「俺は冒険者としては、全てにおいて未熟者だから」

 そう自分を卑下しながらも、アルセーヌは少しだけ余裕が出て来た。
 ツェツィリアを守り幸せにしようと決意したら、平気になった。
 死への恐怖もほぼ薄れた。
 生と死の狭間にある迷宮へ行く覚悟も決めた。

 そんなアルセーヌを、ツェツィリアは頼もしそうに見つめる。 

「頑張れば絶対に大丈夫よ、アルセーヌは」

「いろいろと、びっしり鍛えなくちゃならないのは自覚している。でも訓練の為のベストチョイスが迷宮なのかい?」

 アルセーヌが思い起こせば……
 子供の頃から魔法や武技に慣れ親しんだ他の冒険者と自分は違う。
 貧しい孤児院ではろくに訓練など出来やしなかったから。
 
 やがて15歳となり孤児院を出て、いろいろ苦労した末にやっとの事で冒険者にはなったが……
 相変わらず自分を鍛える余裕などなかった。
 
 アルセーヌの唯一の取り柄は、魔力の多さのみである。
 それ故、後方支援役《バファー》の魔力供与士として……
 つまり冒険者の中でも、単なる便利屋として生きて行くしかなかったのだ。

「ええ、いろいろと考えたけれど、やはり貴方達が底なしと呼ぶ、あの迷宮が最適なの」

「そうか……ツェツィリアがそこまで考えてくれたのなら、問題なしさ」

「アルセーヌが言った通りよ。短期間で貴方の眠った力を完全に目覚めさせ、覚醒させる為には、ある程度のトレーニングが必要なの」

「だな!」

「それに……行くのは貴方と運命の出会いをした、記念すべき迷宮よ」

 良く良く考えれば、ツェツィリアの指摘通りだ。
 確かに迷宮は危険が大きい。
 しかし、アルセーヌのような駆け出し冒険者には格好の訓練場所なのだ。
 まあ、階層にもよるのだが……
  
 アルセーヌは納得し、大きく頷く。

「良く分かった! 冒険者や戦士的にいえば武者修業って事だな」

「うふ、そういう事。ある程度修業して実力が付いたら、仮合格」

「仮合格?」

「ええ、暫定的な合格。その上でトライアルに挑戦するわ。おろしたての新馬車のようにフレッシュな気分で戦いの試運転と行きたいわね」

「成る程、新しい馬車のような気分で戦いの試運転か……うん! 分かるよ!」

「頑張ってね」

「おお、しっかり気合を入れ直さないと駄目だな」

「うふふ、やる気満々ね。それに安心して。私がアルセーヌをしっかりサポートするから」

「了解! ところでツェツィリア、迷宮の第何層へ行くつもりだい?」

「そうねぇ……」

「まあ俺くらいの低ランクなら……まずは第10階層くらいまでかな?」

 アルセーヌは『底なしの迷宮』を思い浮かべる。
 確か、第10階層までは大した敵が出現しない。
 『庭』とまでは言わないが、さすがに慣れた場所である。
 
 ゴブリン数匹の小さな群れ(クラン)を始め、通常の蜘蛛がふた回り大きくなり、凶暴化したものなど様々な昆虫系の魔物共だ。
 油断して気を抜きさえしなければ、大事なツェツィリアをしっかり守れる。
 彼女とたったふたりきりのクランでも充分戦える筈だ。

「第10階層?」

 アルセーヌに問われ、ツェツィリアは少しだけ考え込む。
 しかし、すぐに答えは出たようだ。

「いいえ、駄目。絶対に駄目」

「え? 絶対に駄目って?」

「そんな浅い階層へ行っても、無意味。時間の浪費、無駄よ。やはり昨日私とアルセーヌが出会った階層がベストだわ」

 第10階層が駄目?
 出た代案が……
 何と!
 昨日ツェツィリアと出会った階層へ行く!?

「え!? ツェツィリア! 行こうと思っているのは君と出会った場所かい? 俺がオーガの大群に囲まれていたあの場所だよな?」

 念には念を入れ、何度も確かめるアルセーヌ。
 そう、確認する事は大切だ。
 これで命が助かった事が何度かあるから。

 しかし、ツェツィリアの意見は変わらなかった。

「そうよ。貴方と出会ったあの階層なら今の私達の修業には適したレベルの敵が現れるわ」

「おいおい! 今の私達には適したレベルの敵だって?」

 再び聞き直したが、やはり間違いではなかった。
 思わずアルセーヌは気色ばむ。
 ツェツィリアの言う事が全く理解出来ないのだ。

 確かにツェツィリアとは地下深きあの階層で出会った。
 だがあの時とは状況が違う。
 ツェツィリアの師……
 底知れぬ実力者ルイが彼女の傍《かたわ》らには居たから。
 
 でも今、ルイは居ない。
 未熟な自分がツェツィリアの守護者だ。
 浅い階層ならともかく、深層では彼女をしっかり守る自信がない。
 
 万が一、ツェツィリアが迷宮で生命を失うような危険に陥《おちい》ったら?
 
 考えれば考えるほど大きな不安がよぎる。
 自分の命など、どうなっても構わない。
 
 しかし大事なツェツィリアを危険な目にあわせられない。
 到底納得がいかない。

 愛しいツェツィリアに反論したくはない。
 彼女を信じているから……

 でもアルセーヌは再び考える
 ……ツェツィリアの命が危険にさらされるのであれば話は別、絶対に反対だ。
 
 アルセーヌは自分の意思をきっぱりと言い放ったのである。