その刹那、高雅さんが後ろへと飛び退いた。
人間技じゃ到底成せない高く華麗な弧を描いたジャンプに私が唖然と気を取られていると、一秒後に彼がいたところにはシュパッ、グザッみたいな音が数回聞こえてきて、そちらへと視線を向ける。
そこには図書室の床に幾本ものぶっ刺さる定規が、皆一列に30度の角度でめり込まれてある。
「…………はい?」
素っ頓狂な私の声だけが、この場に浮いている。
いやでも、あんなの最初からぶっ刺さってたっけ……?
「てんめえ、高雅……今日こそその腐った口腔にチョークぶち込んでやるからな。覚悟しろ」
「何のことかな。あなたの方こそ、そろそろ図書の顧問から下りてくれないか。目障りだ」
ひいいいいっ。過激だああああ!!
教師が生徒にそんなこと言っちゃっていいのー!? 高雅さんも先生を挑発するのやめなさいっ!!
しかしヒートアップする彼らの戦いを、凡人の私はここから見守ることしかできない。
いやこいつらがおかしいんだよ!!
「Fuck you!!!」
「自分から下りないなら引き摺り下ろしてやるよ」
互いに挑発し合う声が聞こえる。
しかし二人とも凡人の肉眼には捉えきれない速さで移動して交戦しているようで、現状は何もよくわかっていない。なんだ。何がそこで起きているんだ。
というか、こんな神々の戯びみたいなハイスピードな戦いがどうして成立しているの。どうして誰もつっこまないの。……つっこみがいなかったのか。
しかも気づいたら、二人とも二階のあんな高いところまで登ってるし! どうやって!? ――なんて仰天しまくっていたら、白馬先生が高雅さんのもとまで一気に距離を詰め、高雅さんは彼が投げたシャーペンの攻撃をいとも容易く避け、気づけばその手には一冊の本が握られている。
そして相手の攻撃を躱した一瞬の隙を見つけ、本のページをサッとめくった。やばい。なんか目が慣れてしまった。
Chu――――……。
その人は軽く本のページに口をつける。
これが見知らぬ他人ならこんな大事な局面に何をやってるんだと野次を投げただろう。
しかし、違う。むしろ彼は本気なのだ。
高雅さんの右手には、煌々と輝く紅炎を纏った長槍《ランス》が握られている。そして長槍一本で白馬先生からの攻撃を受け止めた。白馬先生の体勢は一気に悪化した。
どこに備えていたのか「3-A」と太字で書かれた日誌で応戦しているが、息絶え絶えだ。
「ぐっ……また自分の能力を好き勝手使いやがってッ」
「使える手は使う……それが僕のやり方だよ。白馬」
不敵な笑みを浮かべる高雅さんが、それは悪役に見える。じゃなくて。
やっぱり白馬先生も知っていたんだ。
高雅さんの秘密……。
――この能力のことは包み隠さず話すけど、知っている人間は限られる。他言無用だよ。
校庭の最後の桜が散った日――……高雅さんは、そう言って静かに秘密を打ち明けてくれた。
それは彼と一歩距離が近づいたようで、嬉しかったけど、反面胸が苦しくなった。暗い過去を思い出すことになるから。
桐嶋高雅の秘密……それは「本にキスをすると、本の中のものを自由に取り出せる能力」のこと。
彼もあまり多くは語ってくれなかったけど、この不思議な能力があるせいで、自分の意思ではないことが起きたり、多くの人を傷つけてきたと言った。
だから「自分は外の世界にいてはいけない人間」と思い込んで、人との関わりを避けてきた。理事長であるおじいちゃんにこの学院へ迎えられるまで、彼は独りで生きていた。
彼がこれまでどう生きてきたのか、おじいちゃんとどこで出会ったのかまでは教えてくれなかったけど、私には十分ショックなことだった。ショックが大きすぎて、涙が止まらなかった。
「どうして君が泣いてるの」と高雅さんは可笑しそうに言ったけど、なんともないようにしていられるのがすごいと思う。
だから「私がいるから大丈夫です。大船に乗ったつもりでいてください!」って息巻いて言ったらすごく引かれた。すぐ沈みそうだって。
でも、頼りにされなくても私にできることがこれからたくさんあると思うんだ。
なんたってピカピカの一年生だからね!