Girls be ambitious! SEASON1


 あやめははじめこそ雪穂の顔を見て安堵したのか、泣きじゃくっていたが、

「…なんでここが分かったの?」

「あのね、実は」

 ノートの件を話した。

「別に見たかった訳じゃなくて、落ちたのを片付けてあげてたら見えてしまって。タダごとじゃないのだけは、すぐ分かった」

 それで藤子に相談したらしい。

「藤子ちゃんに相談したら、それはいじめだからちゃんと様子見てあげてって」

「えっ…?」

 あやめは顔を上げた。

「私たちはあやめちゃんを、一人になんかしないよ」

 と雪穂は言った。

「だって、仲間じゃん」

 いじめられたら部室に逃げればいい、と雪穂は言い、合鍵を渡した。

「先生や澪先輩だって、仲間は信じるものだって言ってたし」

 一年で雪穂は、精神的に成長していたらしかった。

「先生には私から話すから、あやめちゃんは何も心配しないでいいよ」

 ようやくあやめは涙が止まった。

 しばらく雪穂は、あやめの隣に座って陽の傾きを浴びていた。


 数日後。

 あやめのクラスに美波があらわれた。

「赤橋あやめの敵ってのは、どいつだ?!」

 みな黙ったままである。

 どこかであやめの件を聞いたらしいのだが、余りの凄まじい形相に、クラスじゅうが震え上がったままである。

 かつて澪がいじめられていたとき、当時一年生ながら美波は、主犯格だった三年生のクラスに一人でラケット片手に乗り込んで行き、

「澪のあだ討ちに来た」

 と殺気立った目を血走らせて言い放ち、三年生から恐れられたことがある。

 ほぼ、それに近いシチュエーションが出来ている。

「名乗り出ないなら、このクラス全員を敵とみなし、受験の内申書に一部始終を書いておくように仕向けるから、覚悟しとけ」

 今回は相手が後輩なだけに、なおさら恐怖心はましていたようである。

「…ったく、余計な手間取らせるんじゃねーぞ!」

 言い捨てて美波は去った。



 あとから美波は清正に呼び出され、

「何ちゅうことすんねん…」

 溜息をついてこぼしながらも、相変わらずの正義感の強さは認めた。

 だがしかしことがことだけに、清正もまるっきり放置するような意向もなかったらしく、

「しゃあないなぁ…大人が本気になったらどないなるか、ちょっとやるしかないか」

 清正は名簿を繰り開いて、あやめのクラスの担任を内線で呼び出し、

「ちょっと顔貸せや」

 関西弁なだけに、まるで博徒の出入りのような空気になったらしい。


 

 しばらくすると、いじめはなくなっていた。

「先生、何やったの?!」

「なーに、大したことはあれへん」

 担任シメて教育委員会と文科省にタレコミしただけや、とのみ言ってあとは語らなかったが、あとから聞くと直接大臣室に申し入れをして、トップサーキットをやったらしい。

「ワイにとっても部員は大切な子たちや。それが脅かされたとなったら、このぐらいは動かなあかんやろ?」

 むしろ清正は泰然としていた。



 連休中、澪が久々に部室に来た。

 美波からあやめの件は聞いていたらしく、

「美波ったらもう、頭に血がのぼるとすぐ動くから…」

 少し大人になろう、と諭した。

 美波は笑って、

「それなら私は最期まで子供のままでいい」

 嘘をついてまで大人になる気はない、と言い放ち、澪をあきれさせた。

 清正も、

「やりかたに問題はあるが、今回はあれでえぇ」

 と美波を厳重注意にしただけであった。


 連休中、もう一つ出来事があった。

「コミケ行ったんだけどさぁ」

 マヤは五月の東京でのコミックマーケットにここ三年ばかり参戦しているのだが、

「帰りの羽田空港でセラミックスに会ってさぁ」

 瀬良翠のことをマヤだけは、なぜかセラミックスと呼ぶ。

「それがコミケの袋なんか何個もぶら下げてたから、ちょっと機内で、小一時間ばかり問い詰めてやった訳ね」

 別にヲタクって隠すような事柄でもないのに、とマヤは腹が立ったらしかった。

 すると、

「あの子ホントは超ヲタで、日頃あんなにボロクソにアイドル部ディスりまくってるくせに、初音ミクのグッズ転売屋なみに買っててさ。好きなら好きって素直になればいいのに違うから、こっちが馬鹿にされてるみたいで、だんだんムカついてきてさ」

 詰問させてもらった、というのである。

「証拠の写真もあるよ」

 そこには引きつって泣きそうな笑顔をした翠が、初音ミクのぬいぐるみを抱えている姿がある。

「なんでミクヲタなのを隠す必要があるのか、私には皆目分からないけど、まぁ新千歳まで充分な暇つぶしになったからいいわ」

 マヤは翠に対し、ヲタクは恥ずべきものではないとかなり腹に据えかねていたものか、清々しい顔をしていた。





 数日後。

「ごきげんよう」

 と取り澄ました顔の翠が、朝練でグランドに集まっていたアイドル部の集団に近づいてきた。

「あ、セラミックスおはよー!」

 マヤがコスプレイベントで鍛えた声を張り上げると、登校中の生徒たちが振り向くほど、周りの手稲山にも響いた。

 全員、マヤに注目がゆく。

 そこをマヤは逃さない。

「こないだは初音ミクのグッズ、見せてくれてありがとねー!」

 これをやられては、翠も形なしである。

 翌日から翠はセラミックスというあだ名で呼ばれ、のちに余談ながら卒業後しばらくして、結婚式の披露宴までそう呼ばれ続けるに至る。

「あれでアイドル部ディスれたら、あの子かなりの大物なんだけどね」

 美波が卒業しても、代わりにマヤというキャラクターが似たようなことをする。

「代わりって、あらわれるんだね…」

 千波は目をシバシバさせた。




 さらに翌日。

 放課後の部室でアイドル部が準備をしていると。

「ごきげんよう」

 翠があらわれた。

「体験レッスンは週末です」

 ろくに顔も見ないまま雪穂が言った。

「あなたねぇ…」

「あ、セラミックス」

 雪穂のボソッとした口調にかかると、翠は言葉に詰まる。

 それでも、

「…私はあなたたちを、認めたわけではありません」

「私だってあなたの子でも孫でも、ましてや婿でも嫁でもないんで、認めようが認めまいが預かり知らないんですけどね」

 雪穂の切り返しに再び翠は体がぐらついた。

 完全勝利した瞬間である。


 あまりにもすきのなさ過ぎる雪穂の返答は、

「雪穂砲」

 とも呼ばれる。

 ファンの間では「雪穂様に叱られたい」というハッシュタグがあるぐらいなのだが、それにしても一撃である。

「まるで伝説のマタギみたい」

 唯が言ったそれには解説が要る。

 大正時代に起きた三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件、通称羆嵐(ひぐまあらし)という、七人がヒグマに襲われ犠牲となった事件がある。

 このとき銃を質屋から請け出してヒグマの眉間に一発で命中させた猟師が、伝説のマタギである。

 北海道ではこれを地域の歴史として、小学校の社会の時間で教わる場合が多い。

 それで。

 一言で相手を止めると、こうした喩えに使われることがあるのだが、

「おばあちゃんがアイヌの系統だから、仕留めるの上手いのかも」

 雪穂が真顔で言うとシャレにならない。


 週末。

 再び翠が部室にやってきた。

「…おはよう」

 いつもの「ごきげんよう」ではなかったので全員身構えたのだが、

「あのね…」

 翠は目を潤ませていた。

「雪穂、ちょっと」

 雪穂の手を引いて外へ出た。

「こないだはごめんなさい」

「私は気にしてないよ」

 雪穂は声を荒らげることが少ない。

「でも素直じゃないよね…よっぽどのことがあったのかも知れないけどさ」

 雪穂はおっとりしているが、頭が悪い訳ではない。

 何か見抜いている。

「実はね…あやめちゃんの件があったじゃない?」

 雪穂は勘が働いた。

(あ、やっぱりこの子もいじめられてたんだ…)

 後日、雪穂の読み通り中等部時代にかなりいじめられて引き籠もっていた時期があったらしかった。




 やっぱり、といったような顔で雪穂は深く息をついてから、

「いじめられるのが怖かったの…」

 雪穂は問い詰めるようなことはしない。

 が。

「じゃあさ、約束して?」

「約束…?」

「あなたがあやめちゃんを守ってあげて。翠は生徒会長だから、そのぐらいは出来るよね?」

 それまでの非礼を不問に付す条件である。

「…分かった」

「じゃあ、ちょっと入って」

 そこで再び、

「今までのことを水に流す代わりに、セラミックス…じゃなかった、翠があやめちゃんを守るって約束をしてくれた──これでいい?」

「…はい」

「唯先輩、どうします?」

 唯に伺いを立てた。

「そこまで話が出来てるなら、私は構わないけど…」

 唯は意見を求めた。