しばらく歩いた先に、池と、そこに浮かぶ花があった。

 「あの黄色い花、かわいい」簡単に描いた花のような五枚の花弁が、濡れた濃い緑の葉に載っている。

 「アサザだね。花言葉は『しとやか』とか『平静』、『信頼』。どの誕生日の花でもないんだ。花弁は、ここから見たらなんともないようだけど、近くで見ると造花にも見える形なんだ。一日花で、午前中に開いて夕方に閉じる」ハート形の葉っぱもかわいいんだよと、ナオさんは楽しそうに語る。

 「いつの誕生花でもない花なんてあるんですね、初めて知りました」

 「準絶滅危惧種に登録されてるみたいだけど、若葉は食用にもなるんだって」

 「おいしいんですかね?」

 「どうだろう」僕は食べたことない、とナオさんは言う。

 「あっ、あっちはハスですかね?」

 ナオさんはわたしの指の先を見ると、「あれはスイレンかな」と優しく声を発した。首から下げたカメラを構え、レンズを覗く。少ししてシャッターを切る。

 「え、どこでわかるんですか?」

 「葉っぱの形。スイレンは葉っぱに切れ込みがあるけど、ハスはないんだ。あと、花の高さかな。あれは水面(みなも)のすぐ上で咲いてるでしょう? ハスはもっと高い位置で咲くんだ」

 「へえ、すごい」

 「そういえば、スイレンって日中に咲いて、日が沈むと花を閉じるでしょう?」

 「ほう、そうなんですね」

 「それには少し悲しくも美しい話があってね」

 ほう、とわたしは続きを待つ。

 「遥か昔、湖のほとりにワヲタという酋領と、その恋人の美しい少女があった。少女の両親は二人の交際に反対しており、少女は煩悶した末に、湖へ身を投じてしまう。ワヲタが彼女を助けようとしたものの、その姿は消え、スイレンが咲いていた。以降そのスイレンは、ワヲタ――太陽の暖かさに花を開き、日没の頃には花を閉じるようになったという。スイレンは漢字で書くと――」

 「睡眠の睡に、蓮」

 「そう。そのスイレンという名も、日没の頃に眠るように花を閉じることに由来するんだって」

 「へええ。なんか、素敵。本格的に台本作ったら、一本の映画作れそうじゃないですか?」

 「そうだねえ。作家の翼というのは、実に容易く広がるものだから」

 「自分の物語の書き方について、花火のようなものだって言った人がいた気がします。一度着火されれば、想像は一気に空へ飛び、大きく咲く。でも結構すぐに消えちゃうから、忘れないうちに制作に取り掛かるんだって」

 「『三色菫』の作者かな」

 「あ、そうですそうです」

 「僕、あの主人公の女性の妹が好きなんだ。前向きで楽観的で、かわいかった」

 「そういう女の子が好きなんですか?」

 「まあ、あまり悲観的な人よりは」ナオさんは少し言葉を選ぶように間を空けて、少し笑って答えた。