「どこまで聞きました?」
「榊くんが知っている範囲のことは、おそらくすべて。彼の推測であったり、思うところが主に、でしたが」
「じゃあ、おそらくすべて合ってますね」
朔間先生の口調を真似してみる。
「答え合わせ、いりますか?」
夏哉が話してあることを、わたしが隠そうとは思わない。
あれは過去のことだと、割り切れている部分も大半だから。
「まだ、もう少し先にお願いします」
「ええ……せっかく今日来たのに」
それ以上の収穫があったというのに、ここに来た目的が何もなかったという風に言ってみると、朔間先生はからりと笑った。
流されないところがいいなあ。
若く見えるのに、かなり落ち着いている雰囲気。
「手紙は家で読みますか」
「はい。ごめんなさい。先生が預かってくれていたのに」
「いえ、気にせずに。橘さん宛のものですからね」
その言葉の裏側に、わたしは朔間先生宛の手紙の内容を聞いたじゃないか、と遠回しな嫌味が隠されていないかと疑ってみるけれど。
穏やかに笑みを浮かべる朔間先生からは何も感じ取られない。
「大丈夫ですか?」
ふと、細い目をきちんと黒目が球体であることを確認できる大きさまで開いた朔間先生が声を低くする。
わたしの過去の話を知っていたら、そりゃあ心配にもなるだろう。
けれど、わたしとしては、その助けられた命でもう4年も生きてきたんだ。
突然終わってしまうというのなら、黙って受け入れるほどの冷静さは残っているけれど、迷いの先に死を選ぶことは、しない。
それだけは、これまで辿ってきた手紙と人達に誓って言える。
「本当に?」
「くどいです、先生」
ここまで執拗にさせるほど、わたしは頼りないだろうか。
以前よりもずっと、心は強くなったと思うのに。
弱いときのわたしを知らなければ、まだ全然足りないという意味なのならば、人を心配させないわたしになるまでに、何年かかるかわからない。
もう一度、朔間先生は同じことを言ったから、わたしは頷いて見せるだけで、何も言わなかった。
準備室を出る間際に、朔間先生に背中を向けたまま、一度だけ立ち止まる。
ぐっと、くちびるを噛んで、つま先に力を込めて、しっかりと目を見開いて。
大丈夫だと言い聞かせた。
今、ここで振り向いてしまったら、朔間先生の心配がずっと続いてしまう。
ここにたどり着くまでに散々、アキラを主にたくさんの人に助けられてきた。
もう、旅は終わったんだ。
これからは、ひとりで、生きていかなきゃいけない。
すぐには無理かもしれないけれど、いずれはそうなれるように。
ドアに手をかけて、部屋を出ようとしたときだった。
「橘さん」
思いのほか背中に近く聞こえた声に、肩をはね上げる。
「後ろに片手を出してくれますか」
「え?」
「これを、あなたに」
言われるままに右手を後ろに差し出すと、小さく畳んだ紙のようなものを渡された。
それを握った手を胸元で開くと、裏紙を裂いたようなメモに携帯電話の番号とメールアドレスが書かれている。
「僕の私用の番号とアドレスです。僕からは連絡しません。橘さんがもし、今とても強がっていて、家に帰ってからやっぱり大丈夫ではないと思ったら、いつでもかけてきてください」
「そんなに心配ですか……?」
ただでさえ、もう震えかけてか細い声だ。
今肩を掴まれて振り向かされたら、表情ですべて察してしまわれる。
「心配ですよ。榊くんの大切な方ですから」
背中からゆっくりと、差し込まれていく優しさの切っ先が痛い。
聞こえているのか、届いているのかもわからないような声量でお礼を言って廊下に出ると、その場にへたりこんでしまう前に全速力で駆け出した。