「そのあと親父とはほとんど話してない。親父は時代が変わって仕事が減っても、お袋が死んでも、この店を辞めようとしなかった。まぁ、お袋の後を追うように、親父も死んだんだけど」
「でも凌真さんは、お父さんのこのお店を引き継いだ……」

 凌真が千歳を見て、口元をゆるめる。

「店なんかどうでもよかったんだよ。ただここを開いてないと、マンションの入居者が増えないからな。とにかく俺は家賃収入が欲しかっただけ」
「ほんとうにそれだけなんですか?」

 千歳の言葉に凌真が眉をひそめる。

「ほんとうにそれだけで、このお店を開いているんですか?」
「そうだよ」

 凌真がそう答えて椅子から立ち上がる。
 だけど千歳は違うと思った。父親とはやり方が違っても、それでも凌真はこの店や店に来るお客さんを、大事にしていると思ったから。

「お前、雪女に言っとけ。あの部屋リノベするから、絶対契約しろってな」
「だ、大丈夫なんですか?」
「なにが?」

 立ち上がった凌真が、怪訝そうな顔つきで千歳を見る。千歳は息を吸い込んでから、思い切って言う。

「それだけの費用……安くはないと思いますけど……」
「まぁ、なんとかするよ」

 そう言って凌真は店を出て行こうとする。

「え、凌真さん、どこへ?」
「あとはあんたに任せる。俺はもう帰る。用事思い出した」
「そんな……」
「ああ、そうだ。お前、マンションの住人に伝えといてくれ。工事が入るとしばらくうるさくなるから、ご迷惑かけますって。特にあの河童」

 ああ……河童さんは騒音を避けてここに引っ越してきたというのに。申し訳ないな。貧乏神さんにも伝えなきゃ。
 そんなことを考えているうちに、凌真は店を出て行ってしまった。
 たしかにお客さんの来ないこの店に、従業員二人は必要ないけど……

「でもこのお店の店長は、凌真さんなのに……」

 静まり返った店の中に、千歳のひとり言と、猫又の「にゃおーん」という声が響く。
 千歳はカウンターの上で猫又の背中をなで、小さくため息をついた。