わたしの影を踏んで腰に抱きつくコウトくんは、ふらりと揺れていたわたしの手をつかんだ。ぎゅっと繋がれた手は滲んだ汗で冷たいけれど、芯にはたしかなぬくもりがある。


「とうかちゃん」

「うん、なあに?」


乾いた舌の上にも、声は乗ってくれた。平静を装って返事をしたつもりだけれど、子どもが相手だからこそ、誤魔化しは効かなかった。


「どうしたの?」


その一声が、思い出してしまった過去を外に出さないまま仕舞おうとしていたわたしを止めた。

わたしが答えるのを待つように、ただ見つめてくるだけのコウトくんに目線を合わせ、地べたに膝をつく。


「聞いてくれる?⠀わたしの昔の話」

「いいよ!⠀ききたい!」


わたしの肩に両手を置いて、コウトくんは待ちきれないという風に体を揺らした。


「わたしね、昔、ここに来たことがあるんだ」

「えっ、そうなの?」

「うん、そう。夏哉と来たんだよ」

「なつくんと!?」


顔を真っ赤にしたコウトくんが急かすようにわたしの両肩に置いた手を揺する。


あの日のわたしと夏哉も、ひどく興奮していた。

つかんだ記憶の糸をたどって引けば、簡単に栓がはずれて、次々に溢れ出てくる。


季節は秋の終わり頃。

いつもは閉ざされている大きな鉄柵の扉が、子どもの通れる幅に開いていて、それに気付いた夏哉とともに幼稚園を抜け出した。園バスでの行き帰りや車で橋を通るときに見える、河川敷の公園に行ってみることにした。


目の前に広がるすべてが、この瞳に綺麗に映った。

知らない景色が、煌めいて、輝いて。帰り道のことなんて何も考えずに、ただ、前だけを見ていた。繋いだ手を離さなければ、どこへだって行ける気がしていた。


「ちょうどこの辺りでね、迷子になったことに気付いたの」

「まいご?⠀とうかちゃんが?」

「そう。わたしと夏哉、ふたりで迷子。本当に知らないところに着いちゃったからね」


いつも向こう岸や橋の上から見ていた場所にいざ立ってみると、周りは知らない景色。目的地に立っていることも、どこを目指していたのかも頭から飛んでいた。

幼い頃のわたしには、ワクワクとキラキラに溢れていた景色が一気に反転して牙を向いたように見えたのだろう。拍車をかけるように鳴り響いた、鉄道橋を横切る電車の音に、耐え切れず泣き出してしまった。


通行人が足を止めるほどの大泣きをしたせいで、すぐに保護されたけれど、その間ずっと、夏哉はわたしの手を握っていた。小さな手は、私がいちばん知っているぬくもりで、安心できる大きな手だった。


周りの景色は煌めいていたけれど、本当はここにたどり着くまでにも後ろを振り向くのが怖かった。知らない場所に取り残されて、二度と戻れない気がして、泣いていたわたしを繋ぎ止めていてくれた手。


あたたかくて、優しい手のひら。

もう二度と、触れられない、夏哉の手。


「なかないで、とうかちゃん」


そう、確か、あのとき。


『なかないで、とうか』


夏哉もそう言って、笑っていたんだ。

涙ぐんだ目で、震えるくちびるの端を押し上げて。