しかし……
 謎めいた魔法使いの男は、逃げ出したゴブリンに対し、全く容赦しなかった。

「ふん!」

 ほんの少しだけ気合を入れて、男が声を発すると……
 ゴブリン共が逃げる、行く手の地面が勢いよくせりあがった。
 それも、ただせりあがっただけではない。
 強固な岩の壁となり、一気に3mくらいせり上がったのだ。
 
 しかも!
 岩の壁があるのは、ゴブリン共の逃げる方向だけではなかった。
 いつの間にか、彼等は取り囲まれていたのだ。

 何と!
 背後からも、同じような岩の壁が凄まじい速度で動き、ゴブリン共へ迫っている。
 こうなると、ゴブリン共の運命は決した。
 やがて、岩の壁同士がどんどん近付き……ぴったりと合わさった。
 
 ぶしゃああああっつ!!!
 ぎぃやぁぁぁぁぁ!!!
 
 岩と岩が凄まじい力で合わさった瞬間。
 断末魔の叫び声と、水気の多い野菜を大量に握り潰したような音がした。

 何と!
 謎の男が、最後に使ったのは……
 地の魔法だった。

 大混乱と底知れぬ恐怖の中で……
 逃げようとしたゴブリン共は、強固な岩の壁に挟まれ、無残にも圧死させられたのである。

「す、凄い……」

 自分を襲い、喰い殺そうとしたゴブリン共が、あっという間に全滅させられたのを見て……
 ツェツィリアは、呆然としていた。

 男が使ったのが……
 水・火・風そして地……
 全属性の魔法である事だけは、幼いツェツィリアにも分かった。
 
 何故ならば、以前に母から教えて貰ったから…… 
 自分をこのように「捨てた」から、ツェツィリアはもう彼女を母とは呼べなくなってしまったが……

 中級魔法使いであった『かつての母』は、ツェツィリアへ素養があると言って、簡単な魔法の手ほどきをしてくれたのだ。

 そんな母が、魔法発動の手本を見せる時は、決まって精神の集中、魔力の高揚、難解な言霊、そして長い詠唱が付きものであった。

 だが目の前の男は、そんな手順など全く踏まず、いとも簡単に魔法を使っていた。
 詠唱は勿論、魔力を高める予備動作さえもなしに……

 閑話休題。

 恐るべき謎の男は、空中に浮いたまま……
 暫し、ゴブリン共の無残な死骸を眺めていた。

「ふむ……」

 小さなため息をついた男は、パッと身を翻すと、呆然としたままのツェツィリアの前に降り立った。
 ゆっくりと腕組みをする。

「ひ!」

 ツェツィリアは思わず悲鳴をあげた。

 圧倒的な力を持つ、正体不明な魔法使いの男……
 ゴブリンに喰い殺される、絶体絶命の危機を助けてはくれたが……
 かといって、ツェツィリアの味方とは限らない。

 幼いツェツィリアには……
 目の前に立つ男に対し、「助けてくれた」という淡い期待と共に、本能的な不安及び恐怖が混在していた。

「あ!」

 しかし男を改めて見て、次にツェツィリアのあげた声は、驚きだった。
 何故ならば、謎の男はとても美しい顔立ちをしていたからだ。

 色白の肌。
 小さい顔。
 肩まで伸びた、さらさらの美しい金髪。
 「ぴしっ!」と鼻筋が通った端正な顔立ち。
 
 だが切れ長の目には感情が見えない。
 碧い瞳がツェツィリアを、まるで『もの』でも見るように捉えていた。

 男は淡々と言う。
 何の感情も込めずに。

「小娘……二度は助けぬ。もしも生きたいのなら……死ぬのが嫌ならば、お前自身が力をつける事だ」

「力?」

「幸い、お前には……そこそこの素質がある」

「そしつ?」

「ああ、魔法使いの素質だ……結構なものがな。更にお前が人の心を失くし、完全に覚醒すれば、特別な強者になれる」

「かくせい? とくべつ? きょうしゃ?」

「うむ……そもそも、お前が何故この森へ捨てられたのか……分かるか?」

「…………」

 ツェツィリアは……男の問いに答えなかった。
 否、両親の言動を見て、薄々感じてはいたが、答えたくなかったのだ。

 しかし男は、ツェツィリアが答えるまでもなく……
 容赦ない、非情な現実を告げて行く。

「小娘……人の子から生まれたお前は、人にあって、人に非ず……だから捨てられた」

「…………」

「お前は夢魔……魔力を喰らう恐るべき人外、夢魔モーラなのだから」

「え? う、うそ……」

 自分は人間ではない……
 夢魔……モーラ。
 父親が「化け物!」と叫んだ言葉がリフレインする……

 ツェツィリアは首を振った。
 そんな現実、認めたくない。
 夢よ、醒めろ!
 そう念じてしまう。

 しかし男はきっぱりと言い放つ。
 まるで、ツェツィリアの辛い心を見透かしたように……

「否定しても、忘れようとしても……全く無駄だ。……お前が夢魔なのは、嘘でも夢でもない、はっきりとした現実なのだ……」

「…………」

 無言のツェツィリアを見て、男は僅かに笑う。

「ふ! 小娘よ、もう覚悟を決めろ。素直に現実を受け入れるが良い……」

「…………」

「お前の両親は恐るべき人外である事が分かり、年端も行かないお前を投げ捨てた。水より濃い血の絆をあっさりと断ち切ったのだ」

「あう、あううううううう~~………あああ~~」

 ツェツィリアの慟哭が森に響く。
 彼女は途中から、男の言葉を聞いてはいなかった。

 幼いツェツィリアは、全く予想もしていなかった……
 自分に突如降りかかった、過酷な運命が悲しい……

 幸せに暮らしていた家へは……
 二度と戻れない事を知り、ただただ泣くしかなかったのである。