可憐さんも諒もいない『HEAVEN準備室』からの帰り道。
一人きりなんだからさっさと自転車に乗って帰ってしまえばいいのに、そんな気もおきず、私は河川敷沿いの堤防の道を、一人で自転車を押しながら歩いた。
西の空で大きく傾きかけた夕陽が眩しい。
渉とサヨナラしたての頃は、何を見ても二人で見た時のことを思い出して、辛くてたまらなかった。
きっといつまでもそんな気持ちを引きずったまま、私はこの道を通り続けるんだとばかり思ってた。
だけど――。
可憐さんと楽しくおしゃべりしたり、諒と喧嘩をしたり、ゆっくりと感傷に浸っている暇もないほどに、最近の私の帰り道は忙しい。
今日みたいに一人の時でも、頭に浮かんで来ることは、他にいくらだってある。
(痛みや悲しみって……こんなふうに次第に薄れていくもんなんだな……)
しみじみとそんなことを思った。
ぼんやりと夕陽を眺めながら、私が気にしているのは、遠い思い出なんかではない今のこと。
――全然学校に来ない繭香。
(いったいどうしてるんだろう……?)
茜色に染まった空を見上げた瞬間、ふいに背後から声をかけられた。
「琴美」
独特の艶がある、最近では良く聞き慣れたその声に、ドキリと胸が跳ねた。
立ち止まってふり返ってみると、そこにはいつもの笑顔の貴人が立っていた。
「一人?」
尋ねられたのでこっくりと頷く。
「じゃあ、一緒に帰ろっか?」
私は反射的にもう一度頷いたけれど、なぜか胸は早鐘のように鳴り始めていた。
繭香が倒れたあの日以来、私は貴人に近づいていない。
なんとなく怖くて、ちょっぴり避け続けている。
いったい何が怖いのか――それは自分でもよくわからない。
でも、繭香と幼馴染だという貴人だったら、繭香の今の状況を知っているかもしれない。
そう思って問いかけてみた。
「ねえ貴人。繭香が今どうしているのか……わかる?」
貴人はいかにも嬉しそうに、にっこり微笑んだ。
「わかるよ。でもどうして……? 繭香が気になる?」
逆に聞き返されて一瞬戸惑う。
そして改めて見直してみた自分の心のままに頷く。
「うん……気になる」
貴人はもう一度、それは嬉しそうににっこりと笑った。
「だいぶ落ち着いてきたよ。もうすぐ学校にも来れると思う」
その言葉に心から安堵する。
「良かった……」
そんな私を、貴人はまるで自分のことのように嬉しそうに笑いながら見下ろしている。
「ずいぶん仲良くなったんだね」
間髪入れずに頷いてから、私はふと、自分でも不思議に思った。
(私って、あんまり人と仲良くなるのは得意じゃないんだけどな……同じクラスなのに話をしたこともない人だっているし……でもなぜだか『HEAVEN』のみんなとは、すぐに仲良くなれちゃったんだよね……これってなんで?)
どんなことにだって明確な答えを出さないと気がすまない私は、再び自転車を押して歩き出しながら考えこむ。
横を並んで歩き始めた貴人が、自然に呟いた。
「繭香もおんなじだよ……」
思わずピタリと足が止まる。
(私……口に出しては言ってないわよね? やっぱり繭香の言うように、私って考えていることが全部顔に出ちゃってるのかしら……?)
答えを探るように見つめた貴人の顔が、クスリとそれは魅力的に笑った。
初めて間近に見た時から、思わずポカンと見惚れずにはいられないあの花が綻ぶような笑顔で、貴人が言う。
「やっと琴美が俺の顔を見た」
火が点いたように、一気に顔が赤くなっていくのが自分でもよくわかった。
(ななな、何を急に言い出すのよっ!)
焦って口がパクパクするばかりの私に、貴人は少し瞳を細めてみせる。
「俺に聞きたいことがあるのに、わざと避けてただろ?」
ドキリと胸が跳ねた。
それは確かに、貴人の言うとおりだったから――。
「らしくないですなぁ……思ったことは口に出さずにいられない琴美さん……?」
からかうような口調に、思わず吹き出した。
貴人は嬉しそうに、パチリと片目を瞑ってみせる。
(本当に『らしくない』な……何やってるんだろう、私……)
頭を何度かぶるぶると左右に振ると、私はこれ以上ないほど自分らしく、単刀直入に、貴人の目を見てしっかりと尋ねた。
「あのね……貴人と繭香って恋人同士なの?」
突然の問いかけにもまったく動じず、貴人は悠然と首を横に振った。
「いいや」
「じゃあ……貴人は繭香のことが好きなの?」
今度は、貴人は額に人差し指を当てて、しばらく考えるそぶりをしてみせた。
それからおもむろに口を開く。
「異性として特別にって意味だったら、答えはNOだな……俺にとって繭香は、妹みたいなものなんだ……」
その返事に、体中の力が抜けていくのが自分でもよくわかった。
(そうか……そうなんだ……)
一人で納得して、うんうんと頷く私に、今度は貴人が問いかける。
「どうして琴美は、そんなことが聞きたかったの?」
私は真っ直ぐに貴人の顔を見上げながら、首を傾げた。
(どうしてって……どうしてだろう?)
何も答えが思い浮かばないので、心のままに答える。
「わからない」
貴人はブッと吹き出して、肩を揺すって大笑いし始めた。
「そっか……わからないのか……!」
いったい何がそんなにおかしいんだろう。
自分の考えていることさえよくわからないなんて、確かに変だとは思うけど――。
「変かなぁ……?」
ちょっと落胆気味に呟いた私に、貴人は大きな手を顔の前でぶんぶん振ってみせる。
「いや、変じゃない。変じゃない……でもいかにも琴美らしくって……!」
初めて言葉を交わしてからまだたったの一ヶ月。
それなのに、まるでずっと前から知っているかのように、私のことを貴人が語るのは嫌じゃなかった。
――決して嫌じゃなかった。
一人きりなんだからさっさと自転車に乗って帰ってしまえばいいのに、そんな気もおきず、私は河川敷沿いの堤防の道を、一人で自転車を押しながら歩いた。
西の空で大きく傾きかけた夕陽が眩しい。
渉とサヨナラしたての頃は、何を見ても二人で見た時のことを思い出して、辛くてたまらなかった。
きっといつまでもそんな気持ちを引きずったまま、私はこの道を通り続けるんだとばかり思ってた。
だけど――。
可憐さんと楽しくおしゃべりしたり、諒と喧嘩をしたり、ゆっくりと感傷に浸っている暇もないほどに、最近の私の帰り道は忙しい。
今日みたいに一人の時でも、頭に浮かんで来ることは、他にいくらだってある。
(痛みや悲しみって……こんなふうに次第に薄れていくもんなんだな……)
しみじみとそんなことを思った。
ぼんやりと夕陽を眺めながら、私が気にしているのは、遠い思い出なんかではない今のこと。
――全然学校に来ない繭香。
(いったいどうしてるんだろう……?)
茜色に染まった空を見上げた瞬間、ふいに背後から声をかけられた。
「琴美」
独特の艶がある、最近では良く聞き慣れたその声に、ドキリと胸が跳ねた。
立ち止まってふり返ってみると、そこにはいつもの笑顔の貴人が立っていた。
「一人?」
尋ねられたのでこっくりと頷く。
「じゃあ、一緒に帰ろっか?」
私は反射的にもう一度頷いたけれど、なぜか胸は早鐘のように鳴り始めていた。
繭香が倒れたあの日以来、私は貴人に近づいていない。
なんとなく怖くて、ちょっぴり避け続けている。
いったい何が怖いのか――それは自分でもよくわからない。
でも、繭香と幼馴染だという貴人だったら、繭香の今の状況を知っているかもしれない。
そう思って問いかけてみた。
「ねえ貴人。繭香が今どうしているのか……わかる?」
貴人はいかにも嬉しそうに、にっこり微笑んだ。
「わかるよ。でもどうして……? 繭香が気になる?」
逆に聞き返されて一瞬戸惑う。
そして改めて見直してみた自分の心のままに頷く。
「うん……気になる」
貴人はもう一度、それは嬉しそうににっこりと笑った。
「だいぶ落ち着いてきたよ。もうすぐ学校にも来れると思う」
その言葉に心から安堵する。
「良かった……」
そんな私を、貴人はまるで自分のことのように嬉しそうに笑いながら見下ろしている。
「ずいぶん仲良くなったんだね」
間髪入れずに頷いてから、私はふと、自分でも不思議に思った。
(私って、あんまり人と仲良くなるのは得意じゃないんだけどな……同じクラスなのに話をしたこともない人だっているし……でもなぜだか『HEAVEN』のみんなとは、すぐに仲良くなれちゃったんだよね……これってなんで?)
どんなことにだって明確な答えを出さないと気がすまない私は、再び自転車を押して歩き出しながら考えこむ。
横を並んで歩き始めた貴人が、自然に呟いた。
「繭香もおんなじだよ……」
思わずピタリと足が止まる。
(私……口に出しては言ってないわよね? やっぱり繭香の言うように、私って考えていることが全部顔に出ちゃってるのかしら……?)
答えを探るように見つめた貴人の顔が、クスリとそれは魅力的に笑った。
初めて間近に見た時から、思わずポカンと見惚れずにはいられないあの花が綻ぶような笑顔で、貴人が言う。
「やっと琴美が俺の顔を見た」
火が点いたように、一気に顔が赤くなっていくのが自分でもよくわかった。
(ななな、何を急に言い出すのよっ!)
焦って口がパクパクするばかりの私に、貴人は少し瞳を細めてみせる。
「俺に聞きたいことがあるのに、わざと避けてただろ?」
ドキリと胸が跳ねた。
それは確かに、貴人の言うとおりだったから――。
「らしくないですなぁ……思ったことは口に出さずにいられない琴美さん……?」
からかうような口調に、思わず吹き出した。
貴人は嬉しそうに、パチリと片目を瞑ってみせる。
(本当に『らしくない』な……何やってるんだろう、私……)
頭を何度かぶるぶると左右に振ると、私はこれ以上ないほど自分らしく、単刀直入に、貴人の目を見てしっかりと尋ねた。
「あのね……貴人と繭香って恋人同士なの?」
突然の問いかけにもまったく動じず、貴人は悠然と首を横に振った。
「いいや」
「じゃあ……貴人は繭香のことが好きなの?」
今度は、貴人は額に人差し指を当てて、しばらく考えるそぶりをしてみせた。
それからおもむろに口を開く。
「異性として特別にって意味だったら、答えはNOだな……俺にとって繭香は、妹みたいなものなんだ……」
その返事に、体中の力が抜けていくのが自分でもよくわかった。
(そうか……そうなんだ……)
一人で納得して、うんうんと頷く私に、今度は貴人が問いかける。
「どうして琴美は、そんなことが聞きたかったの?」
私は真っ直ぐに貴人の顔を見上げながら、首を傾げた。
(どうしてって……どうしてだろう?)
何も答えが思い浮かばないので、心のままに答える。
「わからない」
貴人はブッと吹き出して、肩を揺すって大笑いし始めた。
「そっか……わからないのか……!」
いったい何がそんなにおかしいんだろう。
自分の考えていることさえよくわからないなんて、確かに変だとは思うけど――。
「変かなぁ……?」
ちょっと落胆気味に呟いた私に、貴人は大きな手を顔の前でぶんぶん振ってみせる。
「いや、変じゃない。変じゃない……でもいかにも琴美らしくって……!」
初めて言葉を交わしてからまだたったの一ヶ月。
それなのに、まるでずっと前から知っているかのように、私のことを貴人が語るのは嫌じゃなかった。
――決して嫌じゃなかった。