「狐!」

 雪女の厳しい声が響く。

「わたしの大切な朔太郎の心を惑わせ、追いつめた罪は重いぞ! いますぐここから消し去ってやる!」

 千歳はびくっと肩を震わせ、すぐ隣にいる凌真の顔を見る。凌真はじっと雪女の背中を見つめている。

「ふふっ、雪女ごときに何ができる」
「狐! 許さん!」

 雪女の手が振り上がる。

「待って!」

 けれど千歳は叫んだ。

「お願い! 待ってください!」
「お前いい加減に……」

 凌真の声を千歳がさえぎる。

「凌真さんもお願い。あの狐を許してあげて」

 凌真が眉をひそめて千歳を見る。

「あの狐がしたことは、決して許されないこと。凌真さんや雪女さんが殺したいほど憎むのもわかる。でもそうやって誰かが誰かを憎んで、また誰かが傷ついて……もうそんなの終わりにしたいの!」
「千歳……」
「お願いします。あの狐を、許してあげてください」

 千歳は凌真の前で頭を下げた。

「お前……」

 低くつぶやいた凌真の手が、千歳の腕から離れる。

「好きにしろ」

 千歳ははっと顔を上げる。凌真は千歳から顔をそむけている。凌真の胸には、シルバーのリングが光っている。

「ありがとうございます!」

 もう一度頭を下げると、今度は雪女に駆け寄った。

「雪女さん! お願い! この狐を許してあげて!」

 雪女は千歳をにらみつける。

「甘いわよ。千歳」
「わかってます。でも誰かがここで止めないと……憎しみが永遠と続いてしまいます」

 何十年、何百年と続く恨みのループなんて、考えたくもない。

 千歳は足元に視線を落とした。地面に落ちているのは狐と交わした502号室の契約書。それを拾い上げると、千歳は狐の前で破り捨てた。