が。
本殿から正門をくぐり、弓道場の脇にある駐車場を目指して木立ちを歩いていたときである。
ヒョーッ、と石のようなものが飛んできた。
「危ないっ!」
茉莉江に当たりそうになったので、清正は咄嗟に茉莉江を草むらへ突き飛ばしてかばった。
茉莉江は、スーツが汚れただけで済んだ。
しかし、
「…っ!!」
見ると、清正が右眼に手をあてがい倒れ込んでいる。
指の間から、鮮やかな血が垂れていた。
「大事ない、大事ない…」
と言ってから気を失った。
修羅場である。
「…もしもし?」
藤子は冷静に警察を呼び、運転免許の講習で救護を習ったばかりの美波が、止血のためにハンカチを裂いた。
あたりはざわつき始めている。
人だかりがし始めていた。
ほどなく救急車が到着し、救急隊に運ばれて清正は市立病院へと運ばれていった。
清正が意識を取り戻すと、市立病院の集中治療室であった。
「緊急手術をいたしました」
ぼやけた左目で、医者を確認した。
「残念ですが、右眼は失明状態です」
「そんなことはどうでもえぇ、とにかく安達は…安達くんは無事か?!」
清正にすれば、茉莉江に怪我がないかどうかのほうが大事であったらしい。
「同行された方は無事です。かすり傷ぐらいでした」
「それなら、えぇ」
清正は安堵したのか、深い息をついた。
後日このときのことを問われると、
「嫁入り前の顔に傷はつけられへんかった」
自分は男なので、むしろ顔の傷は勲章である──と言い、笑い話にしていた。
数日後。
メンバー全員と茉莉江が、見舞いをしにやって来た。
「眼は大丈夫?」
マヤが心配そうに訊いた。
「右眼は、あかんらしい」
明るく言ったのだが、茉莉江はすっかり落ち込んでしまっていた。
「きっと、私のせいだ…」
「いやいや。男は女を護るもんやからね、まぁ安達くんが無傷なら、それはそれで男子の本懐よ」
メンバーがかつて見たこともないぐらい、豪快に笑う清正が、茉莉江には痛々しかったようである。
ようやく衣装も決まり、期末テストも終わった七月はじめ、最終調整を兼ねた合宿のため、メンバーのうち生徒会長の翠は残し、美波や長谷川マネージャーらと九人は、昼前の羽田行きで新千歳から飛び立った。
新千歳までは澪が見送りに来た。
「私たちの夢を託すから、頑張って!」
澪が携えてきたのは御守である。
「ひさびさにミシン使ったから不細工だけど」
しかし「必勝」とあるフェルトの手作りの御守を渡されると、
「仲間は、信じるもの」
というフレーズが、唯の脳裡によみがえった。
清正は今日退院の予定で、茉莉江が市立病院まで迎えに行っているはずである。
「次の飛行機で行くから、一時間遅れだって」
「先生、どうなるんだろうね…」
唯は飛行機の中で、隣席のマヤに話しかけた。
「本人は強がってるけど、奥さんいるから大丈夫だよ、きっと」
それならいいけど、と唯は雲の波が広がる窓の外に目をやった。
約二時間近いフライトのあと羽田空港に着くと、横浜へ進学していたののかが迎えに来ていた。
「陣中見舞いだよ」
そういうと、横浜駅で買い込んだ崎陽軒のシウマイ弁当と緑茶を渡し、
「腹が減っては戦は出来ぬ、なんてね」
澪から御守を渡された話を唯がすると、
「私たちには叶えられなかった夢だからね…」
エントリーの段階で七人以上いなければ参加できなかったのである。
一時間ばかり待っていると、茉莉江に付き添われて清正が眼帯をつけた状態で到着した。
メンバーは清正を囲むと円陣を組み、
「先生のためにも、てっぺん取るぞーっ!!」
「おーっ!!」
唯を中心に気合いを入れる。
「それにしても、犯人は見つかったの?」
茉莉江はののかに、
「すぐ逮捕はされたみたいだけど…」
とだけ答えた。
ひとまず、合宿施設のある茅ヶ崎を目指した。
清正襲撃事件の犯人は、熱狂的なファンの男であった。
「あの女が邪魔だった」
と供述し、どうやら翠を狙って、即席のパチンコで射掛けたらしい。
しかし。
清正がかばって撃たれ、片目を失ったとニュースが流れると、
「申し訳ない」
のちに弁護士を通じて、謝罪があった。
清正はその後、
「なるほど片目を失うに至ったのは遺憾の極みやが、これは流れ弾のようなもので、別に両目ではなかったので、見えて良かったというのが偽らざるところ云々」
と述懐している。
バスに乗り込もうとしたときである。
「お屋形さま!」
清正に近づいてきた一人の老父がいる。
「おなつかしゅうございます…爺でございます」
顔を見て清正は驚いてから、
「爺やないか!」
「すっかりご立派におなりあそばしまして…」
しかし例の眼帯姿である。
「独眼竜に、おなりあそばしましたか」
「なーに、戦傷みたいなもんよ」
爺はかしこまってからメンバーたちを見るなり、
「これ、こちらにおわすお方を、何と心得る!」
清正は苦笑いした。
「畏れ多くも丹後和泉崎藩三万七千石、旧子爵嶋長門守さまの末裔、清正公なるぞ!」
まるで時代劇さながらのセリフにメンバーはあっけにとられた。
「今はただの教師や。また改めて積もる話をしよう」
「ハハッ」
老父は丁重に頭を下げると、杖を手に去ってゆく。
バスの車中は果然、清正の話になった。
「別に隠してた訳ではないんやけど、別に自分が偉い訳でもないし」
それで黙っていたらしかった。
「それでなんか戦国武将みたいな名前だったんだ…」
雪穂がつぶやいた。
「前に澪先輩が、毛利とか藤堂とか戦国無双の家来にいそうなんて言ってたけど…家来じゃないじゃん」
優海らしいツッコミが入った。
「でもなぜ北海道に?」
「まぁ早い話が、息苦しくなってやな」
それなりの名家の出には息詰まるものがあるらしい。
「それでたまたま北海道で教師に採用されて、前いた学校が閉校なって、そしたらたまたま募集あったからライ女に来た」
そこでアイドル部の顧問のなり手がなかったので就任したらしい。
とりあえず授業は問題なさそうだが、
「車の運転と、日課の運動がなぁ」
すみれだけが知っている投げ込みである。
「キャッチボールぐらいなら、大丈夫じゃないですか?」
何気なく雪穂が言った。
「うちのいとこで、中学で野球やってるのいるんですよ」
相手にどうか、というのである。
「さすがに早い球は投げられんで、バランスとかいろいろあるし」
清正は笑ってから、
「大人しく教鞭とっとけってことなんかも分からんな」
どこか達観したような眼差しをした。