この目で見たもの――淡い光とともに、一匹の黒猫が飛び出した。
そんなもの小さい頃に思い浮かべた夢物語じゃあるまいし、こんなバカでも科学や人工知能が発達した現代で、人智を超えた現象なんて信じられるわけがなかった。
だけど現に、この目で見た光景がこの身に迫っている。ゆっくりと重い足取りで、彼らはすぐそこまで近づいている。
私がこうして言えることは『桐嶋高雅が、本から猫を出した』ということだ。
さて、これは正直に言ってしまうべきか。また何かの見間違いだとバカにされてしまうのか。
うんうんと唸りながら答えを探していると、私の返答を待ちくたびれた高雅さんに動きがあった。
「ほら、こういうことだよ」
今度は違う本を手に取り、パラパラとページを捲った。そして彼はさっきと同じように、適当な紙面に口づけを落とした。
次の瞬間には、彼の右手に引き摺るほど大きな刀身の鉈が握られている。
「僕を付け回して、ようやく知ることができて君は満足だろう?」
その薄ら笑いを浮かべながら、高雅さんは刃の重い鉈を暗闇に引き摺る。
「これが、僕の……桐嶋高雅の他言無用の秘密だよ」
そんな顔が、見たかったわけじゃないのに……。
「高雅さんが隠したいことって、これだったんですか? まさかキスをして、本から物を取り出せる能力ですか……?」
「そうだよ。君みたいなバカでも、さすがにわかるだろう。今の自分の状況」
持ち上げた鉈の刃先を、こちらに向ける。
彼はそれをいとも軽々と持ち上げて、私の喉元まで引き寄せた。
「……どうするつもりですか?」
「秘密を知られた以上は、タダで返すわけにはいかなくなったしね。君のようなバカは特に口が軽くて信用できない。外部に情報を洩らさないように、ここで君には痛めつけられてもらおうか」
口角は笑っているのに、その目はどん底を見つめるように黒く濁っている。
これが殺気というやつなのか……お気楽にぬくぬくと育ってきた小娘には、全身が痺れたように動けなくなる恐怖を感じることしかできない。
きっと彼は、本気なんだ。
この瞬間に高雅さんのことを「怖い」とはっきり思っただろう。全身が震えていた。怖いのも痛いのも嫌だ。
これから身に起こることを想像して俯いてしまった私は、微かな声を絞り出して言った。
「ふざけないで……」
今も喉元をカッ切ろうとする鈍色が、暗闇から狙いを澄ましている。
それを現実だと受け取るとこの頭は絶望しそうになる。
だけど、今の私はそれ以上に――……。
「これがふざけてるように見えるんだ。バカはお気楽でいいね。何も知らないで……」
「ええ。ふざけてますよ。こんなの」
頭にきていた。理由はよくわからない。
また一方的にやられるだけなんてもう嫌だった。
だから、自分に向けられた刃先を、空いている手で思いきり掴んだ。
少し力を込めただけでも血が滲んでる。それでも離さなかった。
「――っ!?」
「こんなことをして、また高雅さんが辛くなるだけじゃないですか。だから罪悪感感じてこんなところに引き籠もっちゃうんじゃないですか。いい加減にしてください」
まさか自分から刃先を掴むなんて思わないから、高雅さんもそれはそれは驚いていた。
でも、痛みなんかより今は高雅さんのことしか見えない。
「こんなことで私が離れていくと思ってるんですか。バカを舐めないでください。こっちはあなたにこき使われてキスまでされそうになって、頭に来てるんですからね! 課題のひとつでも教えてくれなきゃ気が済みませんから!」
ここまでいいようにされて、溜まりに溜まり込んだあの課題の山をひとつでも終わらさなければ、死ぬにも死にきれないというやつだ。
それにほんとは……こんなことで今までの関係が崩れるなんて嫌だったから。もっと高雅さんのこと、色々聞きたいよ。