話の出どころはマヤであった。
「じゃあ何で分かったの?」
それがね、とマヤは唯やあやめ、みな穂を集めると、
「たまたま聞いちゃったんだ」
職員室にマヤが清正の印鑑をもらいに書類を持っていった際、
「嶋先生、法事で休まれているそうです」
このときに他の教諭が、よりによってベラベラ喋ってしまったのである。
数年前の話で、アイドル部の連中が知っているものと思い込んで話したらしいが、
「それさ、黙ってたほうがいいよね?」
マヤ、あやめ、唯、みな穂は箝口することにした。
「だってさ、先生だって言わないのにはおそらく、理由があるはずなんだって思うし」
比較的アイドル部は口が固い。
サプライズ企画を扱ったりすることに慣れており、普段から秘密を厳守しないと影響が多大であることを自覚していた面はあったろう。
が。
修学旅行から帰ってきた翠がなぜか知っていて、
「ねぇねぇ聞いた? 先生の奥さんの話」
思わず唯は顔が固まった。
どこで話題を手に入れたかは分からなかったが、何せ生徒会長である。
いくらでも情報源ならありそうではないか。
「何のこと?」
唯は知らないふりをした。
翠は得意気になって、
「すごくラブラブだったらしいんだけど、四年ぐらい前に肺炎で亡くなって。もともと喘息だったから悪化してから早かったんだって」
妙に明るく話す翠に、だんだんあやめは腹が立って来たようで、
「…!」
無言で翠を平手打ちした。
「…何?!」
「見損なった。そんな人だったなんて」
あやめの目には涙が浮いている。
翠は他人に叩かれたことがなかったのか、その場にヘタり込んだ。
「私もその話は知ってたけど、それよりあなたが他人の不幸を明るく話すような、無神経な人だとは思わなかった」
あやめは静かに言った。
「私…そんな人に、たとえ生徒会長であっても、守ってもらいたいなんて思わない」
あやめは部室を出た。
重い沈黙が流れたあと、
「…巧言令色、仁すくなし」
とだけつぶやくと、みな穂も部室を出た。
みな穂に追い付いたすみれが、
「みな穂、さっきなんて言ったの?」
「巧言令色、仁すくなし」
みな穂に言わせると、
「口先ばかりで中身が伴わない…そんな人は人徳がないって意味です」
憤怒が内側にこもっているだけに、冷ややかな物言いは余計に恐怖を増幅していた。
「少しは反省してくれるといいけど…どうかな」
みな穂も少しおさまってきたようで、
「すみれ先輩、ひとまずイリスを探しましょう」
手分けしてあやめを探しした。
みな穂には心当たりがあったらしく、
「多分あそこかな」
と、図書室脇の階段をのぼった先の屋上に、やはりあやめはいた。
あえて何も言わないまま近づき、
「…イリス、大丈夫?」
みな穂はあやめを後ろからハグした。
あやめは少し驚いたが、
「みな穂…」
「イリスは何も悪くなんかない」
だから何も悲しくなる必要はない、と抱き締める腕を強めた。
みな穂は少し部長らしくあろうとしていたのか、
「確かにセラミックスには問題がある」
でも、とみな穂は、
「それでも仲間だから信じなきゃいけない。だけど、私にはその動機が見つからないし、どうしたらいいか分からない」
とも言った。
「みな穂は素直だよね」
あやめは答えた。
「私がアイドル部に行きたいって相談したとき、みな穂はそんな世の中はきっと甘くないよって言ったよね」
「うん」
「あのとき、それでもみな穂は止めなかったよね」
「だってあやめの人生だもん」
「それで、きっと厳しいかも知れないけど、頑張るって決めたんだよね…それを思い出した」
みな穂は黙ってあやめの頭をなでた。
みな穂とあやめが部室に戻ると、
「…」
翠が一人で泣いていた。
「私、何をどこで間違ったのかな?」
みな穂は少し考えてから、
「まず結論から言うね。私はあなたが憎い訳じゃない。翠ちゃんが人の生き死にに関わる話を、軽々しく扱ったから腹が立っただけなの」
翠の嗚咽が止まった。
「イリスは知ってるよね、私が震災で札幌に避難してきた話」
「うん」
翠は思わずみな穂を見た。
「私は生き残れたけど、友だちも、可愛がってくれた近所のおばちゃんも、みんな津波で流された」
翠は顔がこわばった。
「あなたはきっと、安全な場所でずっと過ごしてきて、だから別に特技とか持たなくたって生きて来られたんだと思う」
だけど、とみな穂は、
「私なんかは特に、生きるために必死だったし、今だって不安だらけだから、これだけは負けないってものを今も探してる。あなたには何があるの?」
翠は返す言葉どころか、気力すら失っていた。
「…だからもう、そういうことは私の前ではしないで欲しい。言いたいのはそれだけ」
みな穂は部室の窓を開け、
「さ、淀んだ空気を変えよう」
少し冷たくなった、十月の乾いた風が抜けて行った。
それから数日間、翠は部活にあらわれなかった。
「辞めたんじゃない?」
でも退部届は清正のもとへは出ていないらしく、
「どういうことなんだろうね…」
全員が感じるところではある。
「でもさ、みな穂ちょっと甘くない?!」
修学旅行から帰ってきたばかりの優海は納得がいかないようで、
「ちょこっと説教して終わりにするなんてさ、甘過ぎるって」
「優海先輩は、自分にも他人にも厳しいですもんね」
あやめが言うと、
「プロになりたい人がうちの部は少ないからなぁ」
優海はため息を漏らした。
「確かに甘いかも知れないです。けど、罪を憎みて人を憎まずって言うじゃないですか」
「でも…」
「あるいは、徳を以て恨みに報いるとか」
あとは…と言いかけたので、
「もういいって」
優海は苦い顔をした。
そこへ。
「…おはよう」
髪をバッサリ短く、体育会系のような髪型をした翠があらわれたのである。
それまでの腰近くまであったロングヘアを四十センチ近く切っているので、全員が目を丸くした。
「派手にやったねー」
マヤが冗談めかしたが、
「このぐらいやらないと駄目かなって」
自分にヤキを入れるつもりでやったらしかった。
「みな穂、何を言ったの?!」
「私は、単に命に関わる話を、軽々しく私の前でしないでって言っただけです」
訊いてきた雪穂に答えた。
そこへすみれが来た。
「あのさ、念書おぼえてる?」
翠は今さら思い出したのか、
「あんな紙切れがどうしたっていうのよ!」
ヒステリックな声を出した。
すみれは例の念書のコピーを鍵付きの引き出しから取り出すと、
「私言ったよね? うちの事務所では約束事はすべて紙に書いて残す決まりだって」
「だからどうしたのよ!」
すみれは怒りが増すと逆に冷徹になってゆく。
「今うちのアイドル部は、うちの事務所でマネジメントしてる訳ね。つまり、このルーズリーフのコピーも、うちの事務所の範囲内って訳」
ここまで来て翠は意を察したらしいが、すでに遅い。
「要は、あなたがここに書いた『今後はアイドル部に迷惑をかけることはいたしません』って内容と、あなたがしたことは、明らかに真逆な訳ね」
退部するか、生徒会に戻って今後はアイドル部に接近しないか、どちらかを選べ…というのが、すみれの結論らしかった。
すみれのあまりに冷ややかな論破ぶりにみな穂は、
「でも本人は髪まで切って反省してる訳だし」
すみれは遮るように、
「髪なんかまた、伸びてくるって!」
それより、とすみれは、
「あなたは生徒会を理由にレッスンすら受けてない。部費だけ払って籍だけあれば、何とでもなるというあからさまな考えが見え見え」
いつもなら優海が言いそうなセリフをすみれが言うのは珍しかった。
「退部するか、生徒会に戻るかはあなたに委ねるけど、ここにあなたの居場所がないってことだけは、今ハッキリさせておくから」
取り付く島すらないすみれの剣幕に、誰も手はつけられなかった。