何人分ものクスクスクスという忍び笑いが聞こえてきた。
なんとか開かないものかと私がガチャガチャと扉を揺するたびに、その笑い声はますます大きくなっていく。
私はだんだん、怒りで頭がクラクラしてきた。
「だいたいさあ……クラスの和ってものをどう考えてるわけ?」
「そうそう! 『同じクラスの候補者たちなんて、私には関係ないです』ってばかりに、すました顔して、他のクラスの連中と組んじゃってさぁ」
これみよがしに聞こえてくる会話の内容に、ドキリと胸が鳴る。
「調子に乗りすぎなのよ、あの女!」
あきらかに敵意を持って、交わされる会話。
どうにかして更衣室に入ろうとしていた私の両手は力をなくしてしまって、ドアから離れた。
(聞き覚えのある声だな……きっとあの子とあの子と……)
人よりちょっと記憶力のいい私の頭が、この際どうでもいい情報を、記憶のデータバンクから次々と引き出していく。
今大事なのはそんなことじゃないのに、私がこんなにみんなに嫌われているっていう現実なのに、余計なデータの照合は、私の頭の中でなかなか終わってくれない。
更衣室に入るだけなら、力任せに押し破ることもできる。
けれど今重要なのはそんなことじゃない。
私がこんなにみんなに歓迎されていないってことだ。
(来たくて来た学校じゃなかった……渉と佳世ちゃんさえいれば、他に友達なんていらないと思ってた。だけど……)
悔しさに唇をかみ締めた時、ふいに後ろから手を引かれた。
「こっち」
小さいけれど印象的な声に、驚いてふり返ってみると、茶色い髪の色白の女の子が立っていた。
「う、うらら?」
いつも『HEAVEN準備室』では寝顔しか見たことのなかったうららが、私の顔を真っ直ぐに見つめて、そこには立っていた。
「琴美、こっち」
短く言って、私の手を引き歩き出す。
私は慌てて、体操服を胸に抱えたまま、うららについて行った。