年の瀬が近づくと、各局の音楽番組に呼ばれる頻度が増えたのだが、ほとんど札幌からの中継で、
「すみません、私たち部活動なもので」
と毎回謝るみな穂のセリフを元にした「私たち〜なもので」という流行語まで飛び出した。
年末の紅白を終えた後、次は二月の雪まつりライブ、さらには三月一日の卒業式ライブ…と日程は比較的詰まり気味ながら、それでも新一年生は五人入ることも決まって、
「同好会スタートから四年で、ここまで来るとは思わなかったな」
というのが、初期からいた唯や藤子の偽らざる思いであった。
「うちらは部活動だから、お金も持ち出しだし苦労はあるけど、ビジネスに流されないから廃部にならない限りは大丈夫なんだよね」
今やアイドル部は全国にある。
その草分け的な存在として、先だってもフランスのドキュメンタリー映画のクルーが来て撮影していったほどである。
その中で藤子は、
「私たちの原点は楽しむことで、まずメンバーみんなが楽しむこと、見てくれる人が楽しむこと、そして笑顔にすること…これが最終目標かなって思います」
そのための厳しい練習であり、ストイックな生活なのだと藤子は言った。
二月の雪まつりライブでは、附属中から二人が加入することが決まったのだが、その紹介のさなかに衝撃に直面したことがあった。
このとき。
ステージ上から、清正と安達茉莉江が手を繫いで仲良さげに歩いているのを、唯が見つけてしまったのである。
(…いつの間に)
唯はびっくりしたが、ステージの本番中なので慌てて驚きを隠した。
終了後、舞台裏で清正を問い詰めると、
「例の事件のあと、何くれと面倒見てくれてやね」
安達茉莉江が卒業後、通信制の大学で経営学を学びながら、実家のレストランを手伝っていたのは知っていたが、そこへ挨拶に行った帰りであったらしい。
退院して茉莉江が二十歳の誕生日を迎えた頃から、交際がとんとん拍子に進んで、この六月に挙式するのだという。
「まさか安達茉莉江とはねぇ…」
話を聞いた澪も目をむいたが、でも茉莉江ならお似合いなような気もしたのか、
「案外合うかもよ」
とだけ言った。
三月の卒業式ライブのリハーサルが始まると、
「総代は萩野森唯ちゃんで」
という話になった。
本来生徒会長がつとめる慣例が、現職が二期目に入った二年生の翠で──最終的には生徒会を選んだ──あるため、功績から唯が選ばれたのである。
「藤子でも良いんじゃないかなぁ?」
唯は藤子を推したが、
「だって先代のアイドル部部長は唯でしょ?」
という藤子の一言で決まった。
「さすがに答辞は藤子、あんたお願いね」
功績から言って順当であろう。
卒業式が近づいている。
「藤子ちゃんは本州に行くの?」
みな穂は訊いてみた。
「京都だからね…簡単には帰れないかな」
卒業後、藤子はアニメーション会社のストーリーライターとして、京都にある出版社への就職が決まった。
「でも京都ならアニメーションは有名だから、もしかしたら藤子ちゃんのストーリーがアニメになるかもしれないんだ?」
「可能性はね」
それって作家になるよりスゴいかも知れないね、とみな穂はいい、
「そしたら私はアイドル学の学者になろうかな」
「そんなジャンルあるの?」
「なければ作る!」
みな穂も少し変わってきたようである。
卒業式の前日、部室に集まったアイドル部全員に対し、
「明日で泣いても笑っても最後だから話すけど」
藤子は語り始めた。
「実は私ね、アイドル同好会に入るとき、単純にののかがいたから入ったんだよね」
そもそも澪がアイドルが好きで、ののかもつられるように遊んでいたらしいのだが、
「私はまるっきりアイドルって興味なくて。でも何か楽しそうだったし、何より好きなことに熱中出来てて羨ましかった」
それで、たまたま合格したから追いかけるように入ったらしい。
「でも最初は誰も振り向いてなんてくれなかったし、バカにされたりするなんて日常茶飯事だった。でも、それ以上に毎日がキラキラしていたし、好きなことで生きられるって、こんな素晴らしいんだって、澪ちゃんやののかを見て思ったの」
だから、と藤子は、
「いろんなことがあるかもしれないけど、好きこそ物の上手なれで、情熱を注げることって大切なんだと思う。みんなには、それを大切にして欲しいな」
同好会を知る最後の初期メンバーらしいセリフであった。
それで、と藤子はみな穂を招いて、
「みな穂には、あなたらしく部長をやって欲しい。先輩もいるから気を遣う箇所もあるけど、くじ引きであなたがいちばんで部長を引き当てたのは、私はみな穂は強運だから引いたんだと思う」
みな穂は真剣に聞いている。
「芸能とかの世界は引きや運も力のうちで、あなたにはそれがあるから、気にしないであなたの思うように活動して欲しい」
藤子の言葉を、みな穂は漏らすまいと必死に聞いていた。
「それと…あやめちゃん」
「はい」
あなたにお願いがある、と藤子は言った。
あやめは目が潤み始めている。
「あなたは人の痛みがわかる人だからお願いがあるんだけど、みな穂をしっかりサポートして欲しい。みな穂は少し線が細いから、必ずあなたの助けが要る日が来る。そのときには支えてあげて」
「はいっ!」
目には涙をためながら、それでもあやめは笑みを浮かべた。
振り返ると、優海は泣いていた。
「優海は強さと脆さがあるから、その脆さが心配ではあるけど、でもあなたは歌唱力はあるし、ダンスも出来るから大丈夫。あとは自身を信じること」
余計に優海は泣きじゃくってしまっている。
あやめの隣にいたすみれには、
「すみれちゃんは分かってるはずだけど、あなたのおかげでプロって意識の大事さはみんなわかったし、だからここまで来れた。あなたがいなかったらアイドル部はなくなっていたかも」
すみれは藤子が認めてくれていたことに驚いた。
「たまには人に優しく、ね」
藤子のウインクにすみれは涙腺が崩壊した。
「雪穂の努力は私は一番買ってた。しかもクレバーだからいつも冷静。ちゃんと自分で答えを導き出せている。あんまり世の中にはいないタイプだから誤解されやすいけど、あなたなら大丈夫」
日頃泣かないし怒らない雪穂だが、このときばかりは顔が歪むほど大泣きしたので、
「雪穂の目に涙」
と呼ばれた。
マヤは背を向けていた。
「マヤは偉いよね。みんながしんどいときに一人だけ、ちゃんと暗闇の中から出口を見つけ出すのがうまくて、そこへみんなを導いてゆく。私はマニアックなアニメの物真似、好きだったなぁ」
向き直ることはなかったが、肩が震えている。
「千波は天真爛漫で、発想が豊かで、どうしたらそんな曲が出来るのか私はいつも不思議だった。私は楽器が出来ないから、それだけで尊敬していたし、あなたには遂に勝てなかった。すごいよ」
千波は涙を流しながら微笑んだ。
最後に唯、と藤子は、
「私とは幼稚園からの付き合いで、今じゃ私の両親より一緒の時間が長くなって、まるで熟年夫婦みたいな関係性だけど、でも私をたしなめたり、ときには矢となり盾となって、いつも一緒に戦ってくれた。いつも唯はアイドルは戦士で、武器がないと勝ち残れないって言ってた。私なんか大した武器もないから足手まといだったかも知れないけど、何とか死なずに済んだのはあなたのおかげ。ありがとう」
たまらず、唯は藤子を泣きながらハグした。
「ひとしきり泣いたら、あとは笑おう」
藤子は立ち上がると、スカートの埃を軽く払った。
卒業式の朝。
少しだけ雪がちらついたが、登校する頃には晴れた。
「晴れたね」
「うん」
唯と二人、手稲駅から国道を渡って、道なりに坂をのぼってゆく。
この年は雪が少なく、通学路に沿った軽川の日だまりでは、フキノトウが早くも芽を出している。
「本州なら卒業式は桜らしいけど」
雪の残る札幌で桜は四月の末である。
校舎が、見えた。
唯が振り返ると、うっすら白く積もった家並みが、坂の下に広がっている。
「気にしたことなかったけど、いい眺めだよね」
「うん」
晴れていた分、銭函の海岸線も、はるか先の暑寒別の稜線も見えた。
校舎の玄関では後輩たちが集まっていた。
「藤子ちゃーんっ!!」
後輩からも藤子ちゃんと呼ばれ親しまれた、文学が好きでメガネがトレードマークの彼女の、最後の登校である。
「みんな、寒いのにありがとね」
手を振った。
みな、ちぎれんばかりに手を振り返した。
卒業式は、荘厳な雰囲気で始まった。
「澪ちゃんのときから、一年しか経ってないのにね」
小声で隣の唯に、藤子はつぶやいた。
「国歌、並びに校歌斉唱」
全員が起立。
斉唱が済むと着席。
「来賓挨拶」
今年は、長谷川マネージャーがいる事務所の社長も来ている。
「証書、授与」
緊張が走った。
聞き慣れた清正の声で、
「生徒総代、萩野森唯」
「はい!」
唯が起立し、演壇へ歩いてゆく。
校長から卒業証書を渡される。
唯が受け取る。
演壇から降りてくると、
「めっちゃ緊張したー」
ほぼ声にならない声でささやいた。
続いて校長挨拶。
さらに、祝電祝文披露。
「送辞、在校生代表、瀬良翠」
久しぶりに翠を見たような気がした。
「答辞、卒業生代表、長内藤子」
「はい!」
藤子は起立し、演壇に立った。
「答辞」
藤子は紙を見ずに話し始めた。
「この度は卒業式にご参列いただきありがとうございます。私たち卒業生一同は、これより進学並びに就職し、社会へと旅立ちます。様々な人たちに支えられながらここまで来られたことに感謝し、これからも仲間を信じ、偽ることなく、人生を歩んで行きたいと思います。どうかこれからも、一同心身健やかにあれよかしと願いつつ、答辞といたします」
簡潔ながら個性ある、藤子らしい辞である。
式次第がすべて済むと、制服姿のアイドル部九人が並んで黙礼した。
「今日は卒業式のために、メンバーが書き下ろした曲を披露したいと思います。聴いてください、『私たちの未来』」
千波が伴奏するピアノのイントロが流れてくる。
歌唱が済むと、スタンディングオベーションでしばらく終わらなかった。
ホームルームで三年生に教室で卒業証書を渡され、部室に唯と藤子は向かった。
すでに在校組が集まっており、裏方をしていた美波も来ていた。