「逃す気はない。観念しろ」
その瞬間、反抗の力が弱まった。わずかに動揺して目を開くと、押し倒していた女性の外見がみるみるうちに変わっていく。
黒く艶やかな長い髪に華奢な肩。月明かりが照らした姿は紛れもなく綾だ。呼吸も忘れて彼女に見入る。体の下に収まる女性は十年前と変わらない。
「痛いよ、碧羽。…ひどくしないで」
薄ピンクの唇が紡いだセリフに、心臓が大きく音を立てた。恐怖ではない震えが背中に走ると同時に、片手でそっと頬を撫でられる。
体が思うように動かせない。いや、動かないのは俺の意志か?
「 退いてください!」
次の瞬間、聞き覚えのある男の声がした。
正気に戻って反射的に体をそらすと、女めがけて見慣れた札が飛んでくる。
『ぎゃあっ!』
醜い悲鳴とともに妖が白狐へと姿を変えた。まさか、俺の記憶を盗んでわざと化けていたのか…!?全てを察すると、ふすまの陰から現れた青年が目に入る。
茶色の短髪と人懐っこそうな童顔は、昨夜のヘタレだ。
「門澤さん!早く!」
はっ!として枕下の札を取り、窓から逃げようとする背中めがけて投げつける。
部屋の畳に広がった結界は、容赦なく白狐を仕留めた。
