「どうして?」
無垢な瞳を、わたしの言葉が染めてしまうかもしれない。
コウトくんの中でとても大きな存在になっておきながら、人任せにしてしまう夏哉に腹が立つ。
それでも、この旅を、出会いを、面倒だと思ったのは最初だけだった。
「とても、辛いことがあったんだって」
「いたいこと……? いじめられてたの?」
さっきは濁した返事を続ける。
「そう。痛いことも苦しいことも、きっとたくさんあったんだよ」
たくさんのうちのひとつも知らないことが、歯痒い。
「でも、きっともう夏哉は痛くないし、苦しくないから」
最初の手紙に夏哉が書いてあったように、もし天国という場所があったとして、夏哉はそこにいけたかどうかなんて、知らないけれど。
きっと、この世界で生きていたときのような思いはしていない。
それから逃れようとした夏哉にとって、そこはわたしが思うよりもずっと、穏やかな場所なのかもしれないから。
「だから、笑って?」
目の縁いっぱいに溜まった涙が今にも溢れ出てしまいそうになっていた。
波間が揺れて、顔がくしゃりと歪んで、綻んでいく。
わたしの言葉とは反対に、泣き顔を見せたコウトくんは地面と真っ直ぐに向き合うように俯いて、わたしの首に回していた手も自分の服の裾を掴んでいる。
わたしはその様子を見守っていた。
手を伸ばしたって、今はきっと、重ねられないと思ったから。
「っ……う、うぅ」
呻くような、もがくような声にこちらが苦しくなる。
やがて、ぼたぼたとアスファルトに落ちていた涙が止んだ。
鼻を啜る音がしばらく続いて、ようやく顔を上げたかと思うと、コウトくんはわたしを見ずに空を見上げた。
真っ青な空に浮かぶ雲は染まらずに白いままなのに、夕日に浸された空に浮かんだ雲は、淡い橙色に染まる。
低い雲は影のせいで黒ずんで、高い空は赤く燃えそうに揺らめいて。
「なつくん!」
吠えるように、空に向かってコウトくんが叫ぶ。
「ぼく、がんばる! なつくんみたいなおとこのこになるから、だから」
興奮しきったコウトくんが一旦言葉を区切って深く息を吸い込む。
この辺りの空気がぜんぶ、コウトくんの肺に吸い込まれたみたいで、わたしは浅い呼吸をすることしかできない。
「ちゃんと、みててね!」
うろ覚えのコウトくん宛ての手紙を思い出した。
ちゃんと、手紙の内容を覚えている。
理解して、こうして、叫んでいる。
自分よりもずっと小さな男の子が、両足で立って空に叫ぶ様がすごくかっこよくて、コウトくんの未来をわたしも見ていたいと思った。
言い終えたあと、まだ荒い呼吸を整えないままに、コウトくんは空に向かって満面の笑みを浮かべた。
くちびるの端っこが震えていて、ずっと音を立てて鼻水を吸っているけれど、精一杯の笑顔を見せてくれた。
「こうちゃん」
ずっと、後ろでわたしとコウトくんのやり取りを見ていたヒサコさんがコウトくんのそばに寄り添って、空を指さす。
その先をわたしも追いかけると、一番星が瞬いていた。
「なつくん?」
「そうねえ、夏哉くんかもしれないね」
ふたりの会話が一瞬理解できなかったけれど、もしかしたらコウトくんは一番星が大切な人だと教えられたのかもしれない。
わたしは、夜が空の真ん中にきたときに、いちばん輝いている星がそうだと教わったけれど。
「なつくーん」
おーい、と声を張りながら、一番星に手を振るコウトくん。
その横で同じように手を振るヒサコさんにならって、わたしも手を振ってみた。