おそらく、隠れて様子を窺っていた時に、俺と白狐の会話を盗み聞きしていたのだろう。「なるほど」と呟いた後は何も聞いてこようとしなかった。恋人を殺されでもしたのかと勘違いしたようだが、訂正してやる義理はないし、会ったばかりの男に過去を語る気もない。
 察しがいいのは助かるが、変に気を使われてしまったな。

「…おい。さっきは助かった。一応、礼を言う」

 背を向けたままぽつりとそう言うと、「昨日助けてもらったんで、おあいこですよ」と返事が来た。
 俺の渡した札をこんな風に使われるとは思っていなかった。この男は案外使えるヤツかもしれない。

「あ、そうだ。今さらですけど、名刺を置いときますね」

 枕元に置かれた四角い紙を手に取る。“相川 千秋”。その名前に目を見開いた。

「…嫌な名字だな」
「ほんと好き勝手言いますね!ひどいです。全国の相川さんに謝ってください…!」

 それは綾と同じ名字だった。こいつを呼ぶだけで彼女の姿が頭をよぎる。厄介極まりない。
 この不思議な出会いが後にずるずると付きまとわれるキッカケになることを、深い眠りについた俺は考えもしていなかったのである。