俺は今、人生のドン底を歩いているんじゃないだろうか。ここ最近の運の悪さは何なんだ? 神様俺に厳しすぎじゃね?

 ズキズキと痛む左足首。巻かれた黒のサポーター。昨日の部活中、ミニゲームで部員と交錯した俺は倒れた拍子に左足首を捻挫してしまった。
 サッカーには付きものの怪我だが、癖になるといけないのでしばらくは安静にしているようにと保健の先生に言われてしまい、今日から部活は休止である。放課後になった今、暇潰しに向かったのはここ最近通い慣れた場所だった。

「あれ?」

 カウンターに座っていた藤野美月は俺を見てこてんと首を傾げる。そりゃそうだ。この時間、いつもならグラウンドで汗をかきながら走り回っているのだから。

「岸くん。君、部活は?」

 読んでいた本を置くと、彼女は不思議そうな顔で聞いてきた。

「あー……今日はなんつーか、その……」
「何? 今度はあの二人のキスシーンでも見たわけ?」
「なっ!?」
「もしかして図星? なかなかやるなぁ、あの二人」
「ちっっっげーよ!!!!」

 もし仮にそういうシーンを目撃してたらこんなに冷静じゃいられないに決まってる。発狂だ、発狂。俺は深い溜息をついた。

「……昨日の部活中ちょっと足怪我したんだよ。だからしばらくは部活出れねーの」
「うん。実は知ってた」
「は? なんで?」
「見てたから」

 そう言って藤野美月はカウンターの真後ろにある窓を指差す。窓辺に近付いて外を見てみると、そこからはグラウンドの様子がよく見えた。今は黄色のビブスを着たうちの部の男子がシュートの練習をしている。そこにはマネージャーである香里先輩も立っていて、個人の記録をノートに書き記しているようだった。うん、真剣な顔もめっちゃ可愛い。

 ……そうか。河口は図書委員の当番の間、ここから香里先輩のこと見てたんだな。ここなら誰にも邪魔されないし、見ていることもバレにくい。まさに特等席といった所だろう。腹立つ。

「……お前はいつもここで河口と話してたのか?」
「そうだよ。ここで仕事しながら話してた。河口くんはね、みんながサボる委員会の当番にもちゃんと来てくれたんだよ」
「けっ。そんなの下心あるからに決まってんだろ。こんな特等席あるなら俺も来たいわ」
「まぁ、ここから二人でサッカー部のこと見てたのは確かだけどね。でも、彼は弓道部の部長でエース。部をまとめ、部員の手本とならなきゃいけない立場。そんな人が佐倉さんが見れるからっていう下心だけで来ると思う?」
「…………」
「河口くんは責任感のあるしっかりした人だよ。八つ当たりで怒鳴り込んでくるどっかの生意気な後輩と違って気配りも出来るイケメンだしね」

 ……そんな事は言われなくても知っている。俺だって、香里先輩の事がなければこんなに恨んだりはしなかったさ。

 悔しいが、確かに河口はイケメンである。物静かで落ち着いてるし、しっかりしてるし、部活でも活躍してるし、オマケに性格も悪くない。……それに比べて俺は。たいしてカッコよくもないし? 短気で騒がしいし? 告白も出来なくて他の人に八つ当たりしちゃうし? 怪我して部活も出られなくなっちゃったし? ……はぁ。大会も近いのに何やってんだよ、俺。もうほんとダメだわ。ダメ人間だわ。

「あー……俺ちょーかっこわりー……」

 思わず漏れた弱音に慌てて口を塞ぐ。すると、すかさず返事が返ってきた。

「大丈夫。岸くんはかっこいいよ」
「……は?」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。ようやくその言葉を理解すると同時に、俺は勢いよく振り返る。

「だって君、困ってる人がいたら率先して助けてあげてるし。電車でおばあちゃんに席譲ってるのよく見るよ。そういうのってやろうと思ってもなかなか出来る事じゃないと思う」

 藤野美月はカウンターに座って本を読んでいた。俺からは後頭部しか見えない。

「それに、部活。終わったあとも遅くまで残って自主練してるでしょ? 私ここから見てたもの。その努力はいつか絶対に実を結ぶと思うの。だから」

 急にくるりと振り返り、笑顔で言った。

「早く治して部活に復帰しなさいよね。グズグズしてると誰かにレギュラー取られちゃうよ? 私、次の大会で君が試合に出るの楽しみにしてるんだから」

 照れくさそうに微笑んだ彼女の笑顔は、夕陽のせいかキラキラと輝いていた。右側に出来たエクボがなんだか可愛らしい。

「……い、言われなくてもすぐ治してレギュラーになるっつの!!」
「あらら。可愛くないね〜岸くんは」
「ううう、うるせー! 帰る!!」
「あははっ、お大事に」

 図書室を出てしばらく歩くと、廊下の真ん中でしゃがみ込む。思わず口元を右手で覆った。

 なんだよ今の! 何なんだよ今の!

 いつもはあんなこと言わないくせに! 人の事励ましたりしないくせに! いつもは……いつもはあんな風に優しく笑ったりしないくせに。気のせいか顔が、体が熱い。彼女の笑顔が離れない。……ちくしょう。こんな不意打ち、卑怯だ。