恋する金曜日のおつまみごはん~心ときめく三色餃子~

「ヤバい……。どれもおいしいわ。メニュー、全制覇したくなっちゃう」
「本当ですね。次、手羽先の塩焼きいっていいですか?」
「あ、じゃあ、明太オムレツも!」

 塩見くんと、カウンター席で隣り合って飲むというのは新鮮で、悪くなかった。塩見くんが料理をする音を聞いて待っているのも好きだけど、最初からずっと隣にいておしゃべりしていられるのは楽しい。

 上品な食べ方なのに、いつもより早いペースで一品を片付けて、次々に追加を頼む塩見くんを見るのも新鮮な驚きがあった。さすが、二十四歳男子の食欲。決まった量を作る宅飲みと、いくらでも追加ができる居酒屋では食べっぷりも違うのだろうと思っていたら。

「いつも自炊だから、だれかの作ったおつまみを食べられるのがうれしくて、つい食べ過ぎちゃいますね」

 というからくりだった。

「それで今日はペースが早かったのね」
「はい。あ、いったん僕、お手洗い行ってきていいですか」
「どうぞ。お店を出て、あっちのほうにあったわよ」

 お店にトイレはなく、ビルのお客さま用トイレまで行かないといけない。いない間にばくばく食べているのも悪いし、のんびり飲んで待っていようと日本酒のおかわりを頼んだとき、招かれざる客人はやってきた。
「お姉ちゃん、ひとり?」

 と、訊きつつ、塩見くんの席に赤ら顔のサラリーマンが座ってくる。すでに店をはしごして酔っているのだろう、息が酒臭い。

「ちょっと。そこ、連れの席なんだけど」

 強い口調でたしなめるも、「え? もういないし、帰っちゃってるでしょ」と話を聞かない。嫌だな。せっかくいい気分で飲んでいたのに。

「だから、ひとりじゃないし、連れはまだいるってば」

 酔ったおじさんが私にもたれかかってきた。いつもの私だったら思いっきりどついてやるんだけど、背負い投げ事件が頭によぎって、控えめに肩を押すことしかできなかった。

 私のせいで、塩見くんやお店に迷惑はかけられない。あのときみたいに、なりたくない。

 私の無言の目配せに気づいた大将が、「お客さん、ちょっと」と声をかけてくれたとき。

「すみません。そこ、僕の席なのですが、彼女になにか用ですか」

 丁寧なのに低いトーンの、塩見くんの声が降ってきた。

「塩見くん……」

 いつの間にか私の隣に立って、サラリーマンを見下ろしている。ほのかに笑みを浮かべているのに目は笑っていなくて、なぜか私の背すじがぞくっとした。

「は? お前、だれだよ」
「どいていただけますか? 席を外していただけなので」

 怒りの滲んだ声には、うむを言わさない力があった。サラリーマンは根負けして、無言で店を去っていく。

 なにごともなく終わって、私も大将も、安堵のため息をついた。
「先輩、大丈夫でしたか? すみません、僕が席を外したばっかりに」

 よく見ると塩見くんは、肩で息をしていた。もしかして、私を待たせないように走って戻ってきてくれたのだろうか。

「ううん……。塩見くんのおかげで助かった」
「怖くなかったですか?」

 隣の席に戻った塩見くんが、真剣な表情で私を見つめる。

「……怖い?」

 酔っている男性に強い口調で対応することにためらいはないし、必要だったら背負い投げだってする。そんな私だって、普通の女の子みたいに怖がっていいんだって初めて気づいて、自分の心をがんじがらめにしていた縄がしゅるしゅるとほどけた。

「……あ、あれ?」

 気が緩んだとたんに涙がぽろぽろこぼれて、「おかしいな」と言いながら手の甲で拭う。

「やっぱり怖かったですよね。もう、大丈夫ですよ」

 塩見くんが、私の身体を軽く抱き締めるようにして、「よしよし」と背中を優しく叩いてくれる。

「守れなくて、すみません」
「違う……違うの」

 塩見くんはちゃんと、守ってくれた。酔っ払いからも、過去のトラウマからも。私が自分でかけた呪縛でさえも、解いてくれた。

 私の涙が止まるまで、ほかのお客さんの目からかばうようにして、塩見くんはずっと、広い胸で私を包んでいてくれた。
「はー、お酒もおつまみもおいしかった! 満足満足!」

 白い息を吐きながら、駅までの道のりを塩見くんとふたりで歩く。
 あんな出来事があったことを払拭するくらい、あのあと私はひときわ明るく振る舞い、飲んで食べた。

 塩見くんは最初心配そうな顔をしていたが、私が無理をしているのではないとわかると、安心したように私のテンションに合わせてくれた。

「今日はずっと、楽しい夜だったなあ……」
「僕も楽しかったです。思いがけず先輩に会えてよかった」
「うん、私も会えてよかった」

 今度の『私も』は口からするっと出てきた。素直になるのって、実はそんなに難しいことじゃないのかもしれない。
 だんだんと回数を重ねていけば、ドキドキしなくても、気合いを入れなくても、自然と素直な思いを口にできるようになるのかも。

「先輩、クリスマスイブなんですけど、なにか予定ありますか?」

 電車を下りてアパートに向かっている途中、塩見くんが歩みをゆるめて尋ねてきた。
「ううん、仕事のあとは、なにも」
「金曜日じゃないんですけど、一緒に飲みませんか。僕の家で」
「え、いいの? 塩見くんのほうこそ、予定は……」
「僕も仕事だけです。でも、せっかくだから夕飯はクリスマスっぽいものを作ろうと思っているので、付き合っていただけたら助かります」

 後輩の子と過ごすのではないということは、まだお付き合いはしていないと期待していいのだろうか。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「はい。クリスマス仕様のおつまみ、楽しみにしていてください」

 私は、決めた。クリスマスイブ、塩見くんに、告白の返事をどうしたのか、ちゃんと訊く。そして、その答えがどうであれ、自分の気持ちは伝える。

 もしかしたらこれから後輩と付き合うつもりかもしれないし、そうじゃなくても振られるかもしれない。そっちの可能性のほうが、ずっと大きい。でも、私がこんなに塩見くんに助けられてきたこと、ちゃんと伝えたいと思った。

 大事な金曜日の時間がなくなったとしても、ここから新しい関係を築いていけるかどうかは、私たち次第だ。そのときは――また『親しい飲み友達』くらいには戻れるように、がんばってみよう。
 年末の時期はどの業界も師が走る。連日の残業で金曜日の約束は自然と流れ、ふたりで会うことはないまま、クリスマスイブ当日を迎えた。

「あっ、先輩、今日はクリスマスコフレでのメイクなんですね~! やっぱりフルで使うと、かわいいなあ」

 出勤すると、ロッカーで久保田と鉢合わせた。

「う、うん。やっぱりクリスマス当日に使わないと、と思って」

 アイメイクのセットと、私の企画したミニリップとグロスのセット。少しでも自信を持ちたくて、お守り代わりに使ったのだ。クリスマスコフレだけあって、パールとラメが多めの華やか仕様だが、セットだけあってフルで使ってもくどくならない。

「帰り、どこかに寄るんですか? 今日なんだか、服もかわいいし」
「ううん。まっすぐ家に帰る。服はほら、メイクに合わせただけだから」

 嘘は言ってない。家に帰ってから、隣の家に行くだけだ。

 褒めてもらった服は、雑誌の『クリスマスデート特集』に載っていたキャメル色のニットワンピースで、先日デパートまで買いに走ったものだ。シンプルだけど身体のラインがキレイに見えるデザインが気に入っている。

 どこかにクリスマスカラーがほしいなと思って、大ぶりのコットンパールのイヤリングと、ガーネットのプチネックレスを選んでみた。ワンピースのデコルテが開いているので、控えめに光る石は相性がいいはず。
「そういう久保田こそ、メイクも服も気合い入ってるじゃない。デート?」

 コートをハンガーにかけながら尋ねると、久保田は眉をハの字にして目をうるませ、今にも泣き出しそうな顔になった。

「それが……。いつもつるんでいる男女六人の合コンメンバー、だれも恋人ができなくて。クリスマスも全員で集まることに……」
「それはもう、その中で恋人を作れってことなんじゃないの? 最初はそのつもりで合コンしたんでしょ?」

 ロッカーの扉を閉めながらそう伝えると、隣で同じ動作をしていた久保田がぴたっと動きを止めた。

「く、久保田? 大丈夫?」

 うつむいて表情の見えない彼女に、手を伸ばす。触れる寸前にガバッと顔を上げた久保田は、「その手があったんですね……!」と目をいっぱいに見開きながら声を震わせていた。

「ありがとうございます、先輩! 今日は私、いつもと違う女らしさをアピールして勝利を勝ち取りたいと思います!」

 祈るような格好で、がっちり私の両手を握りながら顔を近づけてくる。いつもより念入りに塗られたマスカラに縁どられた瞳は、キラッキラに輝いていた。

「……な、なんの勝負? ま、まあ、がんばって」
 今日の仕事を早く終わらせるため、昨日まで残業続きでがんばったのだ。そわそわしながら一日の仕事を終えたのは、定時を越えてすぐのことだった。

 これなら、少し買い物をする時間もありそう。
 少し足を伸ばして、輸入食品を取り扱っているスーパーに向かった。

 焼き立てのバゲットと、おいしそうなチーズが量り売りされていたので、少しずついろんな種類をカゴに詰める。

 いいワインを買っていこうかと思ったが、どうせ塩見くんは飲めないんだし……とノンアルコールのスパークリングワインを手に取る。子どものころ、クリスマスに飲むシャンメリーが好きだった。塩見家ではどうだったのかわからないが、ほのかなロゼ色をしているノンアルコールワインは、ジンジャーエールよりクリスマス気分を盛り上げてくれる気がする。

「よし、こんなものかな」

 あんまりたくさん買っていっても、肝心のおつまみがお腹に入らなくなるし。

 レジに向かおうとすると、お菓子コーナーにクリスマス用のお菓子が積まれているのに気づいた。サンタさんが履いているような赤い長靴に、小さなお菓子が詰め込まれたもの。
「なつかしい、これ……」

 ふと、これを塩見くんにプレゼントしたい欲求にかられる。子どもっぽいし、中に入っているのはお菓子だし、喜んでもらえるかは微妙だ。でも急に、サプライズでクリスマスプレゼントをあげたくなったのだ。今日振られるかもしれないから、あとを残さないもので、なにか。

 もうこれにしちゃえ、と思い切ってサンタ長靴をカゴに入れる。重くないし、食べたら消えるし、ちょうどいい。振られたあとだって、冗談を装って渡せる。塩見くんは、こんな愛らしいものをゴミ箱に捨てるような人ではないと思うし。

 さっきから、振られたときのことばかり考えている自分に気づいて愕然とした。

 ダメだ、当たって砕けたあとにどうやって受け身を取るかばかり考えていては。傷が最小限ですむ方法を考えていたら、素直な気持ちなんて伝わらない。
まずは、勇気を出してみること。全力でぶつかってみること。大丈夫。結果がどうあれ、心に負った傷を自分で直せるくらいの力は、二十八年の人生で身につけてきたのだから。

 秘密のお菓子をしのばせたスーパーの袋を持って、帰路を急ぐ。電車の中でメールをすると、もうすでにディナーの準備はできているようだった。
家に荷物を置いて、軽く化粧直しをしたあと、塩見くんの部屋のチャイムを押す。