アルセーヌは『魂の契約』の内容を知り、慌てた。
 絶対に、確かめなければならない。

「ル、ルイ様! そ、その契約が! 俺とツェツィリアがパートナーになっても取り消しにはならず有効だと、い、いや! ゆ、有効なのですか?」

「その通りだ……小僧。お前がもしツェツィリアのパートナーになっても、私とツェツィリアの契約は……解除されぬ」

「え? か、解除されない?」

「うむ! 先ほど私が言った通り……このまま時が経てば……ツェツィリアは人の心を失い、冷酷で無慈悲な夢魔と化すだろう。その時、魂の契約は完全に成立する……」

 ルイの突きつけた非情な現実……
 このままでは、ツェツィリアが人ではなくなり、完璧な夢魔モーラとなる。
 運命の出会いをしたアルセーヌの下を離れ、闇深き魔界へと堕ちてしまう……
 そうなれば、彼女とは永遠に会えなくなってしまう。

 絶句するアルセーヌ……

「そ、そんな!」

「そんなもこんなもない……紛れもない事実だ」

「じゃ、じゃあ! ど、どうすれば! ツェツィリアが夢魔にならずに済みますかっ! お、教えて下さいっ!」

 ツェツィリアを救いたい!
 方法を知りたい!

 ルイへ迫るアルセーヌは、徐々に考えが変わり始めていた。
 ……自分と会えなくなるなど、どうでも良い。
 そう思い始めていたのだ。

 両親が人間なのに……
 ツェツィリアは夢魔モーラになど生まれてしまった。
 
 更に、それが理由で……
 彼女を生んだ実の両親から森に捨てられるという、過酷な運命を背負った。
 悲運としか言いようがない不幸なツェツィリアを……
 少しでも幸福にしてあげたい!

 何故ならば、自分が……
 親にあっさり捨てられた、心の辛い痛みを知っているから……尚更なのだ。

 アルセーヌは、もう必死だった。
 ルイならば、『解決方法』を知っているに違いない。
 すがるしかない。

 だがルイは、冷たくアルセーヌを突き放した。

「小僧! 甘ったれるな!」

「う、ぐ……」

 ルイの声は、魔王の持つ威圧、つまり金縛りの効果でもあるのだろうか……
 アルセーヌは、またも全身が硬直したのだ。

 そんなアルセーヌへ、ルイは鼻を鳴らし、吐き捨てるように言う。

「愚か者めが。私は言った筈だ、お前達が往く道は果てしなく困難だと」

「ううう……」

「茨《いばら》の道へ進む事を、自ら選んだのだ」

「…………」

「どうすれば、ふたりが幸せになれるのか、他者になど頼らず、自分達で探してみせい」

「…………」

 高い崖から、容赦なく突き落とされたようなショックを受け、アルセーヌは無言で俯いてしまった。
 ふたりの往く道は茨の道……
 ツェツィリアが、「覚悟はしている!」と宣言する。

「お父様、成し遂げます! 必ず! ふたりで幸せになってみせます!」

 ここで……
 突如ルイが、「にやり」と笑う。
 アルセーヌへ、『最初の取引き』を持ちかけた時と同じ笑いだ。

「ふふ、小僧、お前がそこまで言うのならば、私と取引きをしようか? 先ほど以上にとても良い話だぞ……」

「と、取引き? 先ほどよりも!? と、とても良い話なんですか!」

 アルセーヌは、甘い蜜に引き寄せられる蝶のように「ふわふわ」と、たよりなく身を乗り出した。

「そう、素晴らしい取引きだ」

 話を聞いていたツェツィリアは、嫌な予感がした。
 もしかしたら……

「お父様! ま、まさか!」

「ふふ……実は、ツェツィリアをすぐ人間にする方法がある」

「え? ほ、本当ですか、ルイ様っ!!!」
「お、お父様!」

「私にしか発動出来ない……禁呪。すなわち禁断の古代魔法(ハイエンシェント)があるのだ……」

「ツェツィリアを人間にする禁呪、禁断の古代魔法(ハイエンシェント)……」

「アルセーヌ。お前の魂と引き換えに、その魔法を発動してやろう」

「お、俺の魂!?」

 夢魔のツェツィリアを、人間にする超絶魔法。
 ツェツィリア自身、想像はしていたが……
 父と慕うルイから聞いたのは、初めてであった。
 
 しかし魔法発動の代償は……
 想い人アルセーヌの魂なのである……

「お、お父様!」「……ル、ルイ……さ、様!」

 ツェツィリアとアルセーヌの声が、同時に重なった。
 しかしルイは、相変わらずツェツィリアを無視している。

「何だ、小僧」

「ほ、本当なんですか! 俺の魂を貴方へ渡せば、ツェツィリアがすぐ人間になれる……のですかっ!」

 ルイに尋ねる、アルセーヌは……本気だ。
 
 これは……とてもまずい展開である。
 アルセーヌは……ルイに、もう魂を(とら)われ始めているのだ……

「だ、駄目! ア、アルセーヌっ!!!」

 ツェツィリアは、アルセーヌを止めようと大声で叫んだ。
 しかし、アルセーヌとルイの話は……
 彼女の制止も関係なく、どんどん進んで行く。

「……ああ、約束しよう。但し、アルセーヌ……お前とも、ツェツィリア同様、魂の契約を結ぶ事となる」

 ルイが約束をした瞬間、アルセーヌは躊躇(ちゅうちょ)なく言い放つ。

「な、ならばぁっ! 俺の魂をすぐ貴方へ渡すっ!」

「え? アルセーヌ!」

 驚いたのは、ツェツィリアである。
 まさか!
 心が通い合ったとはいえ、アルセーヌが自分の為に何の迷いもなく命を投げ出すとは……

 しかしアルセーヌは叫び続ける。
 早く、早くと! 

「ルイ様! すぐだ、すぐに魂を渡す! だからツェツィリアもすぐ人間にしてやってくれっ! そして解放してやってくれっ!」

 遂に!
 アルセーヌは、魂の契約を了解したのである。

「ア、アルセーヌゥゥゥ!!!」

 思わず、ツェツィリアは絶叫した。
 暴走するアルセーヌを止めないと!

 しかし、アルセーヌは言う。

「俺は……さっきまで死にたいと思っていた人間だ。魂なんて惜しくない」

 ルイも、獲物を完全に捕らえた喜びからなのか、にやりと笑う。

「ほう、アルセーヌ。さっきからお前はそう言っていたが……やはり死にたかったのか? ならば自分の魂など投げ捨てても構わないな?」

「ああ! こんな俺の魂で、彼女が……ツェツィリアが人間になり、幸せにもなれるのなら! 存分にやってくれっ!」

 覚悟を決めたアルセーヌが、ルイと魂の契約を取り交わそうとした、その瞬間!

 びしぃんっ!

 アルセーヌの頬が大きく鳴った。
 力を込め、ツェツィリアが平手で張ったのである。

「え?」

 打たれた、アルセーヌの頬がみるみる赤くなって行く……
 呆然と、頬を手で押さえるアルセーヌへ、

「馬鹿っ! アルセーヌの大馬鹿っ!」

「ツ、ツェツィリア……」

「馬鹿な事をしないで! 思い直して!! 魂を投げ捨てるなんて! そ、そんな事をして! あ、貴方が! 深き闇へ堕ちたら……」

「…………」

「もしも人間になれたって! 私は絶対、幸せにはなれないわっ! 駄目! 絶対に駄目よ! 駄目だからぁ!!」

 叱責するツェツィリアの言葉が……
 アルセーヌの魂へしみて行く……
 愛する想い人の、温かい、思い遣る言葉がしみて行く……

「で、でも! あ、ありがとう……」  

「…………」

「あ、ありがとうっ! 本当にありがとうっ!! アルセーヌっ! 大好き、貴方が大好きよっ! わあああああああんん!!!」

 ツェツィリアは、呆然と立ち尽くすアルセーヌへ飛びつくと……
 まるで子供のように、思いっきり号泣していたのであった。