「俺と付き合ってください」
四月。新学期が始まって一週間。高校二年生になったばかりの月岡太一は、一年間秘めていた思いを、目の前にいる女子に打ち明けた。
柊綾乃。クリッとした大きな瞳にスッと通った鼻筋。誰が見ても美人と言わしめる容姿を持つ柊は、学年でもトップクラスの美少女だ。
「あの、私……部活があって……」
「知ってるよ。柊が部活を大事にしてること」
亜麻色の長髪を後ろで結び、毎日テニスコートで必死にボールを追いかける。女子テニス部に所属している柊はインターハイで優勝するという目標を掲げ、毎日遅くまでテニスの練習に取り組んでいた。真摯にひたむきに、テニスと向き合う柊。その姿をずっと見てきたからこそ、太一は柊のことが好きになった。
「一番身近な存在になって、柊を応援したいんだ。少しでも柊を助けることができるなら、それは他の誰でもない俺がしてあげたい。だから、俺に柊を支えさせてほしい」
太一は頭を下げ、自らの思いを伝えた。
今まで好きになった子に対しても、太一は同じように自分の思いをぶつけてきた。ただ好きなだけじゃ伝わらない。相手の良いと思ったところやその理由を、言葉にして伝えるのが一番だと思っていたから。
だけど今まで告白した女子から、良い返事をもらうことは一度もなかった。
ごめんなさい。
何度その言葉を聞いただろう。失敗した数々の告白が太一の頭をよぎる。
以前なら振られても常に前向きでいられた。好きな人くらいすぐにできると。実際に振られてから数週間後に、別の女子に告白をしたことだってあったのだから。
でも今は違った。良い返事をもらえないかもしれないという不安を押し殺すのでいっぱいで、太一は頭を下げたまま柊の顔すら見ることができずにいる。
沈黙がより一層太一を不安にさせる。柊は今、どんな表情をしているのか。どんな気持ちで告白を聞いてくれたのか。
俯いていては駄目だと思った太一は、勇気を振り絞って顔を上げようとする。
それと同時に太一の耳に柊の声が聞こえた。
「お願いします」
「そうだよね。やっぱり俺なんかじゃ……って、今なんて!」
予想もしていなかった肯定の返事に、太一は動揺を隠せなかった。慌てる太一を見た柊はクスクスと笑い出す。
「だから、お願いしますって言ったんだけど……」
柊の返事が信じられず、太一は咄嗟に自分の頬をつねる。痛みを感じた瞬間、目の前の出来事が現実に起きていることだと実感した。
「夢……夢じゃないよな」
「うん。夢じゃないよ」
柊は笑みを見せると、太一の手を両手で包み込むように握ってきた。
「実は、私も一年の頃から月岡君のことが気になってたの」
頬を赤く染めながら話す柊の言葉が信じられず、太一は空いていた手で再度自分の頬をつねった。
「またつねってる」
「だ、だってさ。ちょっと信じられなくて」
皆が憧れる存在である柊が、自分のことをずっと気にしてくれていた。その事実に驚く太一を否定するように、柊は首を横に振る。
「私は月岡君の優しいところを沢山知ってる。部活を頑張りたいって思ってる私の気持ちを一番に考えてくれて、本当に嬉しかった」
穏やかな風が太一と柊を包み込む。まるで二人を祝福するような、暖かい春の風だった。
「もしかしたら、私達のボンドも相性ばっちりなのかもしれないね」
「そ、そうだったらいいね」
柊がさりげなく発した言葉に、太一は苦笑をもらす。
「そうだ。私、まだ月岡君の連絡先知らない。交換しよう」
お互いにスマホを取り出して、一緒に端末を振る。暫くすると音がなり、画面には柊のアドレスと電話番号が表示された。
「これで大丈夫だね。そろそろお昼も終わりだし、教室に戻らないと」
先に行くねと太一に告げた柊は、そのまま屋上を出て行った。
柊の後ろ姿が見えなくなるまで太一は見届ける。そして視界から柊の姿が消えた瞬間、太一はガッツポーズをしていた。
「やった……やった!」
これから柊と一緒に幸せな時間を過ごせる。
好きな人との恋を実らせた太一は、何度も拳に力を込めてその喜びをかみしめた。
「俺、彼女できた」
金曜日。帰りのホームルームが始まる直前。親友である手塚誠也に、昼休みの出来事を告げた。
手塚は太一を一瞥すると、スマホに視線を固定したまま呟く。
「はいはいおめでとさん」
「何だよその反応は」
冷たい態度の手塚に太一は顔をしかめる。
「あのな、嘘も大概にしとけって。今まで告白に失敗し続けてきたお前に、彼女なんてできるわけないだろ」
さらっと酷いことを口にした手塚は、物でも扱うように太一をあしらった。しかし太一はそんな手塚の態度を鼻で笑う。
「甘いな。俺の純粋な気持ちに応えてくれる人が、ついに現れたんだよ」
あまりに自信に満ちた態度を示す太一に手塚はため息を吐くと、スマホから太一に視線を向ける。
「まあ、一応聞くけど……相手は誰なんだ?」
「……柊。柊綾乃」
「嘘だろ!」
机を両手で叩いた手塚は勢いよく立ち上がった。周囲の視線が手塚に向けられる。我に返った手塚は、ずれた眼鏡をかけなおした。
「本当だって。アドレスもゲットしたし」
スマホ画面のアドレス帳を開いて、手塚に証拠を見せる。手塚は状況が理解できないのか、口を開けたまま呆気に取られている。
「そうか。太一、お前……」
手塚は太一の肩にそっと手を置くと、慰めるように肩を軽く叩いてきた。
「自分でアドレス帳を埋めるほど、精神が崩壊してたんだな」
「埋めてないから。いい加減信じろよ」
冗談だよと、手塚は太一に笑みを見せた。
「それでいつ告ったんだ?」
「今日の昼休み。屋上で告った」
「あの学年トップクラスの美少女がね。まさかお前と付き合うなんて。何か裏があるんじゃないか?」
「絶対にないって。だってあの柊だよ」
「まあ……太一の言う通りだな。俺も流石に柊さんに裏があるって考えたくない」
柊は太一の思っていた通りの人だった。
一年生の頃、入学式の後にクラスで行われた自己紹介。柊はこの時から、皆に向けて自分の夢を熱く語っていた。
インターハイに出て優勝したい。
常に真っ直ぐで自分の気持ちを偽らない。二年生になった今も、変わらずに自分の夢を追いかけている。そんな柊に裏があるなんて太一は思ってもいないし、思いたくもなかった。
「席に着け」 迫力のある声と共に教室に入ってきたのは、クラス担任の高野先生だった。高野先生を見るなり、皆が一斉に自分の席へと戻っていく。
「今日は大事な話があるから、よく聞くように。先週の金曜日に行った身体測定ならびに血液検査の結果が、先程学校のポータルサイト「はるかぜ」の個別サイトに上がった。各自確認しておくように」
教室内が喧騒に包まれる。その様子に呆れた表情をみせた高野先生は、持参していた黒いファイルを突然教卓に叩きつけた。甲高い音が響き渡り、一瞬にして教室内は静まり返る。
「まったく……こんなことで馬鹿騒ぎしてるようだと、この先が思いやられる。君達は二年生になった。せめて後輩の手本になるような態度を示してもらいたい。今のままだと馬鹿にされるぞ」
張り詰めた空気が広がっていくのがわかった。高野先生は咳払いをして話を続ける。
「それで君達も知っていると思うが、我が堀風高校は政府からの指定を受け、全国の高等学校で唯一、血液検査でボンドの測定を行った。二十歳未満の君達が、こうしてボンドの測定を行うのは世界で初めてのことになる。そのため今回は特別に結果を開示するが、くれぐれも他人に口外しないように」
高野先生はそう言い放つと、手に持っていた黒いファイルを開いた。暫く目を通した後、視線を生徒へと戻す。
「なお君達の身体測定の結果と血液検査の結果は、月末までの公開となっているようだな。五月になると、ポータルサイトでの閲覧はできなくなるので注意するように」
そんな高野先生の補足説明を最後に、帰りのホームルームは締めくくられた。担任がいなくなり、教室内が徐々に弛緩した空気を取り戻していく。生徒同士の会話が生まれ、活気のある空気が流れ出した。
太一は背もたれに身体を預けると、大きく両手を伸ばす。
「私、3―1だ!」
「私は2―2」
「お、俺は2―1だったぜ」
声のする方へと視線を向けると、数名の生徒が教室の真ん中でスマホ画面を見せ合っていた。その行動の意味に太一はすぐに気づく。おそらくポータルサイトに表示されたボンドの結果を見せ合っているのだと。
高野先生の忠告を無視するクラスメイトを横目に、太一は帰り支度を始める。周囲から聞こえてくる会話のほとんどが、ボンドに関する話だった。
ボンド。英語で「結合」を意味するbondが由来となっているこの言葉を、今や日本で知らない人はいない。今から二十一年前の二〇三〇年。堀風大学に勤めていた星野誠司が、血液の液体成分である血漿の中に「ボンド」と呼ばれる情報源がある可能性を学会で発表した。しかし発表当時の論文には、ボンドの存在を証明する明確な記載がされていなかった。そのため星野教授の発表は可能性の話で終わり、世間に広まることはなかった。
しかし四年後の二〇三四年。ボンドの存在を証明する詳細なデータ収集に成功した星野教授は、データに基づいてボンドの存在を次のように定義した。
『ボンドとは、異性との繋がりや結びつきの強さを示す鍵となる情報源である』
星野教授の発表は人々を震撼させる十分な威力を持っていた。互いのボンドを知ることにより、一番相性の良いパートナーを見つけることが可能だと言っているようなものだから。それからというもの、容姿や性格といった恋愛をする上で判断材料となる条件の一つに、ボンドも加えられるようになった。
もし好きな人が自分と相性の良いボンドだったら。
色恋沙汰に強い興味を示す高校生にとって、恋愛に関わるボンドはまさに夢のような存在。そのボンドを特例でいち早く知れるのだから、こうして教室内がボンドの話題で持ちきりになるのは、太一にも容易に想像できた。
「うーん、塩素型。思ってたのと違ってた」
「私は……やった、酸素型!」
「リチウム型……これってどうなんだ?」
元素名が太一の耳に入る。当然、今は化学の授業などしていない。それでも生徒達が元素名を口にするのには、ボンドの理論を語る上ではなくてはならないからだ。
星野教授の論文によると、まずはじめに全ての生物種は性別によって分類が別れる。男子は陽性、女子は陰性。この違いに加え、同性内でも血漿の成分中にあるボンドの種類が各々異なる。その数は男女ともに五種類ずつと言われており、研究が進めばさらに細かく分けることも可能らしい。
例えを出すなら、さっきのクラスメイトが口にしていたボンド。男性が言ってたボンドはリチウム型だった。これを周期表に当てはめると、第二周期に属する。これがリチウム型、2―1と表記されるボンドの先頭の数字になっている。
では後の1という数字は何か。ここで化学結合の理論が登場する。
お互いの電子を共有する共有結合。正電荷を持つ陽イオンと、負電荷を持つ陰イオンの間のクーロン力による結合であるイオン結合だ。結合の仕方は違えど、イオンや原子は結合によって安定しようとする。ボンドではその安定が大切だと言われているのだ。
原子中の価電子は二個で対になったときに安定する。リチウムは対になっていない価電子を一つ持っている。これを不対電子と言って、この数がボンドの後の数字になっている。だからリチウム型は2―1と表記される。
一方で女性の2―1であるフッ素型。フッ素は周期表で見ると、第二周期に属する。だからボンドの先頭の数字は男性の時と変わらない。後の数字も同じで、フッ素型は不対電子を一個持っている。なのでフッ素型は2―1と表記されるようになった。
「ちょっと、太一!」
思考を巡らせていた太一の耳に、聞き慣れた声が響く。視線を向けると、予想通りの人物が太一の前に立っていた。
「なんだよ、夏月」
星野夏月。家が隣同士の幼馴染で、太一や手塚と同じ中学出身。ショートカットの髪は夏月の特徴の一つで、明るくて活発な彼女に似合っていた。
「さっき手塚から聞いたんだけど……彼女できたって本当なの?」
グイグイと顔を近づけて詰め寄ってくる夏月の肩を、太一は手で押し返す。
「本当だって。ついに俺にも念願の彼女ができたんだ」
「ふーん……騙されてんじゃないの?」
「おい、幼馴染のお前までそんなこと言うのか?」
「だって今まで太一はずっと振られてたじゃん。それなのに彼女ができるなんて……しかも相手は柊さんなんでしょ? 納得しようにも無理があるって」
柊は女子の間でも人気があった。当の本人は人気があることを鼻にかける所もなく、分け隔てなく皆と関係を築いている。同性でも憧れる人がいるほどだ。そんな柊と付き合うことになった事実に納得できないという夏月の気持ちは、太一も理解できた。
「でも、そんな柊と俺は付き合うことになった。今日もこれから一緒に帰る約束を……っと来た来た」
タイミングよくスマホが震え、メッセージが来たことを太一に知らせる。相手はもちろん柊から。太一は意気揚々とスマホを操作して、メッセージを確認する。
しかし柊からの返信は、太一の期待を打ち崩す内容だった。
「そんな……今日は一緒に帰れないって」
「ほら。やっぱり騙されてる」
「だから騙されてないって。ほら、見てみろよ。ちゃんと部活のミーティングで遅くなるから、先に帰ってほしいって書いてあるだろ」
太一はスマホの画面を夏月に見せた。
夏月は画面に視線を向けたまま、暫くの間見入っていた。何か変な文章でもあっただろうか。太一はスマホの画面を自分に向け、柊からのメッセージを確認する。部活のミーティングで帰れないこと。来週は一緒に帰れる日は帰ろうって書いてあるだけ。彼女からのメッセージとして、特におかしなところはないはずだ。
「……本当に付き合ってるんだ」
夏月が真顔で太一を見つめてくる。
「やっと認めたな。俺は柊と付き合い始めた」
ようやく幼馴染を納得させることができ、太一はほっと息を吐く。こうして手塚や夏月が太一の発言を疑うのは無理もなかった。そもそも太一は中学生の頃、八人の女子に告白して振られている。小学生の頃も含めると、振られた回数は二桁に達しているのだ。
好きな人がすぐにできるのはおかしい。
中学生の頃。告白に失敗する度に、夏月に言われ続けた。それでも太一は夏月の言葉に耳を貸さなかった。好きなものは好き。その気持ちを伝えることの何がいけないのか。
太一が夏月の言っていた言葉の意味を知ったのは、高校生になってからだった。
柊と出会った太一は、上手く自分の気持ちを表現できなくなっていた。いつもなら真っ先に好きという思いを告げていたはず。それなのに太一はなかなか行動に移せずにいた。
理由ははっきりしていた。柊と話そうとする度に、胸の痛みが増していったから。
経験したことがない事態に、太一は戸惑いを隠せなかった。今まで好きになった女子には決して感じなかった気持ち。どうして柊には感じるのだろうか。
暫く考えた太一は、その時初めて夏月の言葉の意味に気づいた。
今までの自分が上辺だけの好きで動いていたことに。そもそも行動と心が噛み合っていなかったのだ。振られるのも当然の結果だった。
だからこそ太一は柊に対する気持ちが本物かどうか確かめる為に、一年間自分の気持ちと向き合った。そして今日、変わらない思いを柊に打ち明け、初めての彼女ができた。
そんな経緯があるからこそ、太一は少なからず夏月に感謝している。
「星野。高野先生が職員室に早く来いって」
帰り支度を終えた手塚が、二人の元へとやってきた。
「あっ、いけない。早く行かないと。ありがとう、手塚」
手に持っていたスクールバッグを肩にかけた夏月は、足早に教室を後にした。
「相変わらず慌ただしいな、星野は」
手塚がぽつりと呟いた。その呟きに太一も同意の意味を込めて頷く。
「そういえば太一はボンドの結果、見たのか?」
「いや、見てない。俺にはボンドの情報なんて必要ないし」
「そっか。まあ太一がそう思うのは良いけど、柊さんは考えが違うかもな」
手塚の指摘に胸騒ぎがした。柊は少なくともボンドに関心を持っている。屋上でボンドについて言っていたのだ。いくら太一がボンドに興味がなくても、いずれ柊も太一のボンドを聞いてくるかもしれない。
「そ、それより手塚のボンドはどうだった?」
「俺か?」
「聞いてきたってことは、結果見たんだろ」
「まあな。とりあえず、帰りながら話すわ」
手塚の意見に同意し、太一達は教室を後にした。
帰り道。太一は手塚と共に通学路を歩いて行く。家が学校の近所にある太一と手塚は、徒歩通学組だった。高校生にもなると、電車通学組が格段に増える。義務教育を外れ、自ら好きな学校を選べるのだから当然かもしれない。それでも太一と手塚、それに夏月を加えた三人は同じ高校に進んだ。別に約束をしていたわけではない。それでも三人とも同じ高校に進むのは、何かしらのつながりがあったのかもしれない。そうでなければ、小学校からずっと同じ学び舎で育つなんて、太一には考えられなかった。
「それにしても、今日は少し冷えるな」
手塚はズボンに手を突っ込んでいた。四月を迎え、過ごしやすい季節になったのにも関わらず、たまに吹く冷たい風が冬の名残を感じさせる。
「なあ、手塚」
「ん?」
「教室でみんながボンドについて話してたけど、俺にはやっぱり理解できない。そう思わないか?」
高野先生の忠告を無視して、自分のボンドを平気な顔して打ち明ける。個人情報をいとも簡単に口にする同級生に、太一はどうしても同意できなかった。
「そうだな。俺も理解できない。だからこうして一緒に帰ってるわけだし」
「だよな。手塚ならそう言ってくれると思った」
期待していた言葉が返ってきて、太一は安堵する。
「そもそもボンドって、将来結婚する相手との相性の良さを知るための指標とも言われてるだろ? そう考えると結婚って俺達にとってまだ遠い話な気がする。だから教室でぺらぺらと自分のボンドを話す奴らは、将来について真剣に考えてないんじゃないか?」
まだ自分には関係ない。手塚の言う通り、ボンドを面白がっている高校生は実際に多いのかもしれない。
「それで、結局手塚のボンドはどうだったんだ?」
「……水素型だった」
「水素型って……男子の中で一番モテるボンドじゃん」
水素型。1―1。異性の誰とでも結びつくことができるボンドだ。
「俺も結果を見て自分の目を疑った。浮いた話なんてこれっぽっちもない俺が水素型。ありえないって」
手塚は苦笑すると、歩みを止めて太一に視線を向けた。
「太一に聞きたいことがあるんだ」
「何?」
「公開されているボンドの情報以外で、何か知ってることってあるか?」
真剣な表情で問いかけてくる手塚に、太一は首を横に振った。
「知らない……そもそもボンドなんて嫌いだし」
「嫌いなのは知ってる。だからこそ太一は色々と自分でも調べてるんだろ?」
手塚の指摘に太一は思わず顔をそらした。
太一はボンドが嫌いだった。もしボンドで恋愛の全てが決まってしまうのなら、今まで自分が女子に対して抱いた気持ちが、全て偽りの感情だと言われてる気がしてならないから。
「それに太一は星野と家族ぐるみの付き合いをしてるんだろ? 当然、星野のお父さんとも付き合いがあるはずだし、特別に教えてもらってるとかあるんじゃないか」
夏月のお父さんは、ボンドを発見した星野教授。手塚の言う通り、太一は星野教授と小さい頃から交流があった。何か知っていると手塚が勘ぐるのも無理はない。
「特別なことは、何も教えてもらってないよ」
太一ははっきりと手塚に告げた。実際に星野教授から、ボンドに関する話を聞いたことなど一度もなかった。
「そっか……そうだよな。いくら家族ぐるみの付き合いをしてるからって、教えてもらえるわけないよな」
大きくため息を吐いた手塚は肩を落とす。そんな手塚の肩を太一は軽く叩いた。