6月の中旬、アメリカ軍のサイパン島上陸作戦が始まった。守備隊の苦境は新聞などで報じられたが、さしたる救援もなされないまま、守備隊と在留邦人たちは見殺しにされる結果となった。
戦局が逼迫しつつあることは明白であったが、国民には実情を知らされることがなく、戦意高揚にむけた言葉のみが声高に叫ばれた。7月18日には東条英樹陸軍大将の内閣が総辞職し、あとを小磯陸軍大将が継いだけれども、日本のおかれている状況は悪くなるばかりだった。
7月に単独飛行を許されるレベルに達した良太たちは、つづいて特殊飛行の訓練を受けることになり、霞が浦の空を赤トンボで飛ぶ日々がつづいた。
オレンジ色の赤トンボで訓練に励んでいたのは、飛行科予備学生だけではなかった。一般には予科練と呼ばれる海軍飛行予科の練習生たちが、同じように激しい訓練に立ち向かっていた。15歳になれば志願できるということもあり、飛行訓練に励む予科練生たちはまだ少年だった。所属する隊が異なるとはいえ、良太はその少年たちと競い合うようにして訓練に励んだ。
よく晴れていたその日、良太は宙返りの練習をした。筑波山にむかって飛んでいると、伝声管を通して教官の声が聞こえた。「同じ要領でもういちどやれ」
ようやく会得した要領で宙返りに挑むと、今度もどうやらうまくいった。水平飛行にうつると教官の声が聞こえた。「筑波山ヨーソロー」
良太は筑波山に進路をとったまま、教官からの指示を待った。見まわすと、入道雲を背にして飛ぶ赤トンボが見えた。
外出が許されるとき、機会があれば良太はひそかに浅井家を訪ねた。外出許可が取り消されたために、予告通りに訪問できなくなることもあったが、谷田部で中間練習機教程の訓練を受けている間に、浅井家を四度も訪ねることができた。時間に追われながらの逢瀬だったが、良太と千鶴にはかけがえのないひとときだった。
千鶴は上野駅に向かう良太についてゆき、不忍池の近くで別れをつげた。良太は途中で必ず振り返り、手をふってから道の角をまがった。千鶴は次の逢瀬を想いながら家路についた。
サイパン島につづいて、テニアン島とグアム島の守備隊が玉砕する結果となった。良太の胸中に、アメリカに対する敵愾心が噴きあげてきた。その敵愾心が良太に軍人としての意欲を高め、訓練にたちむかう忍耐力を与えた。海軍に入団して以来の教育と訓練が、そして危機に瀕している祖国の姿が、さらには悲憤の涙をもって聞かされた友軍の悲劇が、軍人としての使命を自覚すべく強く迫った。軍には批判すべきところがあろうと、軍の目指すところを信じてその命令に従い、与えられた任務を通して祖国を救うこと。良太が進むべき道はひとつしかなかった。
良太たちの専門分野が決められたのは9月の中旬だった。良太は戦闘機搭乗員としての訓練を受けるために、茨城県の鹿島灘に面した神ノ池航空隊に移ることになった。谷田部と同じ茨城県にある海軍の航空隊ではあっても、そこから浅井家を訪ねることはできそうになかった。
9月28日、良太たち戦闘機組の120名は神ノ池航空隊に移った。
良太たちは練習用戦闘機での訓練にとりかかったが、しばらくたつと飛行訓練はままならなくなった。訓練に必要なガソリンが欠乏しつつあった。
太平洋の島々で玉砕があいつぎ、極度に不利な状況に追い込まれていた日本にとって、フィリピンは死守すべき防衛線の中核だった。10月の半ば過ぎに至って、そのフィリピンに、大輸送船団を擁するアメリカ軍が迫った。その上陸を断固阻止するために、日本はついに特攻隊を出撃させた。
フィリピンで神風特別攻撃隊が出撃した数日後、その事実を知って良太は慄然とした。爆弾を抱えた戦闘機もろとも、敵の艦に体当たりしたのだ。こんなことがあっていいのだろうか。日本はついにここまで追い込まれ、そのような戦術をとらざるを得なくなったということか。それにしても何たる戦術であろうか。出撃したその特攻隊には、学徒出身の予備士官も加わっているらしい。どんな想いを抱いて出撃したのだろうか。
特攻隊が大きな戦果をあげたからには、このような攻撃方法がさらに採用される可能性がある。戦争が長びいたなら、俺が特攻隊で出撃することすらあり得るのではないか。
戦争がさらに1年も続けば、搭乗員の俺は戦死を避け得ないだろう。どうせ戦死するのであれば、大きな戦果をあげて死にたいものだが、特攻隊として出撃するよう求められたとき、俺はそれに応じることができるだろうか。
特攻には大きな戦果が期待できるだけでなく、特攻隊員として戦死すれば、あれほどの名誉が与えられるのだ。搭乗員はいずれ戦死する運命にあるのだから、戦況によっては、積極的に特攻隊を志願する者すらありそうな気がする。
それにしても、と良太は思った。すでに制空権と制海権をともに奪われており、石油や鉄などの資源を確保できる見込みはなさそうだ。それどころか、今では食料すらも不足するに至った。このままでは国民が生きてゆくことすらままならなくなりそうだ。燃料が不足しているので、俺たちはまともな訓練を受けることもできない。いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この戦争に勝てるはずがない。国を動かしている軍の高官たちは、そのことを明確に認識しているはず。速やかに終えるべきこの戦争を、いったいいつまで続けるつもりだろうか。
戦局が逼迫しつつあることは明白であったが、国民には実情を知らされることがなく、戦意高揚にむけた言葉のみが声高に叫ばれた。7月18日には東条英樹陸軍大将の内閣が総辞職し、あとを小磯陸軍大将が継いだけれども、日本のおかれている状況は悪くなるばかりだった。
7月に単独飛行を許されるレベルに達した良太たちは、つづいて特殊飛行の訓練を受けることになり、霞が浦の空を赤トンボで飛ぶ日々がつづいた。
オレンジ色の赤トンボで訓練に励んでいたのは、飛行科予備学生だけではなかった。一般には予科練と呼ばれる海軍飛行予科の練習生たちが、同じように激しい訓練に立ち向かっていた。15歳になれば志願できるということもあり、飛行訓練に励む予科練生たちはまだ少年だった。所属する隊が異なるとはいえ、良太はその少年たちと競い合うようにして訓練に励んだ。
よく晴れていたその日、良太は宙返りの練習をした。筑波山にむかって飛んでいると、伝声管を通して教官の声が聞こえた。「同じ要領でもういちどやれ」
ようやく会得した要領で宙返りに挑むと、今度もどうやらうまくいった。水平飛行にうつると教官の声が聞こえた。「筑波山ヨーソロー」
良太は筑波山に進路をとったまま、教官からの指示を待った。見まわすと、入道雲を背にして飛ぶ赤トンボが見えた。
外出が許されるとき、機会があれば良太はひそかに浅井家を訪ねた。外出許可が取り消されたために、予告通りに訪問できなくなることもあったが、谷田部で中間練習機教程の訓練を受けている間に、浅井家を四度も訪ねることができた。時間に追われながらの逢瀬だったが、良太と千鶴にはかけがえのないひとときだった。
千鶴は上野駅に向かう良太についてゆき、不忍池の近くで別れをつげた。良太は途中で必ず振り返り、手をふってから道の角をまがった。千鶴は次の逢瀬を想いながら家路についた。
サイパン島につづいて、テニアン島とグアム島の守備隊が玉砕する結果となった。良太の胸中に、アメリカに対する敵愾心が噴きあげてきた。その敵愾心が良太に軍人としての意欲を高め、訓練にたちむかう忍耐力を与えた。海軍に入団して以来の教育と訓練が、そして危機に瀕している祖国の姿が、さらには悲憤の涙をもって聞かされた友軍の悲劇が、軍人としての使命を自覚すべく強く迫った。軍には批判すべきところがあろうと、軍の目指すところを信じてその命令に従い、与えられた任務を通して祖国を救うこと。良太が進むべき道はひとつしかなかった。
良太たちの専門分野が決められたのは9月の中旬だった。良太は戦闘機搭乗員としての訓練を受けるために、茨城県の鹿島灘に面した神ノ池航空隊に移ることになった。谷田部と同じ茨城県にある海軍の航空隊ではあっても、そこから浅井家を訪ねることはできそうになかった。
9月28日、良太たち戦闘機組の120名は神ノ池航空隊に移った。
良太たちは練習用戦闘機での訓練にとりかかったが、しばらくたつと飛行訓練はままならなくなった。訓練に必要なガソリンが欠乏しつつあった。
太平洋の島々で玉砕があいつぎ、極度に不利な状況に追い込まれていた日本にとって、フィリピンは死守すべき防衛線の中核だった。10月の半ば過ぎに至って、そのフィリピンに、大輸送船団を擁するアメリカ軍が迫った。その上陸を断固阻止するために、日本はついに特攻隊を出撃させた。
フィリピンで神風特別攻撃隊が出撃した数日後、その事実を知って良太は慄然とした。爆弾を抱えた戦闘機もろとも、敵の艦に体当たりしたのだ。こんなことがあっていいのだろうか。日本はついにここまで追い込まれ、そのような戦術をとらざるを得なくなったということか。それにしても何たる戦術であろうか。出撃したその特攻隊には、学徒出身の予備士官も加わっているらしい。どんな想いを抱いて出撃したのだろうか。
特攻隊が大きな戦果をあげたからには、このような攻撃方法がさらに採用される可能性がある。戦争が長びいたなら、俺が特攻隊で出撃することすらあり得るのではないか。
戦争がさらに1年も続けば、搭乗員の俺は戦死を避け得ないだろう。どうせ戦死するのであれば、大きな戦果をあげて死にたいものだが、特攻隊として出撃するよう求められたとき、俺はそれに応じることができるだろうか。
特攻には大きな戦果が期待できるだけでなく、特攻隊員として戦死すれば、あれほどの名誉が与えられるのだ。搭乗員はいずれ戦死する運命にあるのだから、戦況によっては、積極的に特攻隊を志願する者すらありそうな気がする。
それにしても、と良太は思った。すでに制空権と制海権をともに奪われており、石油や鉄などの資源を確保できる見込みはなさそうだ。それどころか、今では食料すらも不足するに至った。このままでは国民が生きてゆくことすらままならなくなりそうだ。燃料が不足しているので、俺たちはまともな訓練を受けることもできない。いかに多くの特攻隊を出撃させたところで、この戦争に勝てるはずがない。国を動かしている軍の高官たちは、そのことを明確に認識しているはず。速やかに終えるべきこの戦争を、いったいいつまで続けるつもりだろうか。