顔を俯けてしまったわたしに、カエデさんは寝る前の子どもに語って聞かすようなゆったりとしたリズムと声音を届けてくれる。


「私ね、4月から本土に住むの」

「どうしてですか?」

「学生のときからお付き合いしてる人がこっちに来ないかって言ってくれたのよ。こんな何もない島には呼べないし、ここの先生は私の父親なんだけど、もう医者としては廃業してるから彼も働けなくて。私があっちに行くことになってね」


窓の向こう側、海を跨いだ先を見遣りながら、カエデさんは細めた目を閉じた。


「離れたくないって気持ちが今はいちばん強いけど、今ここに残ることを決めて彼と離れたら、いつか後悔することだけはわかってる」


恋人がいたことないわたしにはわからない話でもあるけれど、カエデさんの言いたいことは何となく伝わった。

行き場のない、落とし所のない悩みなのだろう。


「お父さん、昔は島中の人を診てたんだけど、今では当人が週1で本土のお医者にかかってるの。わざわざ頼んで剥がす程でもないって、看板はつけたままにしてるけど、ここ、診療所でもなんでもないのよ」

「でも、その服なんですね」

「今日は午後から島のお年寄りが集まるのよ。格好だけでもね」


人が集まるのにその格好ということは、診察するのだろうか。

島に住んでいなければわからないことなのだろう。

聞いていいのかわからない。

微妙なラインを察することができて、見逃すこともできるのは、ここで育った人間くらいだと思う。


「冬華ちゃんはひとりで来たの? 尚くん、年下の友だちがいたんだ」

「あ……」


ナオキに連れられてここまで来たけれど、ユリとアキラのことを忘れていた。

船のそばで吹きざらしになっているふたりの姿が浮かんで、更にユリの頭に角の幻覚が見える。


「そういえば、尚くん前に高校生の男の子の友達を連れてきたことがあったけど……あの子、元気かなあ」


窓の方へ向けられたカエデさんの横顔を見ていた。

夏哉のことだってことはすぐにわかったし、他の人は浮かばない。


「……背の高い、なんか、普通の男の子ですか?」

「いやあ……かっこよかったよ。雑誌に載ってそうな」


わたしの言った、言葉だけで組み立てたらなんの特徴もない人物とカエデさんの言う人物の差に思わず吹き出して笑う。

雑誌に載るだなんて、考えられないな。


「彼……夏哉っていうんです」

「あ!そう!確かそうだった!」

「亡くなりました。それを、ナオキさんに伝えに来たんです、わたし」


カエデさんの声があんまり明るいから、本当は、元気にしてますよ、って言いたかった。