「まだだよ」

 本のページを捲り、高雅さんがキスを落とす。
 たちまち本からは淡い光が差し込んで、やがて光は人のシルエットを浮かび出す。


「ご機嫌麗しゅうございます。皆さん」

 黒髪に青いドレスに身を包んだその女の人が、ぺこりと膝を折る。この場にいる高雅さん以外のみんなが、その人の登場に呆気に取られている。

「まあ! あなたがお噂の白雪姫ね! 初めまして、白雪姫と申します」

 白雪姫から白雪姫と言われることがあるだろうか。こんなに可愛い本物の白雪姫を前に堂々と白雪姫を名乗れる器なんかない。
 そんな物語からリアルに飛び出した白雪姫にサインを求められる勢いで迫られ、その美しさに圧倒される。

「君、少し落ち着きなよ。彼女が引いてる」

「あらっ、私ったらいけない」

 暴走する白雪姫を私から引き剥がすように高雅さんが制する。さっきのことがあったばかりなのに、高雅さんに助けられてしまった。

「何拗ねてるの?」

 結局お礼を言い損ねて、高雅さんの顔をじっと見ているのも気まずくてぷいっと逸らしたら、目敏く指摘されてしまった。
 あと別にこれは拗ねてなんかいない。あなたのせいで機嫌が悪いだけだ。子供じゃあるまいし。
 
「高雅様、女の子には優しく接してあげませんと。愛想を尽かされてしまいますわ」

「そうだぞ、高雅。素直にならねえと桃香でも焼いちゃうんだぜ」

 白雪姫と白馬先生はそう言って高雅さんにちょっかいをかけている。ちょっと高雅さんも黙ってないで何とか言ってくださいよ。あらぬ誤解を招くじゃないですか。

 それにしてもこんなに可愛い白雪姫本人がいるならば、私はお役御免ではないか。できることならそうしてほしい。
 でもあれ、委員会の代表一人は舞台に上げなきゃいけないんだっけ? じゃあどうして態々白雪姫をこちらに呼んだんだ?

「それは無論君の演技指導のためだよ」

「なるほど〜! コーチがいれば確かに心強いですねえ……って、また人の心を読まないでください!」

「顔にそう書いてあったから」

「んなわけありますか!」
 
 乙女の心を読むなんて心外だ。いや侵害だ。
 そんな冗談は今は置いといて、本の中の人物とは一変してパワフルな白雪姫が、何やらやる気を漲らせてこちらに迫り来ようとしている。全力で逃げたい。
 
「事情はわかりました。では早速、私が演技の指導を――」

 こちらに躙り寄る白雪姫の気迫にこちらはじりじりと後退りで退行するが、そのとき彼女の肩を後ろから高雅さんが抑える。

「もう少し待ってね。まずは僕からの指導だよ」

「「はい?」」

 そこでまさか白雪姫と二人でハモるとは思わなかった。それよりも白雪姫も彼の意図することを知らないなんて、嫌な予感しかしない。

「君は彼女の演技指導担当。そして彼女ににわかな台本の台詞を覚えさせるのは、彼女の特別講師である僕の役目だよ」

 どこから持ち出したのかハリセンを手に慣らし、迫りくる脅威のランクが格段に跳ね上がった。こういう時の彼の表情はいきいきとしている。

 
「グランプリまであまり時間もねえから早急に台本は覚えてくれ。ちなみにグランプリは二週間後だ」

「……あなたはまた情報伝達に欠けている」
 
 また急な話を持ち出されて絶望感に打ちひしがれる。二週間しかないのにこんなバカが主役で舞台が完成するのだろうか。
 
「でもまあ、心配はいらないよ。あの老いぼれから頼まれた役目は果たすつもりだから。
 ……今日中に、その腐った頭に一言一句漏らさず叩き込む」
 
 心配は杞憂のようだ。彼はやると言ったら本気でやる人だ。相手に構わずどんな手段に出ても確実に目的を成し遂げる。
 絶望感の打ちひしがれる猶予もなく、私の寿命は今日も縮まる。