いっぽう。
千波は自宅から練習用に使っていたキーボードを部室へ持ち込み、
「優海ちゃん、これでボイトレできるよ」
と、優海のボイストレーニングに付き合ってくれるのはいいのだが、平気でオクターブの高い音域まで出すので、のどが切れて血が出そうになる。
「でも声楽とかオペラじゃこのぐらい当たり前だよ? 優海ちゃん、プロ目指すならこのぐらいはやらなきゃ」
それもそうで、千波は交響楽団のビオラ奏者の娘であった。
少し取っ付きづらい優海を、普段からほんわかした千波がとっちめる光景はさながらコントで、
「だんだんキャラが揃ってきたね」
模試の帰りに部室に立ち寄る程度にはなったが、澪は見に来た際に言い、
「新しいアイドル部になりそうだね」
「何それ。まるで母親みたいな目線だよね」
藤子もクスクス笑い始めた。
根雪の時期が来た。
屋上が雪のため閉鎖になると、ダンス練習は空き教室でするようになった。
この頃には雪穂もだいぶダンスが出来るようになっていて、
「私にも出来たんだから大丈夫!」
と初心者の千波と一緒に練習をしたりする。
「成長したねぇ」
雪の時期でもアイドル部は外で走り込みをするのだが、何しろ手稲の坂の上である。
「これだけで鍛えられはするよね」
校舎から国道の交差点までを登り下りする。
後日、これは全国大会に出たときにスタミナとなってあらわれ、メドレーでも息が切れないので、
──まるでアンドロイドだな。
などと、うわさされたことすらあった。
期末テストが済むと本格的なスキーシーズンで、
「スノボしてきたんだけどさ」
などと優海は言う。
来年度のハマスタのエントリーシートが届いたのはクリスマス前であった。
「とりあえず記入漏れはないから、あとは出しとくわ」
何事もなければ予選は四月である。
「美波がいれば強いんだろうけど…」
澪は美波のアクロバティックなパフォーマンスを補足したいと思っていたらしい。
「冬休みはミーティングどないする?」
「今度部室も拡張工事だもんね…」
ののかの言う拡張工事とは、隣の廃部になった文学研究部との壁を潰して面積を倍にする工事の話である。
「人数増えてきましたからね」
千波がしみじみ言った。
「優海ん家が広いから、そこでしようかなって。もちろん先生も来ますよね?」
優海の家は発寒だが、敷地が広く畑や倉庫もある。
「確か屯田兵の家なんだよね」
教科書で出てくるようなワードが、すみれの口から出てきた。
「うち、倉庫だけは広いんだよね。おじいちゃんの代まで玉ねぎ作ってたし」
優海の父の代になって畑を一部マンションにしたのだが、駅から近かったのもあってすぐ空き部屋が埋まり、倉庫は今ではフリースペースとして優海が練習したり、たまに雪穂やすみれが来て三人で集まったりしている。
「でも澪ん家みたいに庭広くないから」
ちなみに澪の家は仕事は今はサラリーマンだが、タイミングよく分譲を買えたらしく、家の割に庭が広い。
年が明けた二日、朝早く清正のLINEにメッセージが来た。
「挨拶回りで部員集まるんで、先生も来てください」
場所は優海の家、とある。
「生徒の家行くなんて久々やな」
前任校で担任を任されたとき、家庭訪問をして以来である。
アパートを出ると、ナビゲーションにデータを打ち込み、愛車のネイキッドを転がして、十分ばかりで着いた。
呼鈴を鳴らすと、
「あ、先生」
新年おめでとうございます、と出てきたのは、華やかなフリルのついたワンピース姿の優海であった。
中へ通されると、
「新年おめでとうございまーす!」
見るとメンバーがそれぞれ可愛らしく着飾っている。
しばらく顔を見なかった澪やののかもいる。
「先生のスーツ…」
すみれが指をさした。
ヘリンボーンのチャコールグレーのジャケットに、アイボリーのベストとスラックスというアンサンブルの着こなしである。
「やるときゃやるじゃん、普段冴えないのに」
ネクタイもワイドノットというフォーマルな結び目にしてある。
「…ほっといてんか」
ののかのツッコミに清正はたじろいだ。
とりわけ衆目を引いたのは雪穂の振袖姿で、思わずすみれから出たのは、
「なんかモデルさんみたい」
というセリフである。
「何か昔のらしいよ」
鮮やかな青地に八橋が描かれた振袖で、よく見ると袖には在原業平らしき狩衣姿の人物が描かれてある。
「これはインスタにあげたらすごいことなるよ」
事実、このあとアイドル部のインスタグラムはいいねが初の四桁になった。
「雪穂、ショートカットにしたんだよね」
それまでのロングヘアをバッサリとショートボブに変えたらしい。
「雪穂ってショートにしてもあんまり変わらないような気が…」
という優海の頭を、すみれがすかさず引っ叩いてツッコんだ。
「別にフラれた訳じゃないけど」
雪穂には珍しく冗句が出た。
「確かにうちのグループ、ショートヘアはほとんどいないんだよね」
美波が前に髪を短くしたことはあった。
「美波先輩とはまた違う感じよね」
マヤはたまにデリカシーに欠けたことを言う。
しばらくして再び呼鈴が鳴り、
「あ、来たかな?」
今度はすみれが立った。
「あ、こっちです」
すみれの声とともに、見慣れないスーツ姿のOL風の女性が来た。
「うちの事務所でマネジメントやってる長谷川さん」
すみれが紹介すると、
「マネージャーの長谷川カナです」
長谷川カナはお辞儀をした。
「今度ね、アイドル部のマネジメントをすることになったんだ」
清正は「あぁ…電話では聞いとったけど」とだけ言った。
「外部マネージャーかあ」
澪は感慨深げに言った。
「今度から、学校行事関連以外の活動はマネジメントさせていただきます」
「じゃ、ハマスタの全国大会は?」
「それはマネジメントの範囲内になります」
「リラ祭は?」
「それは学校行事なので範囲外です」
長谷川マネージャーの回答は明快である。
「出来る女って感じの人だよねー」
マヤが言うと、長谷川マネージャーは少し頬を赤くした。
せやけど、と清正は、
「まぁ外部マネージャーがつく部活ってなかなかないな」
一応女子マネか、と言うとメンバー全員がドッとウケた。
「それで、新年度からグッズ出ることなったで」
「…グッズ!?」
一同ひっくり返りそうになった。
「とりあえずタオルとキーホルダーやけどな」
藤子は知っていたらしく、
「やっぱり先に作っちゃえば、こっちのもんですもんね」
「スゴいな…」
ののかが小さくつぶやいた。
去年は三人で、琴似のショッピングモールのイートインでフライドポテトをかじりながら、あれこれ夢を語っていたはずである。
「どんどん奇跡が起きてるね」
ののかの言葉にかぶせるように、
「奇跡は起きるんじゃなくて、起こせるように努力をするものなんだよ」
珍しく千波が言った。
「よくバイオリンとかチェロとかの人に話を聞くんだけど、奇跡みたいなことは普段から、血を流すぐらい努力してる人しか辿り着けないんだって」
アイドルの世界とはまた違った何かを千波は知っているのかも知れない。
それからね、と唯は、
「このあと、附属から来る新一年生で入部希望の子が来るから」
聞けば二人来る、という。
唯のスマートフォンが鳴った。
「近くまで来たみたいだから迎えに行くね」
しばらく間があって、
「こんにちはー」
今度は二人の中学生ぐらいの少女が来た。
「声を掛けて七人希望がいたんだけど、最終的には彼女たちだけが入部希望ってなって」
どうやら附属の中等部に、アイドル部の存在をPRしていたらしい。
「二人とも本格的なダンスや歌は未経験らしいけど」
じゃあ自己紹介よろしくね、と唯が促した。
新一年生はそれぞれお辞儀をした。
「赤橋あやめです」
もとはバドミントン部にいたが、
「リラ祭のののか先輩に憧れて来ました」
ののかは、少し照れ臭そうに頬を赤らめた。
「鮎貝みな穂といいます」
実は、とみな穂は、
「ホントは藤子ちゃんに憧れてマネージャーになりたかったんですけど、メンバーもいいなって」
これには思わずマヤが、
「もう、この子は欲張りなんだから」
とツッコミを入れた。
「みな穂ちゃんは背があるけど、何かスポーツやってた?」
「少しだけ水泳してました」
「水泳ね…水泳は美人多いよね」
無駄なものが水で削られるからかな、とマヤがボケをかますと、
「そんな、砥石じゃあるまいし」
雪穂がツッコんだ。
夕方まで優海の家で過ごしたあと、お開きとなってこの日はわかれた。