アルセーヌとツェツィリアは現世とは異なる世界、『エデン』に居る。
 広大な草原で……
 ふたりは何を話すのでもなく、暫くの間、並んで座っていた。

 アルセーヌは、自分でも不思議であった。

 謎めいた、美しい少女ツェツィリアの事を少しでも早く、そして詳しく知りたい。
 間違いなく、強い強い気持ちがあるというのに……
 反面、「焦る事はない」という余裕の気持ちも同時にあったのだ。

「え? あ!」

 突如!
 ふたりの目の前に、直径30㎝くらいの水晶球が出現していた。
 誰が何をどうやったのか、魔法使いのアルセーヌにも不明であった。

 そして見る限り、ただの水晶球ではなさそうだ。
 とんでもなく強い魔力が放たれていたし、表面は鮮やかな虹色に輝いている。

「こ、これは!」

 思わずアルセーヌが驚けば、ツェツィリアは微笑む。
 どうやら、ツェツィリアの仕業らしい。

「うふふ、これはね、魔導水晶……とても便利なのよ」

「魔導……水晶……」

「全世界の、過去現在未来を見通す素晴らしい魔道具……この世界でひとりぼっちの私が、寂しくならないよう……お父様がくださったの」

「お、お父様? さっきツェツィリアと一緒に迷宮に居たあの人?」

「ええ、そう。とても優しい、私の大好きなお父様よ」

「…………」

 ツェツィリアの父?
 あの謎めいた魔法使いか?
 転移魔法も使いこなす恐るべき魔法使いだ。

 彼女の父親にしては若すぎる気もしたが……
 また何故、父とふたりきりで危険な迷宮に居たのか?

 曖昧なツェツィリアの話は、今のアルセーヌには理解出来ない。
 と、その時。
 ツェツィリアがいきなり水晶球を指さした。

「ねぇ、見て」

 アルセーヌが固唾を呑んで見守っていると、ツェツィリアは指を「ピン!」と鳴らした。
 すると!
 水晶球に映る光景は、アルセーヌにとっては見覚えのある王都の風景である。
 そして、これまた彼が見慣れた石造りの建物が見えて来た……

「こ、ここは!」

「ええ、アルセーヌ。貴方が良く知っている場所ね」

「…………」

「あの建物は王都セントヘレナにある、創世神教会付属の孤児院……貴方が育った場所」

「…………」

 やはり……ツェツィリアは、アルセーヌの素性を知っている。
 ここは黙って……彼女の話を聞いた方が良さそうだ。
 
 アルセーヌが無言になったのを見て、ツェツィリアはそのまま話を続ける。

「私は見た……貴方は16年前、誰もが凍える雪の日に……この孤児院の門前に捨てられていた……可哀そうに……」

「…………」

「天涯孤独な捨て子の貴方は……当然親の顔を知らない。でも腐らず、めげずに、たったひとりぼっちで、ずっと頑張って来た……まともに職にもつけず、仕方なく冒険者となり、辛い思いをしながら、今迄生き抜いて来た」

「…………」

「……私はね、この異界から魔導水晶を使って、ずっと見ていたわ、アルセーヌの事を」

「ツェツィリア……」

「貴方の生き方が私を救ってくれたのよ、アルセーヌ……」

「な? 俺が!?」

「ええ……貴方はとても不器用。だけど、ひたすら誠実……」

「…………」

「そんな貴方が励みとなり……同じく両親に見捨てられ、自暴自棄になり、怖ろしい悪鬼へ堕ちるはずだった……ひとりの女の子が救われたの……」

「お、同じく? そ、それに怖ろしい悪鬼!?」

 アルセーヌは驚いて声を出した。
 まずツェツィリアが自分と同じ捨て子だという事に。
 そして『悪鬼へと堕ちる』……とは、一体どのような意味なのだろうと。

「ええ、私も貴方と同じよ……10年前に人里離れた不気味な森へ、たったひとり置き去りにされ、捨てられたのよ……」

「えええっ!? で、でもさっき、君はお父様って!」

 またも驚き、アルセーヌは思わず尋ねた。
 捨てられたのに……父が居る?

「…………」

 対して、無言で真っすぐにアルセーヌを見つめ返すツェツィリアの顔には……
 氷のように冷たい微笑みが、張り付いていたのである。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 両親に捨てられた筈なのに……
 何故?
 『お父様』と呼ぶ存在が居る?

 そんなアルセーヌの疑問には答えず、ツェツィリアはまた話し始めた。

「貴方には正直に言う。それで……私を嫌いになっても構わないわ」

「そ、そんな!」

「いいえ、アルセーヌ。もし私が貴方の立場なら……嫌いになるのもありえる。仕方がないから……」

「…………」

「私を生んだ両親は人間よ。幼い私をあっさり捨てた鬼畜以下の奴等だけど、確かに人間。それは間違いない……」

「…………」

「でも私は……人間ではないの」

「え?」

 ツェツィリアが……人間ではない!
 あまりの事に、アルセーヌは言葉が出て来ない……

 そんなアルセーヌを他所に、ツェツィリアは淡々と話している。

「普通の人間から……唐突に魔族が生まれる。貴方は聞いた事ある?」

「…………」

「その魔族が私……よ」

「…………」

「創世神様の悪戯というには、あまりにも過酷な運命……そんな運命の星の下に生まれたのが……私」

「ま、まさか!」

「そう……私ツェツィリアは人間ではない。人外の夢魔……夢魔モーラなの」

「えええっ!」

 夢魔モーラ。
 冒険者のアルセーヌも名前だけは知っていたが、幸いというか、まだ遭遇した事はなかった。

 モーラは『獲物』の心臓から、魔力もしくは血を吸うと言われる少女の姿をした怖ろしい人外である。
 凄まじい魔力を持ち、変幻自在で姿を自由に変えるとも言われていた。

 そして……
 ツェツィリアが言う通り、夢魔モーラは稀に人間からも生まれる事があるという……

 あまりにも衝撃の事実に……
 アルセーヌは呆然として、目の前のツェツィリアを見つめていたのであった。