結果は私たち『HEAVEN』の――貴人の圧勝だった。
 
 立会演説会の三日後におこなわれた全校投票で、貴人は、柏木に実に五倍以上の差をつけて当選した。
 
「星誠学園 第八代生徒会『HEAVEN』」
 
 準備室の黒板にでかでかと大きな文字で書いて、私は有頂天だった。
 盆と正月が一緒に来たような気分とは、実際こういうことを言うのかもしれない。
 
「お祝いをしようか?」
 貴人の言葉に、全員が笑顔で同意する。
 美千瑠ちゃんにお茶を淹れてもらって、みんなで持ち寄ったお菓子を食べて。
 やっていることはいつもの休憩時間となんら変わりはなかったが、私はとても幸せな気分だった。
 
「これでこの部屋ともお別れだからな……」
 剛毅の言葉に、みんなは改めて『HEAVEN準備室』を見渡す。
 
「そうか! これからはちゃんとした生徒会室に移動することになるんだね……!」
 夏姫がポンと手を打って、それからみんななんだかしんみりとなった。
 
 私もとっても寂しかった。
 たった二ヶ月半だったけれど、貴人に連れられてこの部屋に初めて来たあの日から、私の高校生活は激変した。
 
 辛いこと。
 悔しいこともたくさんあったけれど、いつもこの部屋に来るたび、みんなに元気を貰った。
 南側の窓に面した、空が良く見えるこの椅子は、今ではすっかり私のお気に入りの指定席になった。
 
(でももうそれともお別れか……)
 ちょっぴり切なく思った時、貴人がニッコリ笑って手を上げた。
 
「そのことなんだけど……愛着もあるし、このままこの部屋を生徒会室にしたらどうかと思うんだ……」
 
 美千瑠ちゃんがすぐにパチパチパチと手を叩く。
「まあ、素敵……」
 
 パソコンに向かっていた智史君も眼鏡を取って、久々に天使の微笑を見せた。
「そうだね……そのほうがいいと思うよ」
 
 他のみんなもそれぞれに頷きあっている。
 
 私たちはこの部屋の使用を、改めて学校側にお願いすることになった。
 
 まだ創立十年にも満たない新設校。
 勉強に力を入れるあまり、部活動はないに等しい。
 本来は各部の部室のために建てられたこの特別棟は、いまだに部屋が余り放題だった。
  
 先生方は快く承諾して下さり、私たちは『HEAVEN準備室』を、そのまま生徒会室として、使わせてもらえることになった。
 
 教室がある一号棟・二号棟からは、かなり離れた特別棟。
 しかも四階の一番奥。
 遠いと言えば遠いけれども、私たちにとってはたくさんの思い出が詰まった場所だ。
 
(そしてこれからも、もっとたくさんの思い出が、ここで増えていく……)
 なんだか嬉しくて、一人で笑う私の顔を見て、繭香がニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
 
「これで琴美の宣言のうちの一つは実現されたわけだが……もう一つのほうは大丈夫なのか?」
「えっ? 宣言って何?」
 
 私は首を傾げて繭香の顔を見たが、意味深に笑っているだけで、全然教えてくれない。
 仕方なくみんなの顔を見回す。
 
 見惚れるような笑顔の貴人。
 
 笑いをかみ殺したような順平君と玲二君。
 
 うららはいつものように寝ているし、夏姫と剛毅は絶対わかっているくせに知らん顔をしている。
 
 美千瑠ちゃんと可憐さんの綺麗な微笑からは、何も読み取れない。
 
 智史君は読みかけの本に目を落としたまま顔を上げない。
 
 困り果てて諒のほうを見ると、実になんとも言えない顔で笑っていた。
「ほんっとにしょうがないな! お前は……!」
 
 ため息をつきながらも、おそらく諒が答えを教えてくれようとした瞬間、私はもうずっと以前に、柏木相手に切った啖呵をふいに思い出した。
 
『次のテストでは絶対にあんたよりいい点数取って大笑いしてやる! 生徒会選挙だって、貴人はあんたなんかに絶対負けないんだからね!』
 
「ああああっ!」
 叫ぶ私に、みんなは揃って大爆笑し始める。
 
「期末テストまでもう二日しかないじゃないのよ! こんなことしていられないわ!」
 私は急いで立ち上がって、鞄を掴んだ。
 
「私、帰るからっ!」
 みんなの顔をぐるっと見渡して部屋を出た途端、また背後から大爆笑が聞こえてくる。
 
 心はこの上なく焦っているのに、駆ける足はもつれて転びそうなほどなのに、思わず私まで笑顔になる。
(仲間がいるって本当に楽しい!)
 
 四階ぶんの階段を、一気に駆け下りながら思った。
(みんながいれば……確かにこの高校生活は、いつだって『HEAVEN』だ!)
 
 呪文のように何度も、その言葉を心の中でくり返していた。


 
 二週間後。
 
 見事私は二年A組の教室で、一番前列の席に返り咲いた。
 隣はもちろん諒。
 
「体調が万全なら当たり前だ!」
 胸を張る諒に向かって、私も胸を張る。
 
「私だって失恋しなきゃ当たり前なのよ!」
 二人で顔を見あわせて笑った。
 
 柏木は――と言うと、私の二つ後ろの列。
 生徒会選挙で貴人に負けたことが、よっぽどショックだったのだろうか。
 いつもよりかなり順位を落としている。
 
 でも諒と二人揃って学年トップスリーに返り咲いたとはいっても、私が三番で、諒が二番。
 
 そのさらに上の学年主席は、柏木の取り巻きの黒田君でもなかった――。


 
 
 期末考査の順位表貼り出しの朝、私はいつもより少し早く学校に行った。
 
(自信はあるけど、もしもってこともあるもんね)
 強がってはみても、実際は内心ヒヤヒヤものだった。
 
 いくら探しても自分の名前がなかった中間考査の時の、暗く沈んだ気持ちが甦る。
 しかも今回は、絶対に柏木よりは上の順位にいなければならないとプレッシャーもかかっている。
 
(神様! どうか、どうかお願いします!)
 最後は神頼みしながら、学校へ着いた。
 
 靴箱のところで、偶然諒と会った。
 いつもは私よりも遅い時間にしか登校してこない諒が、今日はどうやら、三十分は早く家を出たらしい。
 
「おはよう」
 と声をかけあいながら、
(いったい私と諒って、どこまで似たもの同士なんだろう)
 とおかしくなった。
 
 笑いをかみ殺した私の顔に、諒は、
「なんだよ?」
 と胡散臭げに尋ねる。
 
「別に……なんでも……」
 私は軽くかわして、先に立って歩き始めた。
 
「待てよ」
 諒がすぐに追い着いて隣に並ぶ。
 
 私たちは二人で並んで、成績順位表の前に立った。
 
 五十位から順に名前を確認しながら、徐々に目線を上げていく。
 
 二十三位のところに柏木の名前を見つけて、私は小さくガッツポーズした。
 
(よしっ! これで柏木より上なのは確定よ! 今回の成績が五十位以下だとはとても思えないもの!)
 勢いよく上に目線を跳ね上げた私は、三位のところに自分の名前を見つけて心底ホッとした。
 
(良かった! 学年トップスリーに返り咲いた!)
 でもそのすぐ上に諒の名前を見つけたことには、少しムッとする。
 
(さすが諒ね……まあこの場合はしょうがないわ……一応仲間でもあることだし……少しくらいは一緒に喜んであげるわ……)
 
 そんなことを思いながら隣に立つ諒の顔を見た私は、彼が呆気に取られていることに気がついた。
 
 私の視線に気がついてこちらを見た諒は、私の表情がいつもと変わらないことを確認し、ハーッと大きなため息を吐く。
 
 その様子があまりにも失礼だったので、つい喧嘩腰になった。
「なによ?」
 
 諒は呆れたように、視線で順位を指す。
「いいから……もっとよく見てみろ!」
 
 かなり失礼な諒の態度に、私は唇を尖らせた。
(見ろって言われたって……だって私と諒の上には……)
 
 何気なくその表の一番上を見上げた私は、
「ああああっ!」
 とてつもない大声を出して、慌てて諒に口を塞がれた。
 
『第三位 近藤琴美』
『第二位 勝浦諒』
 
 そのさらに上に書かれていた名前は、
『第一位 芳村貴人』
 その人だった。
 
「えっ貴人!? 本当に!?」
 自分の名前があった時よりも大喜びして、今にも踊りだしそうな私の隣で、諒はまたため息を吐く。
 
「あーあ……せっかくお前にも勝っていい気分だったのに……貴人が本気を出したらこうなるのか。俺ってホントについてない……っていうか、かっこ悪いなあ……」
 その声はかなり落ちこんでいるふうだった。
 
 でも私が見る諒の横顔は、本人が言うように「かっこ悪い」なんてことは絶対にない。
 だから思ったことを口に出さずにはいられない私は、思わず即答してしまった。
 
「そんなことないよ。諒はかっこいいよ」
 言ってしまってから、自分でハッとする。
 
(な、何? 何言ってるの私!)
 驚いたように目を見開いて、見る見るうちに真っ赤になっていく諒につられて、私も赤くなる。
 
 なんだか諒がこのままどこかに逃げてしまいそうな気配を察して、私は彼の上着の裾をぎゅっと掴んだ。
 七月になって他にはもう誰も着なくなっても、諒は必ず上着を持ち歩いている。
 その理由について考えてみると、赤くなった顔がますます赤くなりそうだった。
 
(何? なんなのよもう!)
 自分でもよくわからない感情に怒りすら覚える私の上に、諒はやっぱり黙ったままバサッと上着をかけてくれる。
 
「時間があるから『HEAVEN』に寄ってくぞ……どうせみんな集まってるんだろ?」
 偉そうに言って目の前にさし出された手を、私はすぐに握り返した。
 
 胸でザワめく気持ちはまだ上手く言葉にできないので、保留にしておく。
 ――でも私に向かってさし出された手が、嬉しいことだけは確かだった。