それでも。

 下級生たちの毎日は平和なもので、特にみな穂はいつも部室に本を何冊も持ち込む。

 ジャンルも幅広く、与謝野版の源氏物語を読んでいたかと思うと次の日には阿川弘之だったり、さらに氷室冴子やら森鷗外だったり、万葉集の本もあれば魯迅もある。

 このときには、海音寺潮五郎を読んでいた。

 当然ながら知識は広汎で、

「でも知らないことがたくさんあるから、知りたくなるんだよね」

 と意欲だけは強かった。

 みな穂の鮎貝家はもともとルーツが仙台で、どうやら指折りの名家であったらしく、みな穂という名前も、

「みなに穂の稔りをもたらし云々」

 という江戸後期の書物の一節から採られた。

 古くから学者や教授を輩出している家で、みな穂もゆくゆくは学者をめざしていて、アイドルはたまたま社会経験のつもりで入部したらしい。