清正は続けた。
「部室の鍵は予備の鍵を作っておくように」
それと、と畳み掛けるように、
「あと、土日休みに掃除をする予定やから、汚れても構わん服を支度しとくように」
始業式では気づかなかったが、少しだけ関西弁が混ざっていることに澪は気づいた。
職員室を出ると、
「嶋先生ってさ、意外に小柄だよね」
澪は言った。
「でも怖い先生ではなさそう」
関西弁は怖いというイメージがあるらしく、澪は去年の修学旅行で春日大社に行った際、関西弁でナンパされたのだが、そのあまりの怖さに泣き出してしまい、目撃情報を得た警察官が駆け付けて保護されたことがある。
話が、逸れた。
ののかは続ける。
「あと指輪してたから、結婚はしてるよね」
「目ざといなぁ」
「だから、恋愛にはならなさそう」
澪はハッとした顔で、
「アイドルは恋愛厳禁だもんね」
言いながら何か可笑しかったのか笑い出した。
土曜日が、来た。
ジャージ姿の澪とののか、藤子は、清正に言われた通りの朝十時に、部室が並ぶ棟まで来た。
すると。
「ねぇ、なんか看板があるよ!」
ののかが見つけたのは、アイドル部とフォントで書かれた、新品のアクリルのプレートである。
しかも。
「かわいい!」
プレートには造花がつけてある。
おまけにドア横には小さなプランターで何やら草花まで飾って置いてあるではないか。
「もしかして嶋先生って、女子力高い?」
澪は自分がつくづくアイドルが好きで良かった、と思った。
澪が鍵を開ける支度をしていると、
「おはようさん」
古びた野球のユニホームの上着を羽織った清正が来た。
「おはようございます!」
三人が元気よく挨拶すると、
「じゃ、掃除しようか」
バケツやスポンジ、箒など手にした四人で部室の清掃を始めた。
思ったより狭いが、何よりここがこれから自分たちの城になる──澪は感慨にふけりたかったが、そうもいかない。
だが、今までの物理器具室では大っぴらにライブのDVDやらブルーレイなんぞは置けなかったので、これからは誰に憚ることなく観賞したり、振り付けの研究が出来るというのは幸甚であったろう。
そこへ。
「グッチー、来たよ!」
「あ、来たんだ! 美波、ありがとー」
テニスの練習着姿で来たのは、隣のクラスながら仲の良かった乾美波である。
美波は清正に、
「先生、お手伝い大丈夫ですか?」
「別に構わんで」
許可を得ると澪たちと一緒に、スポンジで拭き掃除をしたり、箒で掃き掃除を始めた。
「美波はテニス大丈夫なの?」
ののかは訊いた。
「私ね…今度テニス部辞めるんだ」
「えっ?!」
美波はテニス部ではレギュラーだが、
「今の成績じゃインターハイ出られるか分からないし、それにもともとアイドルとか嫌いじゃなかったしさ」
美波は明るく話した。
が。
実際のところは人間関係に悩んでいた様子もあったようで、だがそれをあからさまに言うことだけは、美波の意地が許さなかったのかも分からない。
それにさ、と美波は、
「澪やののかがいるなら大丈夫かなって」
屈託のない美波の笑顔が、澪には輝いて見えた。
それはいい。
掃除が一通り終わると、
「せっかくやから、リノベーションしたろかなと」
そう言って清正が取り出したのは、ピンクや白、アイボリーのスプレー缶である。
「これで机とか塗装しとこうや」
清正に言われるがまま、澪たちは部室内にあったテーブルや棚をカラフルに吹き付け始めた。
机や本棚をカラフルにしただけだが、部室は明らかに明るくなった。
「女の子が使う部屋なんだし、可愛らしくしとかなきゃ」
可愛いものに囲まれたいよね、とののかは言った。
こうして昼休憩の頃には、リノベーションも落ち着いてきたので、部室脇の広場で皆で弁当を広げたのであるが、自然と話題は清正のユニホームのことになった。
「先生、野球部だったんですか?」
切り出したのは藤子である。
「一応、甲子園までは出れたけど、優勝はなぁ」
初戦で優勝候補に当たってホームランだけで七点打たれて三イニング保たなかったこと、それでプロは諦めて教師になった話をした。
「甲子園かぁ…テレビでしか見たことない」
女子高だけに野球部はないが、今はサラリーマンである澪の父親が、かつてアマチュア野球の選手だったらしく、
「だから夏休みになると毎日テレビかかってて」
何となくだがルールはわかるらしかった。
「まぁうちは、京都の田舎の普通の府立高校やからねぇ」
京都の市内から電車を乗り継いで二時間ばかり行った山の中らしく、
「せやから札幌来たとき、えらい都会に来たなーって」
今だに札幌駅のパセオとかステラプレイスとかアピアとか、あのへんの地下街で迷うときがある、と清正は苦笑いした。
午後から部室に塗装の乾いたテーブルや棚を運び入れ、物理室から運んで来たDVDやらブルーレイ、あるいは振り付けや曲についてまとめたファイルなどを並べると、
「やっと部室らしくなったね」
このあとパソコンとプリンタが入れば完了、というところまで来たので、少しは気が楽になったらしい。
「問題はダンスレッスンなんやが」
図書室の脇の階段から屋上に出られる、というのである。
「鍵は事務から合鍵をもらったから、部長に渡しとこうかなと」
清正は息をついた。
「屋上使えるんだ?」
澪は屋上の存在すら知らなかったらしい。
「…それで、部長は誰にしようかと」
通常なら澪かののかであろう。
ここで。
清正は思い切ったことを言った。
「…長内くん、君が部長やったらどうや」
藤子を指名したのである。
「でも私は、澪ちゃん…いや、関口さんがいいかなって」
ののかと一緒にいたこともあって、昔から澪のことを藤子は澪ちゃん、と呼ぶ。
しばし清正は考えていたが、
「じゃんけんで決めよう」
これなら文句はないやろ、というのである。
「私弱いのに…」
澪は嫌な予感しかしなかった。
かくして。
じゃんけんで最後まで負けた澪が、最終的に部長となったのであった。
日曜日には、パソコンとプリンタが来た。
さらに模様替えをしたり、着替え用のスペースを作ったり…と、部室の整理をしたのち、週明けから始まる部活動の新入生勧誘、通称新勧の準備がスタートした。
部長の澪は月曜日の朝から玄関前でチラシを配り、ののかと藤子は校門前で、ひたすら気になる子に声をかけた。
正式にまだテニス部を退部していなかった美波は、手続きが済んでから新人勧誘に加わる予定で、
「ごめんね澪、ちゃんとケリついたら勧誘するからさー」
拝むように美波は謝った。
一方で。
清正はメールを、東京のテレビ局や札幌の情報番組に送ったのである。
奇策と言っていい。
「全国でも珍しい、アイドル活動をする部活動」
という特性を売り込んだのである。
翌日、早速テレビの中継車が校門前に停まり、
「どんな部活動ですか?」
などとディレクターが澪にインタビューをする映像が、地元の番組でその日の夕方には流れた。
「あんな風に画面に映るんだねー」
みなしげしげと眺めた。