底なしの迷宮・見捨てられた冒険者は最深部で愛する君に出逢う

 ツェツィリアの両親が去って数時間が過ぎ、太陽が西の水平線へ落ち始めると……
 ただでさえ薄暗い森は、どんどん闇の濃さを増して行く。

 ひとり残された、幼いツェツィリアは怯え……
 近くの大きな木へ、華奢な身体を寄せ震えていた。
 彼女は昼から何も食べていなかったが、恐怖のあまり、空腹を全く感じない。

 身体を固くしたツェツィリアの周囲では、夜行性の獣の唸り声が聞こえる。
 ……それもたくさん。
 厳しい食物連鎖で成り立つこの森では、小さく、か弱いツェツィリアなど、
『格好の餌』でしかない。

 まず最初に、ツェツィリアへ目を付けたのは……
 数十もの、獰猛な狼の群れである。

 狼は群れで行動するイヌ科の肉食獣だ。
 獲物を見つけると集団で攻撃し、容赦なく喰い殺す。
 狼共に囲まれたツェツィリアの命は風前の灯火と思われた。

 しかし!
 群れのリーダーらしい大きな牡が、警告を発するように短く吠えると、狼共は慌てて姿を消してしまう。

 狼達が遠くへ去るのを感じ、ツェツィリアは安堵して、大きく息を吐いた。
 だが彼女の勘は、新たな危機の到来を予感している。
 狼でさえ怯えさせる、恐るべき存在が……
 すぐ自分の下へやって来る事を。

「こ、怖い……怖いよう……」

 絶望ともいえる深い悲しみに心が満ち、ツェツィリアの美しい瞳からは涙がとめどもなく流れて来る……

 自分は……
 「実の親から、忌み嫌われ汚物のように捨てられたのだ……」
 という辛い思いが、ツェツィリアの心をえぐるように傷つけていた。
 そして迫り来る死への恐怖もある……

「あ!」

 ツェツィリアは何故か、普通の子供より夜目が利く。
 気配を感じて見やれば、先ほどまで狼の群れが居た場所に、無数の血走った目が浮かんでいた。

「ひ!」

 自分を見つめる相手を知り、ツェツィリアは悲鳴をあげた。
 父親が怖れた、人を喰らうゴブリン共に違いない。
 
 ツェツィリアはゴブリンを、今迄に見た事はない。
 だが、母親からは散々といっていいくらい聞かされている。
 
 小柄ながら性格は狂暴。
 (おびただ)しい数で獲物を襲い、あっという間に喰い尽くす怖ろしい人外……
 そう、ツェツィリアを取り囲んだのは……
 先ほどの狼さえも餌とする、数百ものゴブリン共なのである。

 ほんの間近まで来た死への恐怖を感じ……
 ツェツィリアは先ほどより、更に大きく息を吐いた。
 直感的に、自分の足では逃げられないと分かってしまう……
 諦めと絶望が、ツェツィリアの全身を支配して行く……

 私は……あいつらに殺され、食べられる。
 もう終わりだわ……
 だけど、もう構わない……
 
 ……生きていても仕方がない。
 実の親から、「化け物!」と罵られたこんな私なんか……

 ごぎゃあああああおおお~~っ!!!

 いきなり!
 ゴブリン共が一斉に咆哮した。

 目の前の獲物を襲え!
 そして喰らえ!
 という、合図と鬨の声なのだろう。

 来る!
 いよいよ奴らが来る!
 喰われる!
 
 でも……良い!
 この身よ、死んで世界からなくなってしまえ!

 更に身体を固くしたツェツィリアは、覚悟を決めた。
 目を閉じ、俯く。

 と、その時!

 ぱあああああっ!
 と、白光が真っすぐ、遮るように鋭く伸びた。
 丁度、ツェツィリアとゴブリン共の間に。

 ぎゃひいいいいいいっ!!!

 ゴブリン共が何かに驚き、絶叫した。

 そんなゴブリン同様、驚いたツェツィリアが目を開けて見やれば、
 
 何と!
 眩いばかりに輝く球体が出現していた。
 この不思議な球体から放たれる強烈な光により、夜も更けつつあった森が、まるで昼間のように明るくなった。

「へ?」

 信じられない光景に、呆然とするツェツィリアの心へ、若い男の声が響く。

『ふむ、あっさりしたものだ』

「え?」

 ツェツィリアは吃驚して左右を見回すが……
 誰も見当たらない。

『小娘、せっかくこの世へ生を受けたというのに……』

「だ、誰?」

『お前は簡単に投げ出すのだな……生きる事を』

 淡々とした男の声が、まるでツェツィリアへ、問いかけるように響いた。

「誰なの?」

 ツェツィリアは声を出して呼び掛けたが……
 誰からも、返事はなかった。

 その間も……
 ツェツィリアの目前に、突如出現した輝く謎の球体は……
 何度も収縮を繰り返し、照度もめまぐるしく変わっていた。
 
 片やゴブリン共は、ツェツィリアを襲うどころではなく、臆したようにあとずさりしている。

 バチン!

 いきなり!
 前触れなく、何かが大きく弾けたような音がした。

 ツェツィリアは思わず声をあげる。

「あ!」

 驚いた事に、眩く輝いていた球体が消え……
 代わりにひとりの男が、地面より10mくらいの高さに浮かんでいた。
 
 漆黒の法衣(ローブ)を着込み、同色の大きなマントをひるがえす長身痩躯の男がひとり……
 空中に、何の支えもなく浮かんでいるのだ。

「ふむ……死ね」

 パチン!

 謎の男はゴブリン共を見据え、小さく呟くと、鋭く指を鳴らした。

 ぶしゃう!
 ぶしゅっ!
 ずぶうっ!

 肉を貫く鈍い音がたてつづけに起こった。

 いきなり!
 ゴブリン共の足元から鋭利な氷柱が何本も突き出ていた。
 彼等の胴体から顔までをあっさりと貫き、串刺しにする。

 氷柱に高々と持ち上げられ、血しぶきをあげる仲間の無残な死体を見て、ゴブリン共は絶叫する。

 あうぎゃあ~~っ!!!

 絶叫をあげ、死にゆくゴブリン共を見て……
 ツェツィリアは呆然としていた……

 いかに獰猛なゴブリンでも……
 何の前振りもなく、無防備な状況で、いきなり氷柱に身体を刺し貫かれては避けようがない。

 次に男は、軽くひとさし指を振った。
 まるで有能な指揮者が、オーケストラの楽団へ華麗にタクトを振るように……

 すると今度は、「ごうおっ!」と同じく数体のゴブリンが紅蓮《ぐれん》の炎に包まれた。
 炎はとてつもない高温らしく、ゴブリンはあっという間に炭化し、物言わぬ消し炭となる。
 いうまでもなく、男が使ったのは火の攻撃魔法だ。

「むう……たかがゴブリン如きでは準備運動にもならぬ」

 ぎゃおあああああっ!!!

 仲間が次々に殺され、嘆き悲しむゴブリン共。
 断末魔のおぞましい叫びを聞き、眉をひそめた男が何かを呟くと……

 ばひゅっ!

 今度は鋭い突風が吹き荒ぶ。
 ゴブリン数頭が血をまき散らしながら、切り刻まれた。

 ぎゃっぴ~~っ!!!

 男が使った風の攻撃魔法により……
 同胞が瞬時に、原型を留めぬ肉塊と化したのを見て、ゴブリン共はまたも泣き叫んだ。

 元々、ゴブリンはあまり知能が高くない。
 本能に従って行動するだけだ。
 但し、彼等は恐怖の感情くらいは持ち合わせていた。
 
 謎の魔法使いが、自分達には到底敵わない、『とんでもない相手』である事を充分認識したようだ。

 ツェツィリアを喰い殺そうとしたゴブリン共は、情けない悲鳴をあげ、一斉に背を向けると……
 あっさり逃げ始めたのであった。