「たしかに朔太郎さんは仕事熱心だったわ。そして私たちに、とても親切にしてくださった。同じあやかし物件に住んでいた住人たちも、朔太郎さんのことを本当に慕っていて、みんな感謝していたの。そんな朔太郎さんが、凌真くんたちのことをないがしろにしていたとは思えない」
「でも親父はお袋が倒れて入院した時、見舞いにも来なかったんだぞ。最期の葬式にさえ来なかった。もう店に客なんかほとんど来なかったくせに……何かに憑りつかれたように、ここから離れられなかった」
「そんな……」

 それは仕事にのめりこむこととは、また違う問題のような気がする。
 雪女はしばらく考え込んだあと、静かに口を開いた。

「もしかして朔太郎さんは……悪いあやかしに憑りつかれていたんじゃないかしら」

 千歳は驚いて雪女を見た。凌真の視線もその方向へ移る。

「で、でも最近は、悪さをするあやかしなんかいないって……」

 おそるおそるつぶやいた千歳に、雪女が答える。

「そうね。あまり見かけなくなったけど、まったくいないわけじゃない。人間を陥れようとしたり、傷つけようとしたりする邪悪な者が」

 思いもよらなかった言葉に、千歳は肩を震わせた。この店に来るあやかしは、みんな善良なあやかしばかりだったから、邪悪なあやかしがいるなんて想像もしていなかったのだ。

 でも昔話などを読むと、妖怪や幽霊はどれも恐ろしく描かれている。あやかしとは、もともと恐ろしいものなのだ。千歳はすっかりそれを忘れていた。

 もう一度千歳は凌真の顔を見る。凌真はじっと雪女のいる方向を見つめている。
 やっぱりあやかしの姿は見えているのだ。今までわざと目をそむけていただけで。