決戦の朝。
少し早く起きた唯は、相部屋の藤子を起こさないように静かにベッドを出ると、大浴場で一人、気持ちを鎮めた。
戻ると藤子が起きていた。
「いよいよだね」
「うん」
身支度を整えると、カートを引いて食堂へ。
朝食を取り、忘れ物を点検してメンバーを点呼し、
「ありがとうございました!」
全員で深々とホテルに礼をし、会場の横浜スタジアムを目指してバスに乗り込んだ。
「いよいよだね!」
などと言いながら、茅ヶ崎から関内まで、比較的空いていたのもあって少しだけ早めに、横浜スタジアムへ着いた。
ののかがすぐに見つけたらしく、
「おはよー!」
ののかは結果を見られない旨を伝えた。
「今日、夕方面接なんだ」
何の面接かは言わなかったが、敢えて深くも訊かないのが、アイドル部の昔からの信頼関係であろう。
昨日の課題曲のあと、自由曲の発表での順番決めの抽選では、本戦の二十四高中いちばん最後を引いた。
「大トリだから目一杯出来るね」
唯は言う。
「今日は確かテレビ中継があるハズ…」
清正は続けた。
「えぇ顔してゆこうや」
目を細めた。
そのとき。
「お屋形さまーっ!」
先日の清正の爺が、何やら箱を若者に持たせ清正に近づいた。
「本日いよいよご出陣なれば、これを」
うやうやしく箱を開くと、中から何やら棒のようなものが出てきた。
組み立てると、それは尖端に穂がついた槍である。
「これは旗槍でございます」
刃のない槍に旗をつけて軍旗にした物らしい。
「どうか、武運長久を」
「すまんな」
穂先だけ外し、手早く取り出したアイドル部のフラッグを取り付けると、
「何かカッコよくなったねー」
白のポールより旗らしくなった。
「行こうか」
「はい!」
スタジアムへと入っていった。
スタジアムに入ると清正は再び穂先を旗につけ、穂先は鞘袋をかけ、掛緒を結った。
「衣装が古風だから、合ってるかも知れないです」
というのも。
今回の衣装は金ボタンをつけた紺の詰襟風の上着に膝丈のスカート、袖にはスクールカラーのライラック色のスカーフを巻いて、ロングブーツに腰はベルトを巻いている。
「さすがに男装風なら、かぶらないだろうって」
唯の閃きから出たものだった。
どこから閃いたのかというと、あのとき広場にいた翠と話していた、どのような関係か分からなかったが、詰襟姿の男子学生の姿を見つけた瞬間に、稲妻の走るがごとく浮かんできたのだ、という。
話を戻す。
清正はここまでで、あとは男子禁制なので長谷川マネージャーだけが許される。
「先生、行ってきます!」
あとは、結果が出たあとまで客席に陣取ることとなる。
いよいよ自由曲の部門が始まった。
前日の課題曲の段階では、三位につけている。
「一位が叡智学院、二位が都立鍛冶橋かぁ…」
どちらも優勝候補として名前があがっていた高校で、
「プログラムだと叡智のあとですよね」
隣に座った翠が確認した。
舞台には一番の府立高校が登場し、華やかなオレンジのスクールカラーを基調とした衣装でパフォーマンスを始めた。
一番最後の二十四番がライラック女学院なので、本来ならリラックスしても良いのであろうが、そこはやはり初めての本戦である。
「みんな大丈夫かなぁ」
本番中はスマートフォンが使えないので連絡も出来ない。
気づくと二番の学校が終わって拍手を受けていた。
いっぽう。
舞台裏の出演者控えとなっているブルペンでは、出場する学校が順番ごとに呼ばれてゆく。
一番から上手、下手と交互にスタンバイしてゆくので、二十四番のアイドル部は下手からとなる。
最初こそ、どこの高校も賑やかに話しているが、出番が近づいて来ると口数が減る。
ライラック女学院は知名度は高い。
今やYouTubeチャンネルの登録数は数万を数え、Twitterは公式マーク付き、部のInstagramは海外からもフォローされている。
果然、他校からも声をかけられる。
特に藤子と雪穂は顔が割れていただけに、
「写真撮ってもらえますか?」
などと求められる。
中には、
「実は藤子ちゃんに憧れて、アイドル始めたんです」
という、四国から来たチームの子もいた。
「YouTubeでずっと見てて、今回一緒に出場出来るのが夢のようだった」
それだけで、同好会時代から精進してきた甲斐があったといっていい。
二階席にいた清正と翠は、十二番のチームが済んで休憩に入ると、ロビーでサンドイッチをつまみながら他のチームの分析をしていた。
そこへののかが来た。
「これから面接に行ってきます」
「気をつけや」
「あ、それと先生」
「桜庭くん、どないしたん?」
清正はスポーツドリンクでサンドイッチを流し込んだ。
「先生は、優勝すると思いますか?」
「するとは思ってへん」
翠が何かを言い掛けたが、
「ただ、優勝するとは信じとるけどな」
「分かりました」
それだけを聞くと、ののかはロビーを離れた。
翠はこのアイドル部というチームの、真の意味での強さを見たような気がした。
二十三番の高校がスタンバイし、ブルペンはアイドル部だけになった。
「ここでいつもの、行くよ!」
唯を中心に、九人の円陣が組まれた。
「長谷川さんも、ほら!」
長谷川マネージャーも加わる。
「みんなのために、てっぺん取るぞーっ!!」
「おぉーっ!!」
黄色くも力強い声を出すと、
「二十四番、スタンバイです」
スタッフから呼び出しがかかった。
アイドル部は、舞台袖の所定の位置へ向かって、一斉に駆け出していった。
「二十四番、北海道代表、ライラック女学院高等部」
ネットで知られていただけにコールだけで拍手が沸いた。
袖から九人が出てきた。
いよいよ、自由曲のパフォーマンスである。
まず藤子がフラッグを掲げる。
モロキュウPによる作曲の『扉』のイントロがかかった。
練習のフォーメーション通りに動いてゆく。
難所のクロスもクリアした。
歌詞は間違いなく、優海とすみれが歌ってゆく。
敢えてミュージカルっぽく、しかしアイドルらしさを残したのも、これは計算通りであった。
無事にパフォーマンスが終わると、拍手がなかなか止まずスタンディングオベーションになった。
「…やった」
ようやく清正は肩の荷が降りたような気がした。
「あとは結果やけど…こればっかりは分からん」
勝負ばかりは天の配剤、と清正は呼吸を整えようとした。
カメラチェックも無事に済み、
「みんな大丈夫かいなぁ?」
それだけが心配だった。
審査の結果発表が始まった。
まずは銅賞、オーディエンス賞、技術賞、審査員特別賞、銀賞、金賞、そして最後に最優秀賞と呼ばれる。
まだ出ない。
不安と期待が入り混じる。
特別賞で叡智学院が出た。
銀賞ではない。
清正は天を仰いだ。
金賞…でも呼ばれなかった。
(さすがにアカンかったかなぁ)
息をついた。
しばし、沈黙があった。
「最優秀賞、ライラック女学院高等部」
一瞬、よく分からなかったが、一階の代表席で唯や藤子たちが抱き合って泣いていた。
「先生、取りましたよ!」
翠に揺さぶられて我に返った。
「えらいことになった」
まず思ったのはそれである。
信じてはいたものの、まさか取れるとまではまるで思っていなかっただけに、
「あいつら、すげぇな。奇跡起こしよったで」
参ったな、というような顔をした。