緩く首を横に振って、カエデさんの手を避けるように踵を後ろに引いたとき、後ろでドアの開く音が聞こえた。

振り向く前に、視界の横に飛び込んできたナオキが俯くわたしの顔を覗き込みに来る。

ふたりして、そんな風に見なくてもいいのに。


「びびった! カエデが泣かせたのかと思った」

「尚くんじゃないんだから」

「は!? なんだよ、俺が女泣かせって? 知ってるよ」

「はいはい。……大丈夫? 冬華ちゃん」


悪ノリを始めたナオキを早々に流して、カエデさんがわたしの腕に触れた。

触れられなくたって消えてなくなったりしないよ。

どこにも行けないのに、そんな風に手を添えられると、自分がとても弱い人みたいに思えてしまう。


泣いてもいないくせに声が震えてしまいそうで、それをナオキにバレたくなくて、頷いて答える。


「何かあったのか? 痛くされたとか」

「ねえ、もう……尚くんじゃないんだから」


くすりと笑ったカエデさんがナオキを見上げる。

むっと唇を突き出して拗ねるナオキもカエデさんを見下ろしていて、その瞳はやっぱり、すごく優しい。

隠そうとしない恋情が漏れ出ていて、こちらが照れてしまいそうになるほどだ。


「行こうぜ。あいつら待ってるから」

「あ、うん」


そうだ、ユリとアキラ。

携帯には何の連絡も入っていないけれど、たぶんこれはアキラの気遣いだと思う。

これ以上待たせるわけにはいかないし、これ以上確実な情報は得られないだろうから、ナオキについて部屋を出ていく。


「またね、冬華ちゃん」

「はい、また」


正面玄関まで見送りをしてくれたカエデさんが差し出す手を掴む。

また会える、だなんて本気で思っているわけじゃない。

カエデさんは島を離れると言うし、わたしだってここへはもう来ないかもしれない。


また、がないことをつい最近経験したばかりのわたしなら、もう少し躊躇するものかと思ったのに、するりと流れるように同じ言葉を返した。


診療所を出て、また海沿いの道を歩いていく。

温まった体が急速に冷えていって、くしゃみを零した。


「なあ、カエデどう思う?」

「え……ああ、良い人だよね。綺麗だし、優しい」


どう思う、と言われても。

悪い印象は一切なかったけれど、どう、と言われても困る。

当たり障りのない褒め言葉を並べると、なぜかナオキが自慢げに鼻を高くする。


「だろ! 俺が惚れた人なんだから、そうだよなあ」


もう遠回りをしない言い方で、はっきりと告げられて、視線を遠くへ逸らす。

ナオキの表情が見えないようにして、気になっていたことを聞く。


「……島、出ていくって」

「うん。知ってる」


口にしてから、まだカエデさんがナオキに話していないことだったらどうしようと焦ってしまったけれど、間髪入れずに穏やか声音が跳ね返ってくる。


「相手、すげえいい人だよ。俺も知ってる人」

「それでも好きなの?」

「はあ? そりゃあ……好きでいるのは自由だろうが」


何言ってんだ、って声にはしなかったけれど、最初の一言で全部伝わってきた。

恋人の有無で好きな嫌いかが決まるわけもないのに、何言ってんだって自分でも気付いた。