◇
彼──榊 夏哉という男子生徒と出会ったのは、去年の夏休み前だった。
26度以下に設定すると勝手にエアコンの電源が切れてしまうのは普通教室だけで、普段生徒の利用することがない教室は自由に温度を設定することができる。
夏の授業がいちばん苦手な僕は、チャイムが鳴って号令の語尾が消えた瞬間、教室を出ていくことで生徒の間で有名になっていたということは、後に榊くんから聞いたことだ。
その日も昼前の授業を終え、走っているとは言わせない速度で早足に化学準備室へと向かった。
化学準備室はおろか、化学室を使うこともないから、生徒は寄り付かず、教員も滅多に訪れないフロア。
いつものように、廊下を歩いてきたらまず手をかける方のドアではなく、反対側を開ける。
まずはむわりとした空気が顔面に広がるが、エアコンをつけてしまえばものの数分で部屋も体も冷える。
贅沢をしている自覚はあるから、無人の間にまで電源を入れるような勿体ない真似はしない。
「あっつ……」
ドアを開いた途端、ひんやりとした空気が一気に廊下に飛び出していく。
反射的に、素早く室内に入り、派手な音を立ててドアを閉めた。
冷えきった空気を外に逃がさない、これは鉄則だ。
まさか、前の時間にエアコンをつけっぱなしにしていたのだろうか。
ここを出る前に二度三度と確認はした、はずなのだが。
「おかえり、なんとか先生」
「……誰だ、きみは」
ソファにふんぞり返って脱力しきった男子生徒の姿が目に入るまでに随分と時間がかかった。
見たことのない生徒だ。
受け持っている生徒の顔や名前はある程度把握しているつもりだけど、3年生に化学の授業はないから、この生徒は確実に知らない人間。