「せっかく先輩たちの暴力に耐えて、後輩はそこそこ出来るやつが入ってきて、キャプテンになれるかもってときまで我慢してたのに結局辞めちまうなんて、あいつは馬鹿だ」
「…………」
「他人か自分を傷付けないと自分を守れないとき、他人を選べないやつは優しいけど、弱いんだよ」
何も言えずにいるわたしに、アカツキくんが畳み掛けてくる。
話だけを聞いていたら、アカツキくんは間違ったことを言っていないと思う。
優しさは強さに変わるかもしれない。
けれど、人を傷付けられない弱さは、悪意に勝てない。
人を傷付けられないのならせめて、自分の身は守らないといけないのに、夏哉はそれが出来なかったのだろう。
わたしの命を救ってくれたように。
わたしの日々のいくつかを彩ってくれたように。
人のために笑って泣くことができるほどの人が、踏み切れなかった理由なんて、ひとつしかない。
わたしのためだ。
わたしのせいだ。
自惚れだったら恥ずかしい、だなんて勘違いも自意識過剰も起こさない。
紛れもなく、間違いなく、わたしのためだ。
血の気の引いていく顔を、アカツキくんの指先が辿って、反射的に手を振り上げる。
ぱしん、と乾いた音を立てて、アカツキくんの手の甲を弾く。
「俺はあいつに何もしてないよ」
「でも、助けなかったんでしょう」
「俺は、自分を守れる。傷付きたくないから、夏哉じゃなくて自分を選んだんだ」
ひどいよ、と罵りたい。
やるせなさでいっぱいになって、アカツキくんの肩を拳で叩く。
人のために傷付きたくない。
それは、わたしだって思ってる。
加担はしていない、というアカツキくんの言葉を鵜呑みにできるほど、彼を信じてはいないけれど、感情を理解することはできた。
「先輩がいなくなってからは、俺だってあいつとの仲、修復しようとしたんだ」
けれど、無理だったのだろう。
以前のように戻ることは。
「悪かったと思ってる。でもあいつは一度だって俺に助けを求めたりしなかった」
「求められないからしなかったの?」
「……伸ばされてもいない手を掴めるやつなんか、そうそういねえよ」
苦虫を噛み潰したような、複雑な顔で吐き捨てる。
「もういいだろ。あいつは死んだ。俺にできることは卒業式でしたつもりなんだけど」
卒業証書を受け取ったとき、誰よりも先に頭を下げたのはアカツキくんだった。
周りがみんな頭を下げる中、わたしだけは顔を前に向けていた。
だから、知っている。
いちばん最後まで頭を下げていたのもアカツキくんだということを。
「さよなら、橘さん。もう、会わないだろうな」
もう一度、アカツキくんの指先が頬に触れて、横髪を一房持ち上げると、毛先までそうっと滑らせていく。
髪に触覚はないはずなのに、背中やうなじの辺りがぞわぞわと粟立つ。
それは決して、頬が熱くなるようなそれではなくて、腹の底から冷えていくような嫌悪感。
ぱさ、と鎖骨の辺りに落ちた毛先を名残惜しむように宙を漂っていたアカツキくんの手が離れていく。
アカツキくんは自転車のスタンドを上げると、わたしを一瞥もせずに跨って去って行った。