「ラジオをなおしたお礼にもらったんだ。ふかしたサツマイモを干したものだよ」と言いながら、忠之が風呂敷を開いた。「千恵ちゃんと沢田も呼んで、いっしょに食わないか」
「わー、ありがとう」と千鶴は言った。「千恵と純ちゃんを呼んできます」
 夜更けの書斎に集まった4人は、干し芋の凝縮された甘味につられるままに、やすむことなく紙袋に手をのばした。
「ラジオの故障をなおしたにしても、たくさんもらってきたもんだな」
「学生を何人も入れている下宿屋だけど、そこの奥さんが千葉の実家でこれを作ったそうだ。お礼だからたくさん持って行けと言うから、遠慮なくもらったよ」
「芸は身を助けると言うけど、お前の場合には特技が身を助けるんだな」
「ラジオって、とても難しそうだけど、どんなふうに勉強したんですか」
「中学の頃から勉強していたんだ。沢田式に言えば、好きこそものの上手なれだよ。やる気さえあれば誰にでもできるはずだよ。やる気というより、そういうのがほんとに好きだったらな」
「いくら興味があっても、頭がそれ程じゃなくて、数学が不得手な者には無理だろう」
「好きこそものの上手なれというのは、数学や物理を勉強する場合にも言えると思うよ。数学に興味があれば、数学の勉強に身を入れるだろうし、自分には数学が必要だと思えば努力するわけだよ。頭がいいから数学ができるというわけじゃないと思うな」
「俺の知ってる理科系のやつら、みんな頭が良さそうだがな」
「数学というのはな、勉強の途中で手を抜いたらそこから先に進めなくなるんだ。数学が不得手という奴の多くは、手を抜いたところの穴埋めをしなかったんじゃないかな。理系の者には数学が必要だから、たとえあと戻りをしてでも、知識の穴を埋めようとするわけだよ」
「現実に数学が不得手な俺には、何とも言いようがないよ。お前流に勉強すればいいんだろうが、俺には数学で努力する気がないからな」
「俺から見れば良太は頭のいいやつだが、数学が必要な仕事はしないつもりだから、数学にはあまり身をいれていないんだ。数学の成績はさほどではないと思うが、頭が悪いなどとは思っていないはずだよ、良太自身は」
「森山に会ったら、あいつの意見も聞くことにする。工学部のお前から聞いただけじゃ心もとないからな」
「数学が好きだなんて言う友達は一人もいないから、私は数学なんかできなくても平気だし、頭が悪いとも思わないわよ」と千恵が言った。
「私も数学はできないけど、いまの話を聞いて安心したわ。数学が好きだという友達もいないけど、女学校だったからでしょうね。むつかしい数学など必要とは思えないもの」
「何かのきっかけがあれば、女でも数学を好きになると思うけど、そういうのは少ないだろう。だから、いいんだよ、千鶴さんは数学なんかできなくても。良太も数学には興味がないみたいだが、あいつには、いろんな才能があるし、人間としても立派だ。千鶴さんが良太と結婚して子供ができたら、良太はいい父親になれると思うよ」
 千鶴がうろたえていると忠之が言った。「どうしたんだい、千鶴さん。そんなにびっくりしなくてもいいじゃないか。千鶴さんと良太が好き合っていることくらい、皆が知ってるんだから」
「いきなりそんなこと言われたんだもの」
「びっくりしたけど嬉しかったんだよな」
 からかわれてもむしろ嬉しかったが、千鶴は話題を変えたいと思った。
「岡さんと良太さん、子供の頃から仲が良かったんですか」
「6年生の頃には良太が一番の友達だったな」
「良太さんって、どんな子供だったのかしら。いまでも子供みたいに純粋なところがあるけど。あっ」千鶴はあわてて言葉をたした。「いま言ったこと、良太さんには言わないでね」
「岡さんご馳走さまでした」と千恵が言った。「お姉さん、さきに下におりるから」
「俺も失敬するよ。読まなきゃならん本があるんだ。干芋とさっきの話、どっちも良かったよ、ありがとう」と言い置いて沢田も部屋から出て行った。
 忠之が言った。「良太の知性と教養はたいしたもんだが、性格が単純で純粋だから、子供っぽいところはあるな、たしかに」
 千鶴はその言葉を聞いて、忠之に聞きたかったことを思い出した。
「あのね岡さん、良太さんとの子供時代のこと、何か話してもらえませんか」
「5年生の頃からだな、良太のことをよく知ってるのは。どんなことを聞きたい?」
「岡さんと良太さんがいっしょに楽しんだことや、忘れられないような出来事など、どんなことでもいいんだけど」
「良太とのことで忘れられないことと言えば」と忠之が言った。「俺がもうすこしで死にかけたとき、良太が助けてくれたことがあったな」
 いったい何があったというのだろうか。千鶴は隣の机に眼を向けた。忠之は千恵の机に頬杖をつき、千鶴を見ながらほほ笑んでいた。